エピソード19
「危ない!」
岩場で足を滑らせた私の手を取ってくれたのは優太朗だった。下手すれば海に落ちていたかもしれないし、そうでなくともごつごつしたこの岩の上で無防備に転がれば怪我は免れ得ない。
優太朗は、私の手を引きながら、ぶうたらと文句を言った。
「だから言ったじゃん、危ないよって。ねえりんちゃん、やっぱり岩場は辞めて砂浜で砂遊びにしようよ。今すごく危なかったよ」
小学1年生の時の話だ。磯遊びにはまった私が例によって危険な岩場の方で探検をしている時のことだった。
「なーに言ってるの。今さっきゆうちゃんが助けてくれたばかりじゃん」
そう言って、私はまだ繋いだままの手を掲げた。すると、優太朗は急に恥ずかしくなったみたいにその手を振りほどいた。
「今だって僕が助けなかったら、怪我してたかもしれないじゃん!」
「でも、ゆうちゃんが助けてくれたじゃん」
けろっと言い放つ私を見て、優太朗は何故か赤くなってそっぽを向いた。
「た、たまたまだよ! もう、りんちゃんなんか助けてやらない!」
そう言って、優太朗は一人で岩の上を進んでいった。なるべく平らな部分を選んで歩いているとはいえ、私から見ると優太朗の方がよっぽど危なっかしかった。
「待ってよ」
私が言うが早いが、優太朗はもう「うわ!」と声をあげて足を滑らせ体勢を崩していた。幸い、転ぶことはなかったが、その後優太朗はその場にへたり込んでしまった。ぬめぬめした岩の表面に尻をつけるとズボンが濡れるだろうに、それももうどうでもいいようだった。
「もういや! 砂場に戻ろうよ!」
へたり込む優太朗の傍らまで来ると、私はため息を吐いた。
「もう、男の子のくせに弱虫なんだから」
「弱虫でもいいから! 戻ろうよ!」
優太朗は今にも泣き出しそうで、仕方なく私達は慎重に来た道を取って返し、海岸に突き出た磯部分から砂浜部分へ帰ってきたのであった。ひょいっと最後に岩から砂浜へ飛び降りる。続いて優太朗も。よっぽど安堵したのか、優太朗は大きなため息を吐いた。
「怖かった」
砂浜にまたへたり込む優太郎を見て、私は困ったもんだと思った。
「あそこの溜まりにはいっぱい生き物がいて面白いのに。ゆうちゃんだってもっと気を付けて歩けば絶対に転ばないよ。怖くなんかないよ」
すると、優太朗はむっとしたように座ったまま私を見上げてきた。
「りんちゃんだって今さっき転びそうになってたくせに」
「あ、あれは……」
なまじ優太朗に助けられただけに言い返せない。すると、優太朗はむっとしていた表情から一変して泣き虫モードに入って言った。
「ぼくは、りんちゃんが転ぶのが一番怖かった」
「え?」
唐突に言われた言葉を、私はよく理解できなかった。
「りんちゃんが死んじゃうんじゃないかって、すごく怖かった!」
目に涙を溜めて睨んでくる優太朗に、私は急に何も言えなくなってしまった。優太朗はもちろん自分が怖いのもあっただろうが、それ以上に足を滑らせた私を見て私のことを心配していたのだった。
「ゆうちゃん……」
私の後について回るだけだった優太朗が、初めて私自身のことを心配して怖がっているのを見て、私は不思議な気持ちになった。
「ねえ、じゃあまた助けてよ。ゆうちゃんが転びそうになったらりんなが助けるからさ、りんながころびそうになったらゆうちゃんが助けてよね」
「ぼくが?」
信じられないように優太朗は目を丸くした。それから不意に立ち上がってにっこり笑った。
「分かった。じゃあ、りんちゃんが危ない時はぼくが助けるよ!」
急に勢いづいた優太朗に、私は「またゆうちゃんのお調子者っぷりが出た」と内心呆れていないでもなかったが、それ以上に不思議な喜びがあった。
「じゃあ、約束ね!」
そう言って、私達は潮風に吹かれながら小指を絡め合った。今から何年も昔の話だ。あの約束を、優太朗は今も覚えてくれているのだろうか。ゆうちゃんは、今も覚えてくれているのだろうか。




