エピソード9
「付き合うって、誰とだ!?」
凜奈が家にやってきた夕方の午後5時頃。制服のまま俺の家に上がった凜奈は、まるで明日の天気の話でもするみたいに、そのことを口にした。
「もう、声が大きいよ」
読んでいた漫画から顔を上げ、ベッドの上で凜奈が俺を振り返った。その顔は、本当にうるさそうにしかめられていた。
「だから、2組の鈴谷遼君。知ってるでしょ? 同じ男子なんだから」
「え、ちょっと待ってよりんちゃん。冗談でしょ?」
昔の呼び方がこぼれてしまうくらい俺は驚きの極みに沈んでいた。しかし、凜奈は本当に何でもなさそうに再び漫画を読み始めた。
「昨日の放課後に呼び出されて告られたの。断る理由もないし、いいかなって」
服を決めるような気軽さでしゃべる凜奈。対して俺の思考はフリーズしたまま再起動しない。自分の勉強机に座ったまま、俺はベッドに寝そべっている凜奈の後ろ姿を眺めた。
中学に入ってから、凜奈が男子達から密かな人気があったことも俺はしっかりと知っていた。しかし、それはあくまで気安く話せる友達のような人気で、異性として持てはやされているのではないと無意識に思い込んでいた。けれども実際、俺はこのあと友人の何人かから「八武崎狙ってたんだけどなー、残念!」というような言葉を耳にし、愕然とすることになったのだ。
しかし、少なくともこの時点では、その凜奈が男と付き合うなどということは俺にとっては青天の霹靂だった。悪い夢にうなされているようで、俺は思わず凜奈から目をそらした。
「ま、別に私と優太朗の何が変わるってわけでもないでしょ?」
漫画に目を落としたままの凜奈に、俺は答えることができなかった…………
枕元の時計に目を向けると、薄暗い部屋の中でアナログの時計が午前5時を示していた。胸の鼓動がいやに大きく聞こえる。凜奈と俺の関係が清算されたのはもう3日も前の話なのに、俺自身まだこの新しい自分に馴染んでいないのだろうか。
布団を剥いで窓際まで足を運ぶ。カーテンをめくると、外ではしとしとと雨が降っていた。連日雨が続くのは梅雨の為だ。雨雲のせいか、それとも時間帯のせいか、外はまだ薄暗い。目覚まし時計が騒ぎ立てるまではあと1時間もあった。
再びベッドに潜り込むと、自分の名残りが妙に生暖かく感じられた。完全に目が冴えてしまったようで、これ以上は寝付けそうにない。小さくため息をついて、俺は立ち上がって電灯の紐を引いた。
「だ・か・ら! 言ったじゃん、予約しといてって!」
「もうしょうがないだろ!? 忘れてたんだから!」
通行人も多い駅前通りの、とあるデパートの入り口前で私と優太朗はみっともなく喧嘩していた。あれはいつだったろう。多分、けっこう最近の話だ。今年の春休み辺りだったと思う。
新しい大型デパートが隣町に出来たので、休みを利用して優太朗と視察に来たのだ。私が目をつけておいたそのうちの一つの料理店が、予約制だったので優太朗にそれを頼んでおいたのだが、奴はものの見事に忘却していた。
「なんで忘れるの!? あれだけ言ったじゃん!?」
「これまでここらで予約必要な店なんてなかっただろ!」
「開き直るな!」
デパートを出た途端、お互いの溜まりに溜まった不満が爆発したのだ。
「はあ!? だいたい俺は凜奈に引っ張り回されてここに来たんだけど。付き合ってやってるのは俺だぞ!?」
「なに偉そうにしてるわけ。優太朗のくせに!」
「買い物なんてもともと俺はしたくなかったんだよ!」
「それなら最初にそういえばいいじゃん! 何で言わなかったのよ!」
「言ったよ! でも凜奈まったく聞かなかったじゃん!」
お互い、唾を飛ばし合いながら怒鳴る。元々、買い物の途中から優太朗は態度が嫌に捻くれてて、それも私の不快の元となっていた。いやむしろ、ここ最近の優太朗は総じてどこか荒れていた。
「もういいよ。優太朗に頼むんじゃなかった。次からは遼君とくる!」
「……っ!!」
もののはずみでそう言ってしまうと、優太朗はくるりと私に背を向けた。それから、私に背中を向けたまま地面にこう吐き捨てたのだ。
「だったら! 最初から俺なんかと来ないでりょうの奴に頼めよ!」
空が明るくなってきた。けれども、それはあくまで夜中に比べたらと言う程度で、相変わらずの五月雨は空の低い位置にまで雨雲を垂らしていた。壁の掛け時計は午前5時を指している。もう、2時間もこうしていたわけだ。
勉強机の上でぼんやりとしながら、窓枠の外を眺める。ここ最近上手く眠れず、午前3時くらいには浅い眠りから覚めてしまう。目が覚めたら、もう二度と眠れない。仕方ないから、こうやってぼんやり時間を潰す。
優太朗に振られてから、もう3日が経った。正直、ここ3日間は何が起こったのかよく覚えてない。悪い夢を見てるみたいだ。思えば、優太朗が変になったのは今年の2月に遼君と付き合いだしてからだった。時々変に言いよどんだり、急に怒りだしたり。
ずっと一緒にいたのに、私は優太朗の何を知っていたんだろう。私は一体、誰が本当に好きだったのか。
空が明るくなると何故だか無性に悲しくなって、私は一人ひっそりと涙を流した。




