第15話 積み重ねた功績
街道で商人たちを救った一件から、数日が過ぎた。
新七は、以前にも増して忙しくなっていた。
朝早くから城へ出向き、帰ってくるのは日が暮れてから。
俺はというと、相変わらず新七の家で世話になっていた。
「最近、新七さん、忙しそうですね。」
夕飯の席で俺が言うと、お春さんが笑った。
「ありがたいことです。この人、昔から働くことだけは真面目ですから。」
新七が箸を止めた。
「だけは余計じゃ。」
「ほかにも取り柄がございますか?」
「お春!」
俺は思わず吹き出した。
新七は戦国時代の武士だ。
それなのに、家ではお春さんにまったく勝てない。
この時代に来てから、何度も見てきた光景だった。
そんな新七に、また新しい役目が与えられた。
***
数日後。
城下で騒ぎが起きた。
織田家に仕える二人の武士が、土地の境界を巡って争っていたのだ。
双方が自分の土地だと主張し、ついには家臣たちまで集め始めたという。
新七は、その争いを収めるよう命じられた。
「そんな大事なこと、新七さんが決めていいんですか?」
俺が尋ねると、新七は首を振った。
「わしが勝手に決めるわけではない。まずは話を聞く。」
現場に着くと、二人の武士が言い争っていた。
「この土地は先代より我が家のものじゃ!」
「何を申す! 境の石は、もともとあちらにあった!」
新七が間に入る。
「双方、落ち着かれよ。」
「久世殿! こやつが勝手に境を動かしたのじゃ!」
「動かしてなどおらぬ!」
新七は二人の話を最後まで聞いた。
それから、周囲にいた年配の百姓たちを呼んだ。
「昔の境を知る者はおるか。」
一人の老人が進み出た。
「以前は、あの大きな松の木が目印でございました。」
新七が松の木を見る。
その根元には、古い石が半分ほど埋まっていた。
新七は双方の武士に言った。
「まずは古い記録と、この土地を知る者の話を照らし合わせましょう。争いを大きくしては、上様のお耳にも入りますぞ。」
二人の顔色が変わった。
結局、その場での争いは収まり、土地の境界は記録を調べて決め直すことになった。
帰り道、俺は新七に言った。
「信長様の名前、便利ですね。」
「便利とは何じゃ。」
「名前を出しただけで、二人とも静かになったじゃないですか。」
新七は俺を見た。
「上様のお名前を軽々しく使うものではない。」
「でも、効果はありましたよね。」
「玲央。」
「はい。すみません。」
新七は呆れたように首を振った。
***
それからも、新七にはさまざまな役目が与えられた。
城下で火事が起きたときには、兵を率いて周囲の家々から人を避難させ、延焼を防ぐための作業を指揮した。
遠方からの使者が道中で足止めされたときには、迎えの兵を送り、無事に城まで案内した。
兵たちの間で揉め事が起きれば、双方の話を聞き、上役に報告したうえで収めた。
どれも、大きな戦ではなかった。
敵将を討ち取ったわけでもない。
城を落としたわけでもない。
けれど、新七は任された仕事を一つずつ果たしていった。
最初は名前すら知らなかった武士たちが、道で新七に声をかけるようになった。
「久世殿、先日は助かった。」
「また何かあれば頼みますぞ。」
新七はそのたびに頭を下げていた。
俺は、そんな姿を見るのが嬉しかった。
俺がこの時代でやりたいこと。
それは、久世新七という男を出世させ、歴史に名を残すことだ。
いつか現代に戻ったとき、歴史の教科書に新七さんの名前が載っていたら。
そんなことを考えるだけで、楽しくなった。
***
ある日の朝。
新七の家に、城から使いが訪れた。
「久世新七殿。」
「はっ。」
「上様がお呼びにございます。」
新七が顔を上げた。
「わしをか。」
「すぐに登城されよとのこと。玲央殿もご一緒に。」
俺は新七と顔を見合わせた。
「俺も?」
使いの者が頷く。
「左様にございます。」
使いが去ったあと、新七はしばらく考え込んでいた。
「何でしょうね。」
「分からぬ。」
「怒られるようなこと、しました?」
「お前は何かしたのか。」
「俺ですか?」
新七がじっと俺を見る。
「……何もしてませんよ。」
「ならば、堂々としておれ。」
そう言う新七の顔も、少し緊張していた。
***
城へ着くと、信長の前には数人の家臣が控えていた。
その中には、丹羽長秀の姿もあった。
新七が膝をつく。
俺も隣で頭を下げた。
「久世新七、参上いたしました。」
信長が新七を見る。
「新七。」
「はっ。」
「近頃、よく働いておるそうじゃな。」
「恐れ入ります。」
「街道では商人の荷を守り、城下の争いを収め、火事の折にも働いたと聞く。」
新七は頭を下げたまま答えた。
「与えられた役目を果たしたまでにございます。」
信長が笑った。
「それができぬ者もおる。」
そして、丹羽長秀へ目を向けた。
「長秀。」
「はっ。」
「お前も新七の働きを見ておったな。」
「はい。久世は、人をまとめることに長けております。何より、任せた役目を最後まで違えませぬ。」
信長が頷いた。
「わしも、そう見ておる。」
俺は新七を見た。
新七はまだ頭を下げている。
でも、その手が少しだけ強く握られているのが分かった。
信長が口を開いた。
「新七。」
「はっ。」
「これまでの数々の働き、見事であった。」
「ありがたきお言葉にございます。」
「今後は、わしの馬廻として仕えよ。」
新七が顔を上げた。
俺も思わず信長を見た。
馬廻。
信長の身辺を警護し、近くで仕える武士。
俺たちが、ずっと目指していた役目だった。
新七は深く頭を下げた。
「身に余る光栄にございます。」
「これまで以上に励めよ。」
「はっ。必ずや、ご期待にお応えいたします。」
信長は満足そうに頷いた。
そして、俺を見る。
「玲央。」
「はい!」
「何じゃ、その顔は。」
「え?」
「新七より、お前の方が嬉しそうではないか。」
俺は慌てて口元を押さえた。
信長が笑う。
「隠しても分かるわ。」
「すみません。でも、本当に嬉しくて。」
「新七が出世しただけで、そこまで喜ぶか。」
「はい。新七さん、ずっと頑張ってましたから。」
信長は新七へ目を戻した。
「よい者を連れておるな。」
新七が答える。
「少々、口が過ぎまするが。」
「新七さん!」
信長が声を上げて笑った。
丹羽長秀も笑っている。
俺は恥ずかしかったけれど、嬉しかった。
***
城を出ると、俺はもう我慢できなかった。
「新七さん!」
「何じゃ。」
「やりましたね!」
「うむ。」
「馬廻ですよ! 馬廻!」
「聞こえておる。」
「信長様のそばで働けるんですよ!」
新七が足を止めた。
「玲央。」
「はい。」
「覚えておるか。」
「何をです?」
「お前が初めて、わしに馬廻を目指せと言った日のことじゃ。」
俺は頷いた。
もちろん覚えている。
あの頃、新七は信長の近くに仕えるような身分ではなかった。
それが今、正式に馬廻へ取り立てられた。
「覚えてますよ。」
新七は空を見上げた。
「本当に、ここまで来るとはな。」
「まだまだですよ。」
「まだ上を目指すのか。」
「当然です。」
新七が笑った。
「欲張りな奴じゃ。」
俺も笑った。
でも、新七はすぐに真剣な顔になった。
「玲央。」
「はい。」
「これで、上様のおそばに仕えることができる。」
俺は頷いた。
新七は声を落とした。
「お前が話してくれた本能寺の変。わしは忘れておらぬ。」
俺は新七を見た。
「そうでしたね。」
「上様をお守りする。そのためにも、わしはここまで来たのじゃ。」
新七の表情は真剣だった。
俺にとって馬廻は、新七さんをもっと出世させるための大きな一歩だ。
でも、新七さんにとっては違う。
信長を守るために、必要な役目だった。
「新七さん。」
「何じゃ。」
「まずは、おめでとうございます。」
新七は少し驚いた顔をした。
それから笑った。
「うむ。ありがとう。」
俺たちは並んで歩き出した。
新七さんが歴史の教科書に載る日。
そんな未来を想像しながら、俺は一人、笑みを浮かべていた。




