25 フロスト
すずちゃんたちが旅立って、一ヶ月。俺は娘のフロイを眺めて、少しだけ頬を緩めた。
フロイはあれから、とても変わった。今までは生きる希望もほとんどないといった様子で、いつ消えてしまうか分からなくて不安だったが、今はとても元気に過ごしている。
今も、しっかりと夕食を食べている。さすがに俺ほどではないが、それに迫る勢いだ。
不思議に思って理由を聞いてみたところ、フロイ曰く、次にすずちゃんとニノちゃんが来た時のために、しっかりと体力をつけたいのだそうだ。
最近は俺と一緒に、夜にちょっとした訓練をするようになっている。訓練といっても、腕立て伏せや腹筋程度のものだが。
いつか、外に出てもたくさん動けるように。
それはいつになることだろう。すずちゃんからもらった魔力結晶は大切に保管しているが、これを加工できる人がこの街に来ることなんてほとんどないのだ。あったとしても、依頼を受けてくれるかも分からない。その日のうちに旅立ってしまって来訪に気付かない可能性もある。
最近は帰りにギルドに顔を出すようにしていて、ケイトさんという受付の人が気に掛けてくれるようになった。高位の薬師が来たら教えてくれる、とのことで、有り難いことだ。
もくもくと夕食を食べるフロイを眺めていると、扉が軽く叩かれる音がした。もう日が沈んで暗くなっているというのに、一体誰だろうか。
怪訝に思いながら、扉に近づく。
「どちら様で?」
「夜分遅くすみません。薬師のルーシアと申します」
「………。は?」
薬師ルーシア。この街では知らない人はまずいない。間違い無く高位の薬師でありながら、さらに一等級の魔法使いでもある、紛う事なき天才だ。どこかの陣営に所属することもなく、気ままに旅をしているためにどこにいるかも分からない、そんな人だ。
それほどの人が、何故我が家に。意味が分からない。
「失礼ですが、身分を証明できるものはお持ちですか?」
「え? あ、そうですよね……。ギルドカードはありますけど、ここだと確認できませんよね?」
当たり前だ。門やギルドなら専用の設備があるが、こんな一兵卒の家にあるわけがない。
俺が腕の立つ薬師を探しているのはこの街では有名な話だ。それを利用した詐欺という可能性もある。ここは追い返した方がいいだろう。都合良く、薬師ルーシアが来るとは思えない。
そう。追い出すべきだ。追い出すべき、だったのだ。
何故か、俺は気が付いたら扉を開けて、彼女を中に招き入れていた。
真っ白のローブに身を包んだ少女だった。腰まで届く長い銀髪が印象的だ。彼女自身まさか入れてもらえるとは思っていなかったようで、目をぱちぱちと瞬いている。
「えっと……。いいんですか?」
「あー……。うん。入ってくれ」
ここまで来たら仕方ない。話だけでも聞いてやろう。そう思って、椅子を出してやる。フロイはお肉を口に入れたまま唖然としていた。そんな目で見ないでくれ。俺も自分で自分が信じられない。
「かわいい子ですね。娘さんですか?」
「ああ。亡くなった妻の忘れ形見さ。ただ、ちょっと病気でな……」
「ふむ。とても肌が白いですね。どれどれ……」
唖然としたままのフロイの手を取る少女。真剣な面持ちでフロイの腕を優しく撫でている。フロイは俺と少女を交互に見ていた。混乱しているのがよく分かる。
「あれば、でいいんですけど、魔力結晶とかお持ちですか?」
少女が出した名称に、俺はわずかに息を呑んだ。頷くと、少女が続ける。
「ではこれも何かの縁ですし、薬を作ります。結晶をいただけますか?」
俺の頭の冷静な部分は、詐欺だ、断るべきだ、と何度も叫んでいる。でも、どうしてだろう。断ってはいけないと本能が訴えている。渡すべきだ、一生後悔するぞ、と。
結局俺は、直感とでも言うべき本能に従うことにした。
結論を言ってしまえば。
少女は正真正銘の薬師ルーシアであり、あれほど苦しめられたフロイの病気は、わずか一週間で完治してしまった。あまりにあっけなさ過ぎて、未だにフロイが日の下を走り回っている現実を受け入れられない。
「これで私の治療は終わりです」
呆然と、それはもう本当に嬉しそうに走るフロイを眺めていると、横から声をかけられた。フードを目深に被ったルーシアだ。彼女曰く、目立つのは嫌なので普段はこうして素顔を隠しているのだとか。
彼女は一週間、我が家に泊まり込み、つきっきりでフロイの面倒を見てくれた。感謝してもしきれない。だが困ったことに、金の持ち合わせはあまりない。薬師ルーシアを雇う金など、当然だがない。
「いくら、支払えばいい? 何年かかっても、必ず支払う」
知人友人に金を借りてでも、支払わないといけない。それだけのことをしてくれたのだから。
だがルーシアは、笑って首を振った。
「いりません。好きでしたことですから」
「え? いや、でも……」
「実を言うとですね。私はここに目的があって来たわけではないんです」
ルーシアの言葉に首を傾げる。彼女ほどの人物なら、目的のない旅などしないと思うのだが。
「なんとなく。ここに来なければいけないと思ったのです。虫の知らせと言いますか、ただの勘と言いますか。私にも理屈は説明できません。けれど私は、そういった勘には従うようにしています」
ルーシアが我が家へと振り返る。彼女の目に何が映っているのか、わずかに目を細めたのが分かった。
「ここに来て正解でした。とても珍しいものが見れましたから。フロイちゃんの治療は、そのお礼です」
「珍しい? 何かあったか……?」
魔力結晶なら珍しいが、しかしルーシアほどの人なら何度も目にしたことがあるはずだ。彼女が珍しいというほどなら、それ以上の何かを見たはずだ。
ルーシアは微笑み、言う。
「気付かないのは当然だと思います。むしろ、例え魔法使いであっても、これだけ自然と溶け込んでいるなら、まず気付かないでしょう」
「えっと……。つまり?」
「はい。この家には、加護がかかっています。とても優しい加護が」
加護。そんなもの、聞いたことがない。何かに守られているということだろうか。
「加護というのは、精霊が人や場所を気に入った時にかけるものですね。運が良くなったり、大地の魔力が集まって作物がよく育ったりと、様々な恩恵があります」
「へえ……。それが俺の家に?」
「はい。私の目でも、どういった加護かは分かりません。でも、とても強い加護ですね。私ですら、これほどの加護は初めて見ます。きっと、この加護が私を呼んだのでしょう」
精霊に気に入られるようなことなんて、俺はしていないはずなんだが。
そう思ったところで、ふと、すずちゃんの顔が思い浮かんだ。まだ幼いのに、旅することを選んだ不思議な女の子。もしかして……。
まさか、な。それこそあり得ない。あんな子が精霊とは思えない。人間くさいにもほどがある。
「私の目的には関係のないものでしたが、これはこれで良い経験になりました」
目的。俺は思わず隣の小柄な少女を見た。なるほど、この街に来てくれたのも、彼女の目的に関わっているかもしれないと思ったからか。
薬師ルーシアは魔法や薬師としての腕もそうだが、それ以上に有名になった理由がある。それが、彼女の目的に関わるものだ。
薬師ルーシアは不老不死だ。二百年もの昔に、魔族に呪いをかけられたと言われている。彼女は、その呪いを解く方法を、もしくは死ぬ方法を探して旅をしている。
もっともどこまでが本当かは俺には分からない。所詮は噂話程度の知識だ。自分が治療したフロイを見て少しだけ嬉しそうに微笑む少女を見ていると、そんな重たい理由があるとは思えなくなる。
「この加護をかけた精霊にいつか会ってみたいものですね。こんなに優しい精霊がいるなんて思いませんでした」
「そうなのか」
「はい。私が出会った精霊は、人間に興味を持っていない存在ばかりでしたから。自然を管理するのが役割の精霊なので、それが正しいのでしょうけどね」
だからこそ、家に加護をかけた、ということに驚いたらしい。俺にはよく分からない。
「もし会えたらお礼を言っておいてくれ。理由はどうあれ、本当に感謝してる。加護をかけてくれた精霊にも、そしてもちろん、あなたにも」
「ふふ。分かりました。会えたら、伝えておきます」
それでは、とルーシアは頭を下げて、フロイの元へ。フロイと短く会話をして、フロイの頭を撫でて立ち去っていった。
さて、気持ちを切り替えよう。フロイの病気が治ったのなら、やるべきことは山積みだ。
「フロイ。買い物に行くけど、一緒に来るか?」
「行くー!」
フロイが元気よく駆けてくる。日の下を走って、こちらへと。
俺はそれを見て、頬を緩める。未だに実感は湧かないが、それもいずれ、追いついてくるだろう。
胸に飛び込んできたフロイを、思わず少し強く抱きしめてしまった。
壁|w・)加護は主人公が完全無意識にかけたものです。
ご都合主義? それを起こすのがこのお話の主人公なのです。
明日はニノちゃん視点での閑話です。
誤字脱字の報告、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。




