06_請負
請負
背が伸びたのは、十五を過ぎてからだった。
急に伸びた。飯の量が変わったわけでもないのに、一年で頭ひとつ高くなり、袖と裾が足りなくなった。肩の幅が出て、腕に筋が入った。顔つきも変わった。頬の白い線が、伸びた顔に合わせて少し長く見えるようになった。
目つきが悪い、と誰かが言った。
悪いつもりはなかった。ただ、人を見るときに逸らさなくなっただけだった。逸らさずに見ていると、たいていの相手が先に逸らす。それが分かってから、余計に逸らさなくなった。
十八になっていた。
体が大きくなると、辮が細く見えるようになった。
子供のうちは、細くても子供の細さで済んでいた。肩幅が出て、首が太くなると、釣り合わなくなる。若い衆の背中には黒い綱のようなものが下がっているのに、カイのは紐が一本垂れているように見えた。
昔は、朝に紐を編み込んで太く見せていた。
やめた。
誰も笑わなくなったからだった。
腰には短い剣を差していた。
初めてまとまった金が入ったときに、自分で選んで買った。
組の連中が提げているのは、たいてい牛尾刀だった。先の方が幅広くなって反り返っている、あの重たいやつである。振り下ろせば骨まで行く。派手で、見栄えがして、抜いただけで相手が下がる。若い衆はみな、あれを欲しがった。
カイは柳葉刀にした。しかも短いのを選んだ。
刃が細く、反りが浅い。柳の葉に似ているからそう呼ぶのだという。牛尾刀のように叩き切るには軽すぎるが、その代わり、切っても突いても使える。
突けるのが大事だった。
路地では、振れない。振ろうとすれば壁に当たる。九つのとき、避けようとして肩を壁に当てて、顔を割られている。あれ以来、腕を横に伸ばすやり方を信用していない。
狭いところで通るのは、まっすぐ出す動きだけである。
薪でやっていたのと、同じだった。下から突いて、喉に入れる。得物が木から鉄に変わっただけで、やることは変わっていない。
店の親父は、若いのに地味なものを選ぶと言って笑った。
カイは、このほうが強いからな、と言いかけたが、何も言わなかった。
鞘ごと帯に落として、上着の前を合わせれば見えない。それも都合がよかった。抜くまで、相手はこちらが何を持っているか分からない。牛尾刀を提げている連中は、遠くからでもそれと分かる。
背中には、彫りかけた入墨があった。
金が入るたびに、少しずつ足していた。まだ肩と背の上のところだけで、下は白いままだった。先生が彫った。剃刀と針を扱う手は同じで、鞄も同じだった。
初めて彫るとき、先生は一度だけ言った。
「お前は、虎の器だ」
カイは聞かなかった。白い龍にしてくれ、と言った。
先生はそれ以上何も言わず、墨を溶いた。
誰も囃さなくなっていた。
水場への道は、いまも同じ道だった。もう桶は担いでいない。下の者が担ぐ。カイはその横を歩く。すれ違う連中が、道の端に寄る。子供が母親に手を引かれて路地の奥へ入っていく。
九歳の頃、毎日この道で囲まれていた。
いまは、誰も近寄らない。
手を出してくる相手がいなくなると、日が長くなった。
代わりに、女が寄ってくるようになった。
湯屋で背中を流させる女が、頼んでいないのに肩から腕まで念入りにやるようになった。指で筋をなぞって、ここは何をしたらこうなるのかと訊いた。前の年までは、そんなことを訊かれたことがなかった。
彫りかけの龍を見たがる女がいた。上着を脱がせて、肩から背の上まで指でたどって、まだ途中だと言うと、続きはいつやるのかと訊いた。カイが答える前に、爪を立てた。
賭場の勘定を手伝いに来る女が、勘定が終わっても帰らなくなった。
路地の女房が、亭主の話をしながら腕を掴んで離さないことがあった。掴んだところが腕のどこかを確かめるような掴み方だった。
カイは、断らなかった。
九つのときから、この家では欲しいものを言えば軽く見られた。だから言わずにきた。向こうから来るものは、そういう理屈の外にあった。断る理由が思いつかなかったので、断らなかった。
誰とも続かなかった。続けるという考えが、そもそも浮かばなかった。
仕事の中身が変わったのは、その前の年からだった。
徴税の請負が、急に大きくなった。
理由は、路地の誰も正確には知らなかった。北で何かがあって、それを外国に払うことになって、その分が下に降りてきているらしい、という程度の話だった。先生が申報を読んで、四億五千万両という数を口にしたことがあったが、誰もその数がどれくらいなのか分からなかった。
分かっていたのは、取り立てる量が増えたということだけだった。
量が増えれば、請負の実入りも増える。増えれば、欲しがる者が出る。
当時、税を集めるのは役所の仕事であって、役所の仕事ではなかった。
県には役人がいる。だがその下に、村々を回って米や銭を実際に集めて歩く手足がいない。人を雇う金も、そこまでの人数もない。だから請け負わせる。土地の顔役に一定の額を約束させ、あとはその者が集める。約束の額さえ納めれば、いくら集めようと文句は出ない。
包税という。取り立ての差額が、そのまま請負人の実入りになる。
もう一つ、厘金という税があった。もとは太平天国の乱を鎮めるための臨時の関税で、荷が関所を通るたびに一定の割合を取る。臨時のはずが、乱が終わっても残った。荷が通る道筋のあちこちに関があり、その関の運営も、多くは請け負われていた。
どちらも、暴れる腕が要る仕事である。
払わない者がいる。隠す者がいる。夜に運ぼうとする者がいる。それを押さえるのは役人ではない。役人は帳面をつけるだけで、実際に戸を叩き、床を踏み、荷を止めるのは、こういう連中だった。
白龍組の商売の中身は、突き詰めればそれだけである。
辛丑の年に決まった賠償金は、省に割り当てられ、府に割り当てられ、県に割り当てられた。県は既にある税に上乗せし、新しい名目の税をいくつも作った。集める額が増えれば、請負に約束させる額も増える。約束の額が増えれば、その上に乗せる分も増える。
誰かにとっては、天から降ってきた商売だった。
隣の組が、取りに来た。
境が擦れているだけの間柄で、これまでは互いに商売があった。子供の使い走りが小突き合う程度で済んでいた。それが、請負の話になった途端に変わった。
向こうには、後ろが付いていた。もっと大きな組で、名前を出すだけで話が通る種類の組だった。
付け届けが始まった。
役所の人に、こちらが届ける。向こうも届ける。どちらが多いか、どちらが顔が利くか、それだけの話になった。カシラが何度も出かけていって、そのたびに何も言わずに帰ってきた。
オヤッサンは、動かなかった。
板の間の上座で煙管を持ったまま、報告を聞いて、頷いて、それだけだった。何を考えているのかは、誰にも分からなかった。
春の終わりに、荷が一つ消えた。
水路で運んでいた分が、着かなかった。船頭は殴られて、荷は無くなっていた。次の月に、こちらの若い衆が二人、夜道でやられた。片方は腕を折られ、片方は歩けなくなった。
こちらも出た。
カイも出た。
夜の出入りというのは、映えるものではない。
待ち伏せて、囲んで、一人ずつ潰す。逃げる者は追わない。追えば散らばって、こちらが少なくなる。終われば散る。
カイのやり方は、九つの頃から変わっていなかった。
広いところではやらない。狭いところに引き込む。正面を狭くして、一人ずつにする。長いものは使わない。短いのを短く持って、下から入れる。
人が違うだけだった。相手は子供ではないし、こちらの得物も薪ではない。
初めて人を斬った晩のことを、カイはよく覚えていなかった。
覚えているのは、手応えが薪と違うということと、思ったより静かだったということだけだった。相手は声を上げなかった。倒れて、それから起き上がろうとして、途中でやめた。
カイはその場を離れた。
事務所に帰ると、飯が出た。
碗の横に皿が一つあって、煮た肉が載っていた。誰も何も言わなかった。九つの晩と、同じだった。
キビは、二十二になっていた。
下に若い者が三人ついていて、そのうち一人はカイより年上だった。それでもキビは、カイのことを気にした。出入りのたびに横に付きたがった。カイの方が強いのは、もう誰の目にも明らかだったが、あの男の中では、まだ教育係のつもりでいるらしかった。
キビには望みがあった。
口には出さなかったが、態度に出た。カシラの話をするときの顔つきが違った。いつか自分の盃をもらって、下を持って、そういう位置に座りたいのだった。だから面子の話になると、熱くなった。
熱くなりすぎることが、たまにあった。
九つのカイが負けて帰った日に、勝手に出ていった男である。あれから六年経っても、そこは直っていなかった。
夏の初めだった。
向こうの組の若い衆が、こちらの縄張りで人を集めているという話が入った。カイとキビと、あと二人で見に行くことになった。
路地の角で、五、六人が固まっていた。
その中に、大きいのが一人いた。
肩幅があって、首が太かった。二十二か、三か。笑いながら何か喋っていて、こちらに気づくと、笑いをやめずに顔を向けた。
カイは、その顔を知っていた。
九つのときに、板切れで顔を割られた相手だった。あのとき溝の縁に頭をぶつけて、泣くまで打たれて、這って出ていった男だった。
向こうも、気づいたらしかった。
カイの顔の線を見て、それから自分の眉の上のあたりを指で掻いた。そこにも、白いものが残っていた。
何も言わなかった。カイも言わなかった。
その場は、それだけで済んだ。
三日後、その男が死んだ。
路地で見つかった。夜のうちだったらしい。
カイは、事務所でその話を聞いた。誰がやったのかは、すぐに分かった。キビが土間で足を洗っていて、こちらを見なかったからだ。
その晩、キビは何度も同じことを言った。
「白龍に楯突くとは、許せんからな」
誰に言うでもなく、そう言った。二度言い、三度言った。四度目に、名前を出した。
カイは、その名を初めて聞いた。
九年前から知っている相手だった。顔を割られ、割り返し、三日前に路地で目を合わせた男だった。その名を、カイは一度も呼んだことがなかった。呼ぶ必要がなかった。あの大きいの、向こうの頭、と言えば通じた。
名前があったのだ、と思った。
それだけを思った。
出入りで人が死ぬのは、この商売では珍しいことではない。
珍しくはないが、あとが面倒になる。だから決まりのようなものがあった。
出入りの場で死んだ者は、勘定に入る。どちらも出ていて、どちらも殴っているのだから、その中で誰が倒れても、それは戦の中の話になる。恨みはする。覚えてもいる。だが、そのつど落とし前を取っていたら、いつまでも終わらない。まとめて最後に、手打ちの席で清算する。
誰がやったか分からない、というのも大事だった。
夜の路地で数人が入り乱れて、終われば散る。向こうも、誰にやられたのかを言えない。言えない死は、表に出せない。表に出せなければ、詫びを求めることもできない。
カイが初めて人を斬った晩も、その形だった。だから何も起きなかった。
キビのは、違った。
出入りの晩ではなかった。誰も出ていない夜に、一人で行って、一人を殺した。場の外である。場の外の死は、勘定に入らない。入らないから、別に払わなければならない。
そして何より、キビは黙っていなかった。
白龍に楯突くとは許せん、と事務所で何度も言った。若い者が聞いていた。出入りしている者も聞いていた。そういう話は、その日のうちに向こうへ届く。
黙っていれば、闇に紛れたかもしれない。
だがキビは、組のためにやったことにしたかった。手柄にしたかった。自分の盃が欲しい男の言い方だった。
組の名を出してしまえば、組の話になる。
殺されたのが、向こうの組の頭の縁者だったことも、あとで分かった。十二の子供が使い走りの頭を張っていたのは、そもそもそういう筋だったからである。カイがオヤッサンの預かりであったのと、同じような立場の子供だった。
値は、それで上がった。
抗争にはならなかった。
その晩のうちに、オヤッサンが動いた。カシラが二度出かけて、三度目に仲裁の顔役を連れて帰ってきた。どちらの組とも付き合いのある、白髪の男だった。
話は早かった。
これは若い者の私怨である、と立てる。組の指図ではない。だから組同士の話にはしない。そのうえで、詫びる。
金は、こちらが出す。
手打ちの席は、三日後だった。
どちらの組でもない家の、奥の広間を借りた。磚を敷いた床に卓が据えてあり、その周りに椅子が並べてあった。上座に顔役が座り、両脇にオヤッサンと、向こうの組の頭が座った。カシラは下座にいた。若い衆は廊下に並んだ。カイもそこにいた。
長い挨拶があった。
言葉遣いが、普段とはまるで違った。誰も普通の喋り方をしなかった。同じことを何度も言い換え、相手を持ち上げ、こちらを低くした。カイには半分も意味が取れなかったが、意味が取れなくても分かることがあった。
この部屋では、誰も怒っていないことになっている。
途中で、キビが呼ばれた。
戸口から入ってきて、卓の手前で膝をついた。床に手をついて、頭を下げた。
カシラが立った。
「若い者の不始末で」
そう言って、キビの横に立った。
張った。
音が広間に響いた。二度、三度と続いた。キビは声を出さず、手も上げなかった。床に手をついたまま、その形でいた。
誰も止めなかった。向こうの組の頭は、湯呑みを持ったまま見ていた。顔役は目を伏せていた。オヤッサンは、まっすぐ前を見ていた。
カイは廊下にいた。
膝が動いた。動きかけたところで、後ろから肩を掴まれた。
張り終わると、カシラは座り直して、また頭を下げた。
向こうの組の頭が、初めて口を開いた。短い言葉だった。顔役が何か言い足して、それで場が緩んだ。酒が出た。
「お前たちは帰っておれ」
オヤッサンとカシラ、向こうの年嵩の数人だけ残して、若い衆は家を出た。
外はまだ明るかった。中では、まだ酒が出ていた。
その夜、事務所に戻ってから、キビが土間でカイの横に来た。
頬が腫れていた。口の端が切れていた。
「ショウショウの兄弟、」
と、キビは言った。
その呼び方をしたのは、久しぶりだった。オヤッサンがカイと呼んでからは、家中の誰も言わなくなっていた。
「なんです」
「いや」
キビは、それきり黙った。
しばらくして、笑った。歯が大きかった。昔から、笑うと歯が大きい男だった。
「腹減ったな」
朝、キビはいなかった。
寝ていた場所に、綿入れが畳んで置いてあった。土間に布靴がなかった。誰も何も言わなかった。飯はいつもどおり出た。
所払いだと聞いたのは、昼を過ぎてからだった。
破門ではない。盃は切っていない。ほとぼりが冷めるまで、上海を離れる。一年か、二年か、それは向こうの組の腹次第だった。
どこへ行ったのかは、誰も言わなかった。
カイは訊かなかった。
その日も、仕事はあった。
カシラの付け届けの話が続いていて、請負がどちらに落ちるかは、まだ決まっていなかった。役所の人が決めることになっていた。
カシラは、いつもの顔で喋っていた。
左手に、厚く包帯が巻いてあった。
いつ巻いたのかも、どこで怪我をしたのかも、誰も言わなかった。
カイは訊かなかった。
カイは腰の物を差し直して、路地へ出た。
人が、端に寄った。




