第17話 山中の武士
安土城。
朝の務めを終えた新七が、丹羽長秀に呼び止められた。
「久世殿。少しよろしいか。」
「はっ。」
長秀の隣には、見知らぬ武士が立っていた。
「近江の山中で、武装した者たちが集まっておる。村から訴えが届いてな。」
「賊でございますか。」
「それが分からぬ。村の者は賊だと申しておるが、まだ誰も襲われてはおらぬそうじゃ。」
長秀は続けた。
「上様から、そなたに調べさせよとのお言葉があった。」
「承知いたしました。」
「十人をつける。必要ならば捕らえてもよい。ただし、無用な争いは避けよ。」
「はっ。」
長秀は隣の武士を紹介した。
「村井弥兵衛じゃ。現地の道に詳しい。案内させよう。」
「村井弥兵衛にございます。」
三十代半ばほどの、日に焼けた男だった。
新七が頭を下げる。
「久世新七と申す。よろしくお願いいたす。」
弥兵衛も頭を下げた。
俺は二人のやり取りを聞きながら考えていた。
山の中に武装した集団。
しかも正体不明。
なんだか、これまでの仕事より危なそうだ。
「玲央。」
新七が俺を見た。
「はい。」
「今回は安土に残ってもよいぞ。」
「えっ。俺だけですか?」
「山へ入ることになる。危険もあろう。」
俺は少し迷った。
正直、怖くないと言えば嘘になる。
でも、新七さんが何をするのか、自分の目で見たかった。
「一緒に行きます。」
「そうか。ならば、わしの指示には必ず従え。」
「はい。」
***
安土を出発して半日ほど。
一行は山あいの村へ到着した。
村長の家に案内されると、五十代ほどの男が深々と頭を下げた。
「お待ちしておりました。」
新七が尋ねる。
「武装した者たちが集まっておると聞いた。詳しく話してくれ。」
「三日前から、山の奥に男たちが住み着いております。十人ほどで、槍や刀を持っておりまして。」
「村に何かしたのか。」
「まだ何も。ですが、恐ろしくて山へ入れませぬ。」
「男たちの顔に見覚えは。」
「ございませぬ。」
新七は頷いた。
「分かった。まずは様子を確かめよう。」
村長が慌てて顔を上げた。
「討ち取ってくださらぬのですか?」
「賊と決まったわけではない。」
「ですが、武器を持っております!」
「わしらも持っておる。」
村長は言葉に詰まった。
俺は思わず笑いそうになった。
確かに、その通りだ。
***
山道を進むと、木々の間に小さな小屋が見えてきた。
弥兵衛が声を潜める。
「久世様。あそこにございます。」
小屋の前には、数人の男が座っていた。
槍が立てかけられている。
少し離れた場所にも人影があった。
新七はしばらく様子を見ていた。
「弥兵衛。何人おる。」
「見えるだけで七人。小屋の中にもおるかと。」
「うむ。」
新七は武士たちに向き直った。
「ここで待て。わしが話を聞いてくる。」
弥兵衛が驚いた。
「お一人でございますか。」
「そなたも来てくれ。ほかの者は動くな。」
「はっ。」
俺は新七の袖をつかんだ。
「新七さん。大丈夫ですか?」
「話をするだけじゃ。」
「相手が襲ってきたら?」
「そのときは、逃げる。」
「えっ?」
新七は小さく笑った。
「何も分からぬうちから、命を懸ける必要はあるまい。」
そう言って、弥兵衛とともに小屋へ向かった。
***
「何者じゃ!」
小屋の前にいた男が立ち上がった。
新七が足を止める。
「安土より参った、久世新七と申す。」
男たちの表情が変わった。
「織田の者か。」
「左様。」
「何の用じゃ。」
「近くの村から、武装した者たちが集まっておると訴えがあった。事情を聞きたい。」
男は険しい顔をした。
「わしらを賊と疑っておるのか。」
「そうではない。まずは話を聞かせてほしい。」
男はしばらく新七を見ていた。
やがて、小屋の中へ声をかけた。
「頭領!」
中から、一人の男が出てきた。
四十歳ほどだろうか。
ほかの男たちとは違い、立派な刀を差している。
「何事じゃ。」
「織田の者が参りました。」
男は新七を見た。
「わしは河原田宗兵衛と申す。」
「久世新七にございます。」
「織田殿の家臣が、何用かな。」
「そなたらがここに集まっておる理由を聞きたい。」
宗兵衛はしばらく黙っていた。
そして、口を開いた。
「わしらは、帰る場所を失った者たちじゃ。」
***
宗兵衛の話によると、男たちはかつて別の武将に仕えていたという。
しかし、主家が滅び、仕える先を失った。
以来、各地を渡り歩いていたらしい。
「この山なら、しばらく身を寄せられると思ったのじゃ。」
新七が尋ねる。
「食い物はどうしておる。」
「山で獲物を捕り、持っておる銭で米を買っておる。」
「村の者に迷惑はかけておらぬか。」
宗兵衛の顔が曇った。
「……それは。」
新七は黙って待った。
やがて、宗兵衛が口を開いた。
「若い者が二人、村の畑から芋を盗んだ。」
「何?」
「わしが叱り、二度とせぬよう命じた。だが、村の者に詫びてはおらぬ。」
新七は宗兵衛を見た。
「なぜじゃ。」
「武士が百姓に頭を下げるなど、できるものか。」
その言葉を聞いた瞬間、俺は嫌な予感がした。
新七さん、怒るんじゃないか?
けれど、新七は静かに尋ねた。
「そなたらは、これからどうするつもりじゃ。」
「仕える先を探す。」
「見つからねば?」
宗兵衛は答えなかった。
新七が続けた。
「食い物が尽きれば、また村から奪うのか。」
「そのようなことはせぬ!」
「ならば、どうする。」
宗兵衛は唇をかんだ。
しばらくして、低い声で答えた。
「……分からぬ。」
新七は頷いた。
「では、わしから一つ提案がある。」
宗兵衛が顔を上げた。
***
「まず、盗んだ芋の代金を村に返してもらう。」
宗兵衛は黙っていた。
「そして、この山から立ち去ってもらいたい。」
「それでは、わしらはどこへ行けばよいのじゃ。」
「安土へ来い。」
宗兵衛が目を見開いた。
「何?」
「上様は、働きのある者を取り立てられる。そなたらが本当に武士として生きたいのなら、仕官を願い出る道もあろう。」
男たちがざわついた。
宗兵衛が尋ねる。
「織田殿に仕えられるというのか。」
「それは分からぬ。決めるのは上様じゃ。」
新七は続けた。
「じゃが、ここで村の者を怯えさせておるより、よほどよいと思うが。」
宗兵衛は考え込んだ。
そのときだった。
小屋の脇にいた若い男が声を上げた。
「頭領! 騙されてはなりませぬ!」
全員が振り返った。
男は二十歳くらいだろうか。
槍を手にしている。
「織田の者が、わしらを許すはずがない! 安土へ行けば捕らえられるに決まっておる!」
宗兵衛が怒鳴った。
「黙れ!」
「ですが!」
若い男は槍を構えた。
弥兵衛が刀に手をかける。
「久世様!」
新七は片手を上げた。
「抜くな。」
弥兵衛が動きを止める。
新七は若い男を見た。
「そなた、名は何という。」
「……平助じゃ。」
「平助。わしの言葉が信じられぬか。」
「当たり前じゃ!」
「ならば、信じなくてもよい。」
平助が戸惑った。
「何?」
「安土へ来るかどうかは、そなたらが決めればよい。わしは無理に連れていくつもりはない。」
新七は続けた。
「ただし、村から物を奪うことは許さぬ。再び同じことがあれば、今度は見逃せぬ。」
平助は槍を握ったまま黙り込んだ。
宗兵衛がゆっくり前へ出た。
「平助。槍を下ろせ。」
「頭領……。」
「この方は、わしらを討とうとしておらぬ。」
平助はしばらく新七を見ていた。
やがて、槍を下ろした。
俺は木の陰から、その様子を見ていた。
ようやく息ができた気がした。
***
新七は宗兵衛たちを伴い、村へ戻った。
村長は武装した男たちの姿を見て、慌てて家から飛び出してきた。
「こ、これは!」
新七が説明する。
「この者たちは賊ではない。ただし、村の畑から芋を盗んだ者がおる。」
村長の顔が険しくなった。
「やはり盗人ではございませぬか!」
宗兵衛が一歩前へ出た。
「わしの配下がしたことじゃ。申し訳ない。」
そして、懐から銭を取り出した。
「これで足りるか。」
村長は驚いた顔で銭を見た。
「い、いえ。芋の代金としては十分にございます。」
宗兵衛が頭を下げた。
「二度と村に迷惑はかけぬ。」
村長はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくり頭を下げた。
「承知いたしました。」
新七が口を開く。
「この者たちは明朝、山を下りる。それまでは騒ぎを起こさぬよう、わしらが見届ける。」
「ありがとうございます。」
村長が深々と頭を下げた。
その夜、宗兵衛たちは小屋へ戻り、新七の配下が交代で見張りを務めた。
翌朝。
男たちは約束どおり山を下りた。
宗兵衛は新七に向かって頭を下げた。
「久世殿。恩に着る。」
「安土へ向かうのか。」
「うむ。仕官がかなわずとも、働き口を探してみるつもりじゃ。」
新七が頷いた。
「そうか。」
宗兵衛は笑った。
「武士として生きる道は、まだあるかもしれぬな。」
新七も笑った。
「あるとも。」
***
安土城へ戻った新七は、信長に報告した。
「山中に集まっておった者たちは、主家を失った浪人にございました。」
信長が尋ねる。
「賊ではなかったのか。」
「はっ。ただし、村の畑から作物を盗んだ者がおりました。代金を返させ、村から立ち去らせております。」
「捕らえなかったのか。」
「上様より、無用な争いは避けよとのお命じを受けておりました。盗みについては償わせ、今後繰り返さぬよう申し渡しました。」
信長は新七を見つめた。
「それで、浪人どもはどこへ行った。」
「安土へ向かうと申しておりました。」
「安土へ?」
「仕官を願い出るか、働き口を探すそうにございます。」
信長が笑った。
「面白い。追い払うどころか、安土へ呼び寄せたか。」
「差し出がましいことをいたしました。お許しください。」
「構わぬ。」
信長は少し考えた。
「その者たちの名を長秀に伝えておけ。使える者がおれば、働き口を与えてもよかろう。」
「はっ!」
新七が頭を下げた。
信長は続けた。
「新七。そなたに十人を預けたのは、賊を討たせるためだけではない。」
「はっ。」
「事を見極め、どう収めるか。それを見たかったのじゃ。」
新七が顔を上げた。
「そなたは、戦わずに役目を果たした。」
信長は満足そうに頷いた。
「よくやった。」
「ありがたき幸せ。」
俺は隣で、その言葉を聞いていた。
新七さんが信長に認められた。
しかも今回は、敵を倒したわけじゃない。
相手の事情を聞いて、争いを起こさずに問題を解決した。
戦国時代でも、こういう力が必要なんだ。
***
城を出ると、俺は新七に声をかけた。
「新七さん。」
「何じゃ。」
「あの宗兵衛さんたち、本当に安土で働けると思います?」
「分からぬ。」
「そうですよね。」
「じゃが、少なくとも道はできた。」
新七は前を向いた。
「主を失ったからといって、すべての者が賊になるわけではない。」
俺は頷いた。
「そうですね。」
「わしも、いつか大勢の者を預かることになるかもしれぬ。そのとき、あの者たちのような境遇の者を、ただ切り捨てるだけではいかぬと思う。」
俺は新七の顔を見た。
大勢の者を預かる。
新七さん自身の口から、そんな言葉が出るとは思わなかった。
「新七さん。」
「何じゃ。」
「今の言葉、覚えておいてくださいね。」
「なぜじゃ。」
「いつか本当に大勢の家臣を持つかもしれないでしょう。」
新七は少し驚いた顔をした。
そして、笑った。
「そうなれば、責任も重くなるな。」
「はい。でも、新七さんなら大丈夫ですよ。」
「何を根拠に申す。」
「今日、見てましたから。」
新七は何も言わなかった。
ただ、少し照れくさそうに笑った。
俺は安土城を振り返った。
信長に認められるだけじゃない。
人を率い、人の人生を変える。
新七さんは、少しずつ武将らしくなっている。
歴史の教科書に載る日が来るかどうかは、まだ分からない。
でも、今日の新七さんを見て、俺は確信した。
この人には、まだまだ大きくなる可能性がある。




