第8話 信長の目
それから数日。
新七は、今までと変わらず仕事をこなしていた。
荷の確認。
城内の警護。
使い。
派手な仕事はない。
「全然、出世しませんね。」
俺が言うと。
新七が睨んだ。
「まだ数日じゃ。」
「分かってますけど。」
「おぬしはせっかちじゃな。」
「もう二年もないですから。」
その言葉に。
新七は黙った。
本能寺まで。
時間は減り続けている。
その日の昼。
一人の男が新七を呼びに来た。
「久世新七。」
「はっ。」
「信長様がお呼びじゃ。」
新七の顔が変わった。
俺も立ち上がる。
「俺は?」
男が俺を見る。
「玲央も来いとのことじゃ。」
また俺もか。
新七と顔を見合わせる。
「行くぞ。」
「はい。」
城の中を進む。
何度来ても。
信長に会う前は緊張する。
部屋の前で新七が頭を下げた。
「久世新七にございます。」
「入れ。」
中へ入る。
信長は一人ではなかった。
何人かの家臣が座っている。
俺と新七が頭を下げる。
「面を上げよ。」
顔を上げる。
信長が新七を見る。
「新七。」
「はっ。」
「先日の働き、聞いたぞ。」
「ありがたきお言葉。」
「人が足らぬ中、よく収めたそうじゃな。」
「はっ。」
信長はしばらく新七を見ていた。
それから。
俺へ視線を移す。
「玲央。」
「はい。」
「今回は何もしておらぬそうじゃな。」
「……はい。」
信長が少し笑う。
「珍しい。」
「どういう意味ですか。」
「そのままの意味じゃ。」
まただ。
この人。
やっぱり俺を見ている。
信長は新七へ視線を戻した。
「明日。」
「はっ。」
「使いを頼む。」
新七の表情が引き締まる。
「承知いたしました。」
家臣の一人が。
一通の書状を新七の前へ置いた。
信長が言う。
「明智光秀へ届けよ。」
その名前を聞いた瞬間。
俺は顔を上げた。
明智光秀。
本能寺の変。
二年後。
信長を殺す男。
気づけば。
信長が俺を見ていた。
「どうした。」
「……いえ。」
「光秀の名を知っておるのか。」
心臓が跳ねた。
「有名な方なんですよね。」
信長は少しだけ目を細める。
「ほう。」
それ以上は聞かなかった。
でも。
今の反応は。
完全に見られた。
信長が新七を見る。
「本人に直接渡せ。」
「はっ。」
「途中で誰にも預けるな。」
「承知いたしました。」
新七が書状を受け取る。
部屋を出たあと。
新七が俺を見る。
「おぬし。」
「はい。」
「顔に出すぎじゃ。」
「仕方ないでしょ。」
「なぜじゃ。」
俺は周りを確認して。
声を落とした。
「明智光秀ですよ。」
新七の表情が変わる。
二人とも。
もう。
その名前が何を意味するか知っている。
「……本能寺の。」
「はい。」
新七は黙った。
俺も何も言わなかった。
翌朝。
俺たちは城を出た。
新七は信長から預かった書状を持っている。
俺はその横を歩く。
「緊張してるんですか?」
「誰に物を言うておる。」
「してる顔ですけど。」
新七が俺を見る。
「明智殿は、わしより遥かに上の方じゃ。」
「やっぱり。」
「やっぱりとはなんじゃ。」
「いや。」
俺は前を見る。
明智光秀。
教科書に出てくる名前。
俺が知っているのは。
本能寺の変。
織田信長。
明智光秀。
それくらいだ。
なのに。
今から。
本人に会う。
しばらくして。
目的の屋敷へ着いた。
新七が名を告げる。
「織田信長様より、書状をお預かりして参った。」
門番が頭を下げる。
「こちらでお預かりいたします。」
新七は書状を渡さない。
「信長様より、明智殿ご本人へお渡しするよう仰せつかっておる。」
門番が少し困った顔をした。
「しばし、お待ちを。」
俺たちは待った。
しばらくして。
中へ通される。
部屋の奥に。
一人の男が座っていた。
落ち着いた物腰。
表情も穏やかだった。
でも。
何を考えているのか。
まったく読めない。
俺は一瞬で分かった。
この人が。
明智光秀。
新七が頭を下げる。
「久世新七にございます。」
「うむ。」
光秀が新七を見る。
「信長様より、書状をお預かりして参りました。」
新七が両手で差し出す。
光秀が受け取る。
「ご苦労。」
「はっ。」
それだけで終わる。
そう思った。
でも。
光秀の目が俺に向いた。
「そなたは。」
「玲央と申します。」
「新七の供か。」
「はい。」
光秀は俺を少し見る。
「若いな。」
「十六です。」
「十六。」
光秀が小さく頷く。
俺は緊張を誤魔化すように。
部屋の中を見る。
そのとき。
口が勝手に動いた。
「丹波って、明智殿が平定したところですよね。」
新七の顔が固まった。
しまった。
光秀の表情が止まる。
「……何?」
俺も止まる。
さっきまでの穏やかな顔から。
笑みが消えた。
「そなた。」
少し間を置く。
「なぜ丹波のことを知っておる。」
「いや。」
「聞いたことがあって。」
「誰にじゃ。」
「それは……。」
答えられない。
新七も何も言わない。
光秀は俺から目を離さない。
「聞いたことがある、か。」
「はい。」
光秀が少し身を乗り出す。
穏やかだった空気が。
変わった。
「おぬし。」
俺は息を止めた。
「何者じゃ。」




