第20話 五十人の指揮
天正九年(1581年)、八月。
因幡国へ向かう街道を、五十人の兵が進んでいた。
その先頭に立つのは、久世新七。
俺が初めて会ったころは、まだ名も知られていない一人の武士だった。
それが今では、信長から五十人もの兵を預かっている。
「新七さん。五十人って、改めて見るとすごい数ですね。」
「数が多ければ、それだけ気を配らねばならぬ。」
新七さんは後ろを振り返った。
「足を痛めた者はおらぬか。水は足りておるか。」
兵の一人が答えた。
「問題ございませぬ。」
「よし。次の村で休息を取る。」
俺は新七さんの横顔を見た。
以前、十人を率いて商人を守ったときとは違う。
命令を待つだけだった武士が、今では自分で兵を動かしている。
信長から与えられた任務は、羽柴秀吉のもとへ赴き、鳥取城の戦況と毛利方の動きを調べること。
必要であれば、秀吉軍の働きも助ける。
俺は鳥取城が十月に落ちると知っている。
だが、その知識がどこまで役に立つのか。
それはまだ分からなかった。
***
羽柴軍の陣に到着すると、俺たちはすぐに秀吉のもとへ案内された。
「おお! 上様からの使いか!」
現れた男は、小柄ながら、よく通る声をしていた。
羽柴秀吉。
後に天下人となる男だ。
「久世新七と申します。上様より書状を預かってまいりました。」
新七さんが書状を差し出した。
秀吉は目を通すと、顔を上げた。
「五十人も預けられたか。上様も、そなたに期待しておられるようじゃな。」
「身に余る光栄にございます。」
秀吉は俺に目を向けた。
「そちらの若いのは?」
「親類の玲央にございます。」
「十六歳の玲央です。よろしくお願いします。」
「十六か。若いのう!」
秀吉は笑った。
「上様からの書状に、そなたのことも書いてあったぞ。」
「俺のことですか?」
「鳥取城が十月に落ちると申したそうじゃな。」
周囲の家臣たちが俺を見た。
「……はい。」
「わしの戦の結末を、わしより先に知っておるとはな。」
秀吉は面白そうに笑った。
だが、すぐに表情を引き締めた。
「久世殿。まずは戦況を説明しよう。」
***
広げられた絵図には、鳥取城と周囲の山々が描かれていた。
秀吉が城を指さした。
「城は包囲しておる。力攻めはせぬ。兵糧が尽きるのを待つ。」
「毛利方の動きはいかがでしょうか。」
新七さんが尋ねた。
「それが気がかりじゃ。毛利が援軍を送ってくれば、こちらも備えねばならぬ。」
秀吉は絵図の西側を指した。
「山道が多く、すべてを見張ることはできぬ。敵がどこから動くか、まだ読み切れぬのじゃ。」
新七さんは絵図を見つめた。
「羽柴様。わしに五十人を預けられたのは、上様のご判断にございます。どうか、この者たちをお使いください。」
秀吉は新七さんを見た。
「何か考えがあるのか。」
「毛利方の動きを探るため、周辺の道を調べとうございます。五十人を幾つかの組に分け、情報を集めます。」
秀吉は頷いた。
「よかろう。こちらの案内役も付けよう。敵の動きを見つけたら、すぐ知らせよ。」
「はっ!」
こうして、新七さんの任務が始まった。
***
新七さんは五十人の兵を集めた。
「これより、五組に分かれて動く。」
兵たちが姿勢を正した。
「一組十人。各組に案内役を付け、周辺の街道と山道を調べよ。敵を見つけても、勝手に戦うことは許さぬ。」
一人の兵が尋ねた。
「新七様。敵と遭遇した場合はいかがいたしましょう。」
「無理に戦わず、退け。情報を持ち帰ることを第一とする。」
「はっ!」
新七さんは続けた。
「民を脅して道を聞くことも禁ずる。協力してくれる者には、礼を尽くせ。」
俺は横で聞いていた。
五十人が、新七さんの命令で動いている。
その姿は、もう立派な武将に見えた。
***
三日後。
各組から報告が集まり始めた。
「西の街道で、武装した者たちを見かけました。」
「北の山道では、荷を積んだ馬が通っております。」
「南の村では、数日前から見知らぬ兵が食料を買い集めているそうです。」
新七さんは一つ一つの報告を聞き、絵図に印を付けていった。
「新七さん。結構、敵が動いてますね。」
「そうじゃな。」
「でも、鳥取城は落ちるんですよね。」
「そなたは、そう申した。」
新七さんは絵図を見つめた。
「玲央。そなたの知る歴史では、毛利の援軍は鳥取城を救えぬのじゃな。」
「はい。」
「ならば、援軍が来ぬのか。それとも、来られぬのか。」
俺は答えられなかった。
学校では、そこまで詳しく習っていない。
「……分かりません。」
「そうか。ならば、そこを確かめる。」
新七さんは兵の一人を呼んだ。
「各組の報告を、もう一度整理せよ。兵の数、向かった方角、荷の量、すべてじゃ。」
「はっ!」
新七さんは絵図の西側を指した。
「この三つの道で、同じような報告が出ておる。」
俺も絵図を見た。
三つの道。
どれも鳥取城から西へ離れた場所だった。
「兵が集まってるんですか?」
「そう見える。だが、鳥取城へ向かう動きは確認できておらぬ。」
新七さんは立ち上がった。
「明日、わしが確かめに行く。」
***
翌日。
新七さんは二十人を率いて西の山道へ向かった。
残る三十人は、それぞれの持ち場で監視を続ける。
俺も同行した。
山を越えると、小さな集落が見えてきた。
その外れに、馬と荷車が集まっている。
武装した兵の姿もあった。
「新七様。」
先頭の兵が声を落とした。
「敵方の兵と思われます。」
新七さんは頷いた。
「ここから様子を見る。」
俺たちは木々の陰に身を隠した。
しばらくすると、荷車が動き始めた。
「新七さん。」
「何じゃ。」
「鳥取城へ向かうんですか?」
「いや。反対じゃ。」
「反対?」
「あの道は西へ続いておる。」
俺は驚いた。
兵糧を運んでいるように見えるのに、鳥取城とは逆方向へ進んでいる。
新七さんは道案内の男に尋ねた。
「あの先には何がある。」
「毛利方の拠点へ続く道にございます。」
新七さんは考え込んだ。
「兵は集まっておる。だが、今のところ鳥取城へ向かっておらぬ。」
俺は思わず言った。
「じゃあ、援軍は来ないんですか?」
「それはまだ分からぬ。」
新七さんは首を振った。
「今見たことだけで、毛利が援軍を出さぬと決めつけてはならぬ。」
俺は黙った。
確かにそうだ。
俺は結果を知っている。
だから、目の前の出来事を全部その結果に結びつけようとしていた。
でも、新七さんは違う。
実際に見たものから判断している。
「戻るぞ。」
新七さんが命じた。
「羽柴様に報告する。」
***
羽柴軍の陣へ戻ると、秀吉はすぐに新七さんを呼んだ。
「どうじゃ。何か分かったか。」
新七さんは絵図を広げた。
「西の三つの道で、毛利方と思われる兵の動きを確認いたしました。いずれも鳥取城へ向かう様子はございませぬ。」
秀吉が身を乗り出した。
「三つともか。」
「はっ。ただし、今後も同じとは限りませぬ。」
「うむ。」
新七さんは続けた。
「兵を集めていることは確かにございます。ですが、現時点では城への救援よりも、別の拠点への集結が目的ではないかと考えております。」
秀吉は絵図を見つめた。
「なるほど……。」
しばらく考えたあと、顔を上げた。
「久世殿。」
「はっ。」
「よく働いてくれた。五十人を預けられただけのことはある。」
新七さんが頭を下げた。
「恐れ入ります。」
秀吉は笑った。
「上様には、そなたの働きを詳しく伝えよう。」
俺は思わず顔を上げた。
信長に伝わる。
それは、新七さんの出世にとって大きな意味がある。
秀吉は俺を見た。
「それにしても、玲央。」
「はい。」
「そなたの言葉も、気になっておる。」
「鳥取城のことですか?」
「そうじゃ。十月に落ちると申したな。」
「はい。」
秀吉は鳥取城の方角を見た。
「わしも必ず落とすつもりじゃ。だが、戦は思いどおりに進まぬこともある。」
そして、俺に向き直った。
「それでも、十月と言い切るか。」
俺は頷いた。
「はい。十月に落ちます。」
秀吉は笑った。
「よし。ならば、わしも負けておれぬな!」
***
その夜。
俺は新七さんと並んで、陣の外に座っていた。
遠くには鳥取城の山影が見える。
「新七さん。」
「何じゃ。」
「今日、秀吉様に褒められましたね。」
「うむ。ありがたいことじゃ。」
「信長様にも報告してくれるそうですよ。」
「そうじゃな。」
俺は少し笑った。
「また出世するかもしれませんね。」
新七さんは俺を見た。
「玲央。」
「はい。」
「まだ戦は終わっておらぬ。」
「……そうですね。」
「城が落ちるまでは、何が起きるか分からぬ。わしも、最後まで役目を果たすつもりじゃ。」
俺は頷いた。
新七さんは、以前よりずっと頼もしくなっていた。
今は五十人を動かし、秀吉に直接報告する立場になっている。
そして、その働きが信長にも伝わろうとしている。
俺の知っている歴史では、鳥取城は十月に落ちる。
でも、その日まで何が起きるのか。
俺には分からない。
新七さんは立ち上がった。
「明日も早い。休むぞ。」
「はい。」
俺も立ち上がった。
十月まで、あと二か月。
俺の予言が本当に的中する日が、少しずつ近づいていた。




