魔王、高級焼肉店でマナーに苦戦する
「アイゼンよ。これを見ろ。……諭吉が五十人もいるぞ」
六畳一間の『魔王城』で、俺たちはアタッシュケースを囲んでいた。
ポイ活で一ポイントを競っていた日々が嘘のようだ。
「魔王様、これだけあれば『うまい棒』が五万本買えますぞ! もはや、お菓子の帝国を築けます!」
「馬鹿め、アイゼン。我らは一端の『万事屋』だ。まずは、この世界の上流階級が食しているという『高級焼肉』とやらを視察し、奴らの士気を削ぐ必要がある」
ということで、俺たちは新宿で一番高いと言われる焼肉店『叙々苑的な何か』の暖簾をくぐった。
アイゼンは交通整理のベストを脱ぎ、俺はダイソーで一番高かった(五百円)ネクタイを締めている。
「いらっしゃいませ。本日、ご予約の佐藤様でしょうか?」
案内されたのは、夜景が一望できる個室だった。
窓の外には、かつて俺が支配した領土よりも遥かに広大な、光の海が広がっている。
「ほう……。この肉、魔力でコーティングされているのか? この脂の輝き、ただ事ではないな」
「魔王様、これは『シャトーブリアン』という名の聖遺物にございます。お値段……一皿八千円」
八千円。かつて俺が退治した怪異の八十回分だ。
俺は震える手でトングを持ち、肉を網に乗せた。
ジューッ、という、至高の福音。
「……美味い。アイゼン、これは反則だ。こんなものを日常的に食べている人間が、我らに勝てるはずがない」
「左様でございますな……。しかし魔王様、先ほどから隣の部屋の『気配』が気になりませぬか?」
アイゼンの言葉に、俺は咀嚼を止めた。
個室の壁を隔てた隣から、低く、湿った声が聞こえてくる。
「……例の『欠片』の回収はどうなっている」
「はい。埋立地のノイズが消えた際、何者かに持ち去られたようで……」
俺は懐の『聖剣の欠片』に手を当てた。
隣にいるのは、あの『日食』の人間か、あるいはそれと繋がる権力者か。
「……構わん。欠片は一つではない。神奈川の『無人駅』の地下にも、次の供給源があるはずだ。あれを起動させれば、この街の負の感情は一気に飽和する」
ガタン、とアイゼンが椅子を鳴らした。
無人駅。それは先日、俺たちが女子高生の依頼で掃除したあの場所のことか。
「……アイゼン、肉を詰め込め。これ以上は味わっている暇はなさそうだ」
「御意。……しかし魔王様、この『冷麺』という魔法の食べ物だけは、完食してからでもよろしいでしょうか!」
俺たちは、五十万のうちの数万を支払い、店を飛び出した。
夜の新宿の雑踏。人々の笑顔の裏側で、巨大な「淀み」が意図的に作られようとしている。
「世界を支配するのはこの我だ。紛い物の組織に、この街の美味しい肉……いや、秩序を乱させるわけにはいかん」
俺はスマホを取り出し、先日助けた女子高生にメッセージを送った。
『例の駅に、変わった様子はないか?』
返信はすぐに来た。
『……駅のトイレの鏡に、見たことない紋章が描いてあります。これ、怖いです』
添付された写真には、黒い太陽の紋章。
戦場は再び、あの寂れた無人駅へと移ろうとしていた。




