第六話
「……ボク君?」
「あっ」
しまった。
完全に口が滑った。
「えっと……」
どうする。
誤魔化すか。
いや、でも今さら誤魔化すのも変だ。
「……『私はまた、ボクになって君に会う』っていう小説です」
少し声を高くして答えると、女性は一瞬だけ目を丸くした。
「小説なんですか?」
「はい」
……あれ?
俺、さっき小説って言わなかったっけ。
そんな疑問が頭をよぎったが、考える間もなく次の質問が飛んできた。
「好きなんですか?」
「…………」
その質問をされた瞬間、俺の中で何かが切り替わった。
「好きです」
即答だった。
「めちゃくちゃ好きです」
「あ……はい」
女性が少し驚いた顔をする。
しまった。声、大きかったか?
でも、一度話し始めてしまうと止まらなかった。
「もう一年以上追いかけてて。最近完結したんですけど、それがもう……すごく良くて」
「へえ……」
「特に雪がですね――」
そこまで言って、俺は我に返った。
初対面の人に、いきなり何を話しているんだ俺は。
「……すみません」
「いえ。本当に好きなんですね」
「……はい」
少し恥ずかしくなって、俯く。
それから、ちらりと女性の顔をうかがった。
すると彼女は、店内の奥――店員さんたちがいるあたりをじっと見ていた。
目が、ほんの少し細められている。
さっきまでとは違う表情だった。どこか寂しそうにも見える。
「……?」
俺が瞬きをすると、彼女はすぐにこちらを向いた。
表情も、さっきと同じ穏やかなものに戻っている。
気のせいだったのだろうか。
それにしても、凛とした美しさに穏やかさが溶け込んでいる。
不思議な雰囲気の人だな。
「その作品に出てきたパンケーキを食べるために、ここへ?」
「そうです!」
思わず勢いよく答えてしまった。
「作中で主人公たちが食べてたんです。このお店の外観やパンケーキがすごくそっくりで」
「なるほど」
「だから、どうしても食べてみたくて」
実は、雪と桜が食べていたパンケーキは、それぞれ別のものだった。
メニューを見たとき、どちらにするか少し迷ったけど、結局選んだのは雪が食べていたほうだ。
……まあ、そこは譲れない。
せっかくここまで来たんだ。やっぱり、雪が食べていたものを食べてみたい。
そう言ってから、俺はふと自分の服を見た。
……そういえば、俺、女装してるんだよな。
なのに、普通にこの人と話している。
さっきまであんなに緊張していたのに。
「……なんか、不思議ですね」
「何がですか?」
女性が一瞬だけ目を大きく見開いた。
でも、俺が瞬きをしている間には、もう元の穏やかな表情に戻っていた。
「いや……こういうお店、一人で来るの初めてなので」
「ああ」
女性は納得したように頷いた。
「私も一人で来ることありますよ。今日もそうですし」
「そうなんですか?」
「はい。甘いもの好きなので」
「……分かります」
俺も甘党なので、思わず頷いてしまった。
少しだけ、緊張が解けた気がする。
「でも、今日で……」
彼女が何かを言いかけた、そのときだった。
「お待たせしました」
店員さんがやってきて、テーブルに皿を置いた。
ふわふわのパンケーキ。その上には、たっぷりのクリームとフルーツが乗っている。
「…………」
俺は言葉を失った。
「これ……」
雪が食べていた、あのパンケーキだ。
「……すごい」
思わず身を乗り出してしまう。
「そんなに嬉しそうにする人、初めて見ました」
向かいから声がした。
「だって……!」
危ない。また声が大きくなるところだった。
慌てて声を落とす。
「……ずっと食べてみたかったので」
「ふふ」
女性が笑った。
俺はスマホを取り出した。
「……ちょっとだけ」
「写真、撮るんですか?」
「はい」
角度を変えて、もう一枚。さらにもう一枚。
「……よし」
満足してスマホを置く。
「いただきます」
手を合わせて、フォークを手に取り……一口食べる。
「…………」
甘い。ふわふわしている。思っていたより、ずっと美味しい。
……それにしても、うれしいな。
俺は今、雪が食べていたものによく似たパンケーキを食べている。
ずっと画面の向こうにあったものが、目の前にある。
そりゃ、浮かれもする。
それに、俺だって今は、いつもとは違う姿をしている。
こうして知らない人と向かい合って、普通に話している。
……雪も、こんな景色を見ていたのだろうか。
「……少しだけ、分かった気がする」
「何がですか?」
「……あ」
しまった。
「えっと……このパンケーキがすっごく美味しいってこと……です」
「?」
「それだけです!」
女性がくすっと笑った。
「面白い人ですね」
「……よく言われます」
そんなことを言いながら、俺も少し笑った。
……まあ、褒められてるわけじゃないのは分かってる。




