11 もう遅い
「お言葉ですが、おことわりしますわ」
私の言葉が意外だったのだろう、ベンジャミンはその目を丸くする。
「殿下はご存じないのかもしれませんが、覆水盆に返らずという言葉がありまして」
私はまっすぐにベンジャミン王太子の青の瞳を見据えた。
「もう遅い、という意味ですわ」
ベンジャミンは口をはくはくさせた。言葉が出てこないのだろう。
まさかまさかギルド内の衆人環視の中あっさりふられるとは思わなかったのだろう。
うおおおおおおおおおおおお!!!
ギルド内で喝采がおきる。荒くれもの共の野太い声が響いた。
今までのやりとりをしっかりばっちり見られているようだった。
棒のように突っ立ている王太子をしり目に私は踵を返して走りだした。
ああ、もうこのギルドには恥ずかしくて顔を出せそうにもなかった。
一刻も早く他国にでも行こう!!
ギルドを飛び出したあともなお、あてもなく走りまくって、息が切れた時には、見覚えのない路地だった。
…………
あまりの恥ずかしさに我を忘れてしまっていた。
妃教育を受けていたというのに恥ずかしい。
後ろからカツカツと足音がする。
そうですね、私もジンを振り切れるだなんてそんなこと、……ちょっとしか期待してませんでしたよ。
「さっきのは、よかった」
ジンは私のすぐ真後ろで足を止めた。振り向くと距離としては三メートルくらいだ。
ジンは薄暗い夜の街頭に照らされてうすぼんやりとしていた。
「今までで、一番、よかった」
ジンは一言一言かみしめるように言った。
いままででいちばん? 一体私のなにを知っているのだというのだろうか。
「俺に希望を与えてくれた」
カツンカツン
ジンはパーソナルスペースの三メートルを超えて近づいてくる。おもわずうしろにずさった。一歩、一歩、距離を詰められるたびに後ずさるとついに背中が壁についた。岩造りのレンガの塀のざらざらが背中越しに痛い。人通りもない閑静な住宅街のひしめく路地裏だった。
ジンは両腕で囲うように壁に手をついた。
私の顔にずいと顔を近づけてくる。私が思わずのけぞると、その露わになった首筋に強く口づけてきた。
「~~~~~~!」
言葉にならない。詰んだ。もう駄目だ。こんなひとけのない路地裏で誰に助けを呼べばいいのか。そもそもジンを倒せる人がふらふらそこらを歩いているものなのか。ああ、やっぱり冒険者ギルドの中にいれば良かった。王太子の近衛兵が恋しく思われる。ごめんなさい。私が悪かった!
ちくり
痛みがはしり現実に引き戻される。
……キスマークつけたな!
思わず眉が上がる。
はっとして身を引いたジンは自らの口元に右手を押し付けていた。こほんっていうしぐさを口に押し付けているような見た目だった。
「……ごめんっ」
どうやら自分で自分の行動に引いてるようだった。
「ユリア……大丈夫か?」
ジンは私の赤くなった首元をチラチラみながら心配そうにこちらを見てくる。
その黄金の瞳はどこかうるんでいるようにも見えた。
「ええ……」
私は右斜め下方向を見ながら言った。
そうだったジンの好感度は初めから振り切れているんだった。
私は帰り道をジンに先導されながらその後ろでため息を小さくついた。このままジンと他国に逃亡する流れだが、もうどうしようもない。彼から逃れられるとは到底思えそうにもなかった。
「まだおこっているのか?」
とぼとぼと無言でジンの後ろを歩いていたからだろうか、ジンが振り返って眉を下げた。普段鋭く光る金の瞳も心なしか優しく見える。
「おこってます」
取り繕っても仕方ないだろうから白状した。ジンはところかまわずって感じだけどムードってものがですね、……いやいや、そもそも駄目です。危なかった、ほだされそうだった。危険だこの男。
路地の道を引き返している時だった。
「なんだ、こんなところにいたんだ」
聞き覚えのない淡々とした中低音の声が響く。ジンの身体が瞬間的にこわばった。
「探したんだけど」
まるで詰るような声音で、闇の中からうすぼんやりと、白衣のローブを着た、灰白色の髪をライオンのように無造作に跳ね上げ、血のようにどす黒い赤い目をした、少年のようでいて天使のような顔の背の低い男がこちらに向かって歩いてきた。
彼は底の厚いブーツを履き、その肩に羽織った白衣にはびっしりと銀の刺繡がなされていた。その特徴的な文様は確か北のゾレア帝国の文化だろうか。
「イシュハル……」
ジンは心底憎々しげに呟いた。どうやら二人は知り合いのようだ。
「やはり君には記憶があるようだね、ああそうかそもそもお前が核なのか。てっきり僕がタイムリープの能力でも開花させたのかと思ったよ」
あははははは、と腹を抱えてとめどなく笑うイシュハルはどこか狂っているようだった。
「それで、そちらの君は、近くにいる人間を一緒にタイムリープできるってわけだ」
まるで新しい真理を見つけた研究者のように彼の表情は恍惚としている。
「実に興味深いね」
イシュハルは真っ赤な舌でくちびるをなめた。
「何回死ねるかぜひためしてみようじゃあないか」
私はぞっとした。ここからここまでイシュハルはじっと私をなめるように見ている。
(記憶? 記憶なんて)
ない
「話はそれだけか」
ジンは今までで一番機嫌が悪そうだった。
ため息のように深く息を吐きだしながら右手で黄金の槍を作り出す。どこからでも形成できるようだ。彼は岩属性だからこのあたりの煉瓦でも分解しているのだろうか。
ジンはぶんと目にも止まらない速さで手に持っていた槍を投擲した。イシュハルが顔の動きだけでそれを紙一重で避ける。ジンはこの位置から動くつもりはないようだった。ジンは私を背にかばうようなかたちをとり、新たに形成した槍を雨のように降らせている。イシュハルは俊敏な身のこなしで鮮やかに避けながらゆっくりとこちらに近づいてきていた。




