第19話 未来を知る玲央
天正九年(1581年)七月。
新七さんが馬廻に取り立てられてから、半年ほどが過ぎていた。
その日、俺たちは信長に呼び出され、安土城の一室へ向かっていた。
「新七さん。今日は何の用事なんですか?」
「詳しくは聞いておらぬ。羽柴殿の件とだけ伝えられた。」
「羽柴殿?」
「羽柴秀吉様じゃ。今は中国地方で毛利と戦っておられる。」
秀吉。
その名前を聞いて、俺は足を止めた。
「どうした?」
「いえ、何でもないです。」
秀吉が中国地方で戦っている。
そして今は、1581年。
俺の頭に、歴史の授業で習った出来事が浮かんだ。
鳥取城の戦い。
確か、この年だったはずだ。
***
部屋には信長のほか、丹羽長秀と数人の家臣がいた。
俺たちが入ると、信長が口を開いた。
「新七。羽柴から知らせが届いた。」
「はっ。」
「因幡の鳥取城を攻めておるが、毛利の動きが気になる。」
鳥取城。
やっぱりだ。
信長は続けた。
「毛利が大軍を差し向ければ、羽柴も容易には攻め落とせまい。」
長秀が口を開いた。
「羽柴殿は城を囲み、兵糧を断つ構えにございます。しかし、毛利の援軍が到着すれば、戦況は変わりましょう。」
信長は腕を組んだ。
「新七。そなたに一つ役目を与える。」
「何なりと。」
「羽柴のもとへ赴き、戦況を確かめてまいれ。毛利の動きも調べ、わしに報告せよ。」
「はっ!」
新七が深く頭を下げた。
俺はその隣で、鳥取城の戦いについて必死に思い出していた。
秀吉。
兵糧攻め。
毛利の援軍。
そして、鳥取城の落城。
確か十月だった。
「……十月。」
思わず声が漏れた。
信長の視線が俺に向いた。
「何じゃ?」
しまった。
「い、いえ。」
「今、十月と申したな。」
部屋の空気が変わった。
新七さんが俺を見た。
「玲央。」
俺は迷った。
ここで黙っていれば、何も起きない。
けれど、新七さんにとって、これほど大きな機会はないかもしれない。
俺は信長を見た。
「鳥取城は、十月に落ちます。」
誰も口を開かなかった。
信長がゆっくりと身を乗り出した。
「何と申した?」
「鳥取城は、今年の十月に落ちます。」
長秀が眉をひそめた。
「玲央。それは何を根拠に申しておる?」
「……。」
答えられない。
俺が未来から来た人間だなんて、信じてもらえるはずがない。
信長は俺から目を離さなかった。
「続けよ。」
「毛利は鳥取城を救えません。羽柴様の兵糧攻めが成功します。」
「毛利が救えぬと?」
「はい。」
「なぜじゃ。」
俺は唇をかんだ。
歴史で習ったから。
そんな説明が通じるわけがない。
「詳しい理由は、うまく説明できません。」
長秀が厳しい声を出した。
「それでは話にならぬ。戦の行方を根拠もなく言い切るものではない。」
「申し訳ありません。」
俺は頭を下げた。
そのとき、信長が笑った。
「面白い。」
長秀が信長を見た。
「上様。」
「この小僧、鳥取城が落ちる月まで言い切りおった。」
信長は俺に尋ねた。
「玲央。もし毛利が援軍を送れば、どうなる?」
「……鳥取城は落ちます。」
「羽柴が敗れることはないと申すか。」
「はい。」
「言い切るのじゃな。」
「はい。」
俺の声は震えていた。
信長はしばらく考えていた。
そして、新七を見た。
「新七。」
「はっ。」
「そなたはどう思う。」
新七は一度、俺を見た。
俺たちは以前、佐久間信盛の追放を巡って同じような話をしたことがある。
あのときも、俺は未来の出来事を知っていた。
そして、それは現実になった。
新七さんは、そのことを覚えている。
「玲央の申すこと、わしは信じとうございます。」
長秀が驚いた顔をした。
「新七。そなたまで何を申す。」
新七は頭を下げた。
「根拠を示せぬことは承知しております。ですが、玲央はこれまでにも、わしには知り得ぬことを言い当てております。」
信長の目が細くなった。
「ほう。」
俺は新七さんを見た。
そこまで言って大丈夫なのか。
信長が尋ねた。
「何を言い当てた。」
新七は一瞬だけ言葉を選んだ。
「佐久間殿の件にございます。」
「佐久間?」
「はい。あの方が追放される前、玲央はその行く末を申しておりました。」
信長は黙った。
佐久間信盛。
長年仕えた重臣を追放したのは、信長自身だ。
その決定を、事前に知っていた人間がいる。
信長は再び俺を見た。
「玲央。」
「はい。」
「そなた、何者じゃ。」
背中に冷たい汗が流れた。
「……新七さんの親類です。」
信長は笑わなかった。
「それは聞いておる。」
俺は何も言えなくなった。
長い沈黙が続いた。
やがて信長は新七に向き直った。
「よかろう。」
「はっ。」
「鳥取へ行け。そして羽柴のもとで、戦況をその目で確かめよ。」
「承知いたしました。」
「ただ報告を持ち帰るだけでは足りぬ。そなた自身の目で、何が起きておるか見極めるのじゃ。」
「はっ!」
信長は俺を指さした。
「玲央。そなたも同行せよ。」
「俺も、ですか?」
「十月に城が落ちると申したのであろう。その言葉、最後まで責任を持て。」
「……はい。」
「もし本当に十月に落ちたならば、そなたには改めて聞きたいことがある。」
信長の目が鋭く光った。
「そのときは、今のような曖昧な答えでは済まさぬぞ。」
***
城を出たあと、新七さんは俺を連れて、人通りの少ない場所まで歩いた。
「玲央。」
「はい。」
「鳥取城の話、本当に間違いないのじゃな。」
「俺の知っている歴史では、十月に落ちます。」
「そうか。」
新七さんは腕を組んだ。
「ならば、わしはその戦で役目を果たさねばならぬ。」
「新七さん。」
「何じゃ。」
「俺の知識が間違ってたら、どうします?」
新七さんは俺を見た。
「そなたは間違っておると思うのか。」
「……思いません。」
「ならば、それを信じよう。」
俺は少しだけ安心した。
でも、新七さんは続けた。
「ただし、玲央。未来を知っておることと、戦場で何が起こるかを見極めることは別じゃ。」
「はい。」
「わしは、そなたの知識だけに頼るつもりはない。」
新七さんの表情は真剣だった。
「羽柴様のもとで働き、わし自身の力で功を立てる。」
俺は頷いた。
「俺も手伝います。」
「頼むぞ。」
俺たちは並んで歩き出した。
今まで、新七さんの出世を助けたいと思ってきた。
でも、今回は違う。
俺の知っている歴史が、本当に大勢の人間の運命に関わろうとしている。
しかも、その知識に信長が目をつけた。
十月。
鳥取城が落ちる日。
そのとき、信長は俺に何を聞くんだろう。
俺は安土城を振り返った。
新七さんに大きな手柄を立ててもらう。
そのために、俺もできることをする。
ただ一つだけ、気になっていた。
歴史どおりに鳥取城が落ちたとして。
その先の歴史まで、同じように進むとは限らない。
本能寺の変まで、残された時間は一年を切っていた。




