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『好き』だけじゃ、言えない。  作者: 花守一栞
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第二話

『私はまた、ボクになって君に会う』――通称『ボク君』


一年以上追い続けてきた、俺の大好きな作品だ。


俺は、雪がどんな気持ちで桜に会いに行っていたのか、もっと知りたいと思っている。


性別を偽って、好きな人に会う。

本当の自分を見せられないまま、それでも桜の隣に立とうとする。


『もし、私が男の子だったら。』


作中で雪の心情が描かれたのは、その一言だけだった。


コメント欄は、その先の雪の気持ちを想像する読者の声で埋まっていた。


でも、俺にはその先をうまく想像できなかった。


それはきっと…俺が、雪や桜みたいに、誰かを本気で好きになったことがないからだ。


今、こうして女装をしている俺だって、雪のように好きな人に会いに行くわけじゃない。


だから、雪の気持ちを本当の意味で理解するには、まだ時間がかかるのだと思う。


――とはいえ、これだけは言わせてほしい。


もし俺が女の子だったら。


「こんな!! たーいへんなこと、やらなくて済んだんだー!!」


俺はそう叫びながら、スマホをベッドに放り投げた。


ぽすん、と間の抜けた音がする。


画面には、検索結果がずらりと並んでいた。


『初心者 女装 メイク』


『男 女装 自然に見せる』


『大学生 女装 服装』


『男 メイク 初心者』


……我ながら、ひどい検索履歴だ。


体毛の処理を済ませ、ウィッグネットを被った俺は、今まさにメイクと格闘している。


雪は男装だったから、メイクなんて必要ないのかもしれない。


それでも作中では、雪が桜に会うためにメイクをする場面があった。


動画を見ながら、慣れない手つきで化粧をする雪。その姿を、俺は可愛いと思っていた。


……まさか、自分が同じことをする日が来るとはな。


実際にやってみると、全然笑えない。


いや、笑えないどころか、普通に難しい。


「……これ、本当に合ってるのか?」


鏡を見ても、何が正解なのかさっぱり分からない。スマホの画面に目を戻すと、動画の中の女性は慣れた手つきで化粧品を使っていた。


……な、なにが違うというんだ


俺はもう一度鏡をのぞき込んだが、やっぱりよく分からなかった。


――でも、これも雪と同じ気持ちを味わえているってことじゃないか?


そう考えると、少しだけやる気が戻ってきた。


「俺、一人でやってみせるぞ」


自分に言い聞かせるようにつぶやき、もう一度スマホに目を向ける。


『初心者はまずベースメイクから』


「ベースメイク……」


聞いたことはある。


でも、具体的に何をすればいいのかは分からない。


「……下地?」


「ファンデーション?」


「コンシーラー?」


俺はスマホを机に置いた。


「多すぎるだろ!」


思わず叫んでしまった。


女装って、こんなに大変なのか……。


とりあえず、買ってきた化粧品を机の上に並べてみる。


妹から借りたのは服だけだ。メイク道具まで借りるのは、なんとなく負けた気がしたので、自分で買うことにした。


……できるだけ安いやつを。


何しろ、俺は万年金欠の大学生である。


それでも必要だと思ったものを少しずつ買っていった結果、机の上には見慣れない化粧品がずらりと並んでいた。


まずは下地からだ。


動画を見ながら、少量を指に取る。


「……少量って、どれくらいだよ」


よく分からないので、とりあえず顔に塗ってみる。頬に、額に、鼻に、顎に。指で伸ばしていくうちに、なんだか妙な気分になってきた。


自分の顔に何かを塗っていること自体、普段の俺には縁のない行為だ。いつもなら気にも留めない肌の凹凸や毛穴まで、やたらと気になってしまう。


「女の人って、これ毎日やってんの……?」


そんな疑問を抱きつつ、次はファンデーションに取りかかった。


動画では、スポンジで叩くようになじませるらしい。


言われたとおりにやってみる。


ぺたぺたと顔にスポンジを当ててから鏡を見ると、少しだけ肌が均一になった気がした。


劇的に変わったわけじゃないけど、さっきよりはマシ……なのか?


「……へえ」


思わず顔を左右に動かして、自分の肌を確認してしまった。


次はコンシーラーだ。


これがまた面倒くさい。


ニキビ跡や目の下のクマ、小さな肌の色の違い。普段なら気にも留めないようなところまで、一つずつ隠していかなければならない。


ようやくベースメイクが終わった頃には、俺はすでに疲れ始めていた。


「……まだベースなのかよ」


時計を見ると、思っていた以上に時間が経っている。


「女装、時間かかりすぎだろ……」


とはいえ、ここでやめるわけにはいかない。


次はアイメイクだ。


これが本当に大変だった。


「これを目の下に……?」


「濃くない?」


一度落として、もう一度塗ってみる。


「薄すぎない?」


少し足してみる。


「……濃いな」


また落とす。


そんなことを何度も繰り返しているうちに、机の上には綿棒やティッシュが散らばっていた。


「女の人、これ毎日やってるのか……」


……あれ、俺、このセリフ今日何回言ってんだ?


ほんと、心の底から尊敬する。


動画を止めては確認し、どうにか見よう見まねで進めていく。眉も整えてみたけれど、左右で微妙に形が違う気がする。アイラインも片方だけ太くなってしまい、直そうとしたら今度は薄くなりすぎた。


「……もういい」


これ以上やっても、余計にひどくなりそうだ。


俺は半ば諦めて、最後にリップを塗った。


ここまで来ると、最初に鏡を見たときとは少しだけ顔が違って見える。


……気がする。


「…………普通だな」


鏡の中にいるのは、相変わらず俺だった。


特別整った顔でもないし、目立つような顔でもない。どこにでもいる、ごく普通の大学生だ。


化粧をしたからといって、突然美少女になれるわけじゃないらしい。


「……まあ、俺だしな」


そうつぶやいて、少し笑った。


気を取り直して、最後の仕上げに取りかかる。


ウィッグネットの上から、買ったウィッグを被った。


俺が選んだのは、少し茶色がかったボブヘアだ。肩につくかつかないかくらいの長さで、毛先が内側にふんわりと丸まっている。派手すぎず、かといって地味すぎもしない。女装初心者の俺でも、これなら何とかなるんじゃないかと思って選んだ。


……まあ、被るだけなら簡単だと思っていたんだけど。


「……あれ?」


前髪がうまくまとまらない。


横の髪も片方だけ浮いているし、毛先も思ったように内側に収まってくれない。


「ウィッグって、被るだけじゃ駄目なのかよ……」


仕方なく、スマホのインカメラを起動して確認してみる。


前髪を少しずつ直し、横の髪を指で整える。毛先を内側に丸めるようにしてみたり、左右のバランスを確かめたりと、慣れない作業を繰り返した。


何度かやり直して、ようやくそれらしい形になった。


「……こんなもんか?」


スマホの画面を見ながら首を傾げる。


正直、これが正解なのかは分からない。でも、さっきよりはマシになったはずだ。……たぶん。


ようやく自分なりに納得できる形になったところで、俺は莉緒から借りた服を手に取った。


普段の俺なら絶対に選ばない服だ。


それを一枚ずつ身につけ、最後にスカートを履いた。


「…………」


なんとも言えない感覚だった。


鏡を見ると、脚が出ている。


ただそれだけなのに、どうにも落ち着かない。


普段はジーンズやスウェットばかりだから、脚に布がないこと自体が妙に心もとなかった。無意識にスカートの裾を引っ張ってしまう。


試しに少し歩いてみると、布が脚に触れた。もう一度歩くと、今度は裾が揺れる。


「……変な感じ」


たかが服装が変わっただけなのに、普段は意識もしないことまで気になってしまうのだから不思議なものだ。


俺はもう一度、鏡の前に立った。


顔は、いつもの俺だ。


それなのに、髪型も服装も違うせいか、見慣れた自分とは少し違って見える。


「……変なの」


鏡に映っているのは、間違いなく俺自身だ。


それなのに、なんだかいつもの自分じゃないみたいだった。


「……雪も、こんな感じだったのかな」


ふと、そんなことを考えた。


雪も、鏡の前で自分の姿を見つめたのだろうか。


いつもとは違う姿になった自分を見て、何を思ったのだろう。


……俺には、まだ分からない。


けれど、実際にこうして女装してみたことで、少しだけ想像できるようになった気がする。


雪がどんな気持ちで桜に会いに行ったのか。


もっと知りたい。


そう思いながら、俺はスマホを手に取って検索欄を開いた。


そこに表示された検索候補を見て、思わず声が出た。


『女装 歩き方』


「まだあるのかよ……!」


思わずツッコミを入れてしまった。


……どうやら、女装への道はまだまだ長いらしい。

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