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11/15

11_時間割

これは・・・書き始めて解ったのですが、

何年も掛かりそう。

ちょっと休憩して、短編でやり直します。スミマセン

 時間割


 港に着いたのは、朝だった。


 山が近かった。上海には山がない。川の向こうまで平らで、どこまで行っても平らである。それが、船を降りる前から、すぐそこに立っていた。


 建物が石で、道が狭く、坂だった。



 同じ船で来た連中と一緒に、汽車に乗せられた。


 迎えの者がいた。この国から先に来ている者で、話す言葉はこちらのものである。人数を数えて、名前を呼んで、切符を配った。慣れていた。毎月これをやっているらしかった。


 汽車は速かった。


 窓の外を、田が流れていった。畦が細かく切ってあって、一枚が小さい。上海の外の田は、もっと大きい。ここは山が多いので、平らになるよう坂を削って使っているのだった。


 カイは、それを数えようとして、やめた。速すぎた。



 試験は、三日後だった。


 三つあった。漢文と、算と、外国語である。


 漢文は、駄目だった。


 読みは半分ほど分かった。書く方は、ほとんど手が動かなかった。答えの見当がついているのに、その字が書けない。書けない字を避けて、書ける字だけで書こうとすると、文にならない。


 半分ほど白いまま出した。


 算は、全部やった。


 目方を換える。歩合を出す。日数と量から一日ぶんを割る。金の換算が二問あって、そのうち一問は外国の銀貨だった。



 一問だけ、問いの文が読めなかった。


 数は読める。字が三つ分からない。何を出せと言っているのかが、分からなかった。


 カイは立って、試験官のところへ行った。手を挙げるものだということを、知らなかった。


 紙を指して、この字は何かと訊いた。


 試験官は、しばらくカイの顔を見た。それから、その一行を読み上げた。読み上げただけで、意味は言わなかった。


 カイは、席に戻って解いた。


 部屋じゅうが、見ていた。



 紙を使わなかったので、途中の式を書けと言われて、書き足した。


 書き足す方に手間がかかった。



 外国語は、英語を選んだ。


 選べるようになっていた。日本語でもよく、英語でもよく、ほかの国の言葉でもよかった。日本語はまだ何も知らない。英語は、二十六の字を知っている。


 試験官は、痩せた男だった。


 教師ではなく、貿易の方の人だという。港で長く働いていて、いまは請われて試験だけ見に来ている。


 問いは、偏っていた。


 船の部分の名前。荷の数え方。港の名前と、その国。方角。天気。積む、降ろす、繋ぐ、離す。石炭。真水。


 聞き取りが先だった。


 男が読み上げて、それを書き取る。速さは並で、二度は読まない。


 埠頭で、何年も通じていた。船乗りは、どこの国のものでも英語は通じた。


 ここに来る船の上では、それだけを見ていた。


 罐の前で火夫に訊いた。綱の男に札を指して訊いた。海図の縁の字を読んだ。箱の焼き印を読んだ。厨房で皿を数えるのを見ていた。


 出てくる言葉は、全部そこにあったものだった。


 書き取りも、同じだった。


 終わってから、試験官が紙を取り上げて、しばらく見ていた。


 それから、顔を上げた。


 何か訊かれた。カイは、船で来たと答えた。何日かかったかと訊かれて、日数を言った。帆を張ったかと訊かれて、張ったと答えた。何日張っていたかと訊かれて、それも答えた。


 男は、少し笑った。



 通った。



 学校は、坂の途中にあった。


 木の建物で、二階建てである。窓が大きい。廊下が長く、部屋が並んでいて、部屋には机が並んでいた。


 机には、脚が四本ある。椅子も別にある。


 カイは、それまで机に向かって座ったことがなかった。



 入った日に、紙を一枚もらった。


 刷ってあった。


 縦に線が引いてあり、横にも線が引いてある。升目になっていて、その中に字が入っていた。


 時間割というのだった。


 横に、七日ぶんの日が並んでいる。縦に、時が並んでいる。交わったところに、その時間にやることが書いてある。


 一つの升が、一時限である。


 朝の八時に始まって、途中に休みが入って、昼に飯を食って、午後にもう二つか三つ。それが六日、繰り返される。


 カイは、その紙をしばらく見ていた。


 明日、何をするかが書いてあった。


 明後日も書いてあった。その次も、その次も、七日ぶん全部書いてあって、しかも来週も同じである。


 組では、そうではなかった。


 明日どこへ行くかは、前の晩に言われる。言われないこともある。朝になってから、支度をして出ろと言われることもある。訊いても答えは決まっていた。知らん。言われたら動け。


 カイは、それを九年やった。


 九年やって、一度も先のことを知らなかった。


 紙に書いてあるのだった。


 しかも、自分だけの紙ではない。同じものが、全員に配られていた。隣の男の持っているものと、見比べても同じである。


 誰かの気分で変わることがない。



 鐘が鳴る。


 校舎の端に、太い縄が下がっている。時が来ると、用務の男がそれを引く。上で鐘が鳴って、廊下じゅうに聞こえる。


 鐘が鳴れば始まる。もう一度鳴れば終わる。


 誰が偉いかは、関係がなかった。



 鐘を鳴らす時は、時計が決めている。


 玄関の壁に大きいのが掛かっていて、教員室にもう一つある。用務の男は、そのどちらかを見て縄を引く。


 カイは、その時計を見に行った。


 振り子が下がっていて、左右に振れている。振れる幅は、いつ見ても同じだった。速くなったり遅くなったりしない。


 それで時が刻まれるのだと、教えられた。


 日の高さでは、こうはならない。


 船の当直の男は、太陽を指した。あれは、太陽が見えるときにしか使えない。曇れば分からない。夜も分からない。


 振り子は、曇っても振れている。


 だから、時間割が組める。



 教科書が配られた。


 これも刷ってあった。


 全員に同じものが行き渡る。写す必要がない。開けば同じ頁があって、同じ字が同じ場所に並んでいる。教師が頁を言えば、全員が同じところを見る。


 こういう本は、木の板に彫って刷るのだと思っていた。上海で売っている本は、そうである。彫る手間がかかるので、部数が少なく、値が高い。


 この本は、違った。


 字を一つずつ作ってあって、それを並べて組んで、刷る。刷り終われば崩して、次の本に使い回す。だから安い。


 安いから、全員に配れる。


 配れるから、写さなくてよくなる。


 写さなくてよいということの意味を、カイは少し考えた。


 組では、帳面は一冊しかない。カシラが持っていて、カシラが書く。中身を知りたければ、カシラに訊くか、後ろから覗くしかない。


 覗いていたのは、そのためだった。



 筆記の道具も配られた。


 筆ではなかった。


 木の細い棒で、中に黒いものが入っている。削ると先が出る。紙に押しつけると線が引ける。墨も水も要らない。


 鉛筆というのだと教えられた。


 書いてみた。


 残った。


 乾くのを待たなくてよかった。書いた端から、そのまま残っている。二画目を引いているあいだに一画目が消えることがない。


 いくらでも並べられた。


 未と末を、紙の上に十も二十も並べた。並べたまま、置いておける。



 間違えたら、消せた。


 小さい四角いものを渡された。ゴムというのだそうである。書いた上を擦ると、線が消えて、紙が元に戻る。


 カイは、それを何度もやってみた。


 書いて、消して、また書いた。


 水は、書いた端から消えていって、残らなかった。


 これは、残る。残るが、消せる。


 どちらも同じことではないかと、最初は思った。


 違った。


 水は、残しておきたくても残らない。こちらは、残すか消すかを、こちらが決められる。


 最初の一日で、カイは鉛筆を二本潰した。


 削りすぎたのである。中の黒いものが、削るたびに減っていく。減るのが惜しくなって、途中から折れた先をそのまま使った。



 日本語は、いちばん時間の多い科目だった。


 字は、半分は知っているものだった。同じ形が同じ意味で出てくる。ただ、読み方がまるで違う。しかも一つの字に読み方が二つも三つもある。


 そのあいだに、知らない字が挟まっている。丸いのや、曲がったのが、漢字の隙間に入っている。


 あれも数えた。


 五十ほどあった。二十六より多いが、漢字よりはるかに少ない。それが二通りある。



 部屋には、四十人ほどが座っていた。


 半分は同じ船で来た連中で、半分は前から来ている者だった。


 四億五千万人いる国から、四十人が、この部屋に座っていた。


 初日に、教師が名簿を読み上げた。


 名前が、長かった。


 この国の名は、音が七つも八つも続く。読み上げられても、カイには最後まで追えなかった。追っているうちに次が来る。


 カイの知っている名前は、みな音が二つである。


 カイ。タク。キビ。ラン。ホー。ショウ。組の家で呼ばれていたものは、全部そうだった。二つなら、一度で入る。


 だから、頭の二つだけを切った。



 いちばん前に座っている支那人の男は、ソウといった。


 こちらの名は、もともと短い。切る必要がなかった。


 算のときに、手が止まらない。式を書くのが速く、速いだけではなく途中を飛ばさない。カイは頭の中でやってしまうので、書けと言われて書き足すことになる。この男は、最初から書きながら考えている。


 背が低く、肩が薄く、着ているものがよかった。物言いが、都の方の言葉である。同じ船ではなく、先に来ていて、寄宿舎も別だった。


 迎えの者が名前を呼ぶときに、この男にだけ言い方が違った。



 窓際の日本人の男は、ヤナといった。


 鉛筆の削り方が上手い。小刀の当て方が浅く、木を薄く長く落としていく。先が細く長く出て、しかも折れない。カイは初日に二本潰したので、その削り方を横から見ていた。


 見ているのに気づかれて、貸してみろと言われた。


 削ってくれた。


 礼を言うときに、カイはその名を呼んだ。


「ヤナ」


 相手が首を振った。


 違う、それは半分だ、と言った。全部言ってみろと言われて、言ってみた。二つ目で詰まった。もう一度言われて、また詰まった。三度目で、相手が笑い出した。


「ヤナでいい」



 その後ろの男は、トキという日本人だった。


 これも、たぶん半分である。訂正されなかった。


 日本語の発音がよかった。教師が読み上げるのを、そのまま返す。他の連中は口が回らずに詰まるが、この男は詰まらない。耳がいいのだった。


 顔が大きく、笑うと目がなくなる。授業のあいだ中、誰かに話しかけていて、そのたびに叱られていた。


 叱られても、次の時限にはまた話しかけていた。


 三日目に、カイの隣に座った。


 席は決まっていない。決まっていないので、この男は毎日ちがうところに座って、毎日ちがう相手に話しかけていた。


「あんた、船で来たろう」


 なぜ分かるのかと訊いた。


「日に焼けてる」



 いちばん後ろに、体の大きいのが一人いた。


 ゴウという。


 肩の幅が、カイより広い。手が大きく、指の付け根が硬くなっていた。何かをやっていた手である。


 喋らなかった。


 時間割を配られたとき、この男だけが、カイと同じくらい長くその紙を見ていた。


 目が合った。


 どちらも、何も言わなかった。



 声をかけてきたのは、同じ船で来た男だった。


 リンという。


「船で一緒だったね」


 北の言葉だ。カイは、顔を覚えていなかった。


 覚えていないと言うと、相手は笑った。甲板の隅に座っていた側だから、覚えていないのが当たり前だと言った。あんたは動き回っていた、と。


 それから、笑って付け足した。


 埠頭で、女に何人も泣かれていたのを見た。あれは全部あんたのだろう、と。


 支那語である。トキとヤナには通じていない。


 カイは、そうだと答えた。それだけだった。


 毎朝、掃除を手伝っていたのも見ていたと言った。何を書いていたのかとも訊かれた。


 カイは、字だと答えた。


 リンは、よく喋った。


 喋るが、相手の話を先に聞いた。カイが何か言うと、最後まで聞いて、それから自分のことを言う。押しつけがましくなかった。


 どこから来たのかと訊かれて、カイは上海だと答えた。


 リンは、自分は北の方だと言った。


 村の名を言われたが、カイは知らなかった。知らないと言うと、誰も知らないところだ、と言って笑った。


「あんた、算が速いね」


 試験のあとで、廊下でそう言われた。


 見ていたわけではない。同じ部屋で受けて、カイが先に手を止めたのを見ていたのである。


 カイは、答えなかった。答えなかったが、その男のことは覚えた。



 昼の休みに、五人で飯を食うようになった。


 誰が決めたわけでもない。トキが毎日ちがう相手に話しかけているうちに、そのうちの何人かが同じところに集まるようになっただけである。


 喋るのはトキとリンで、あとの三人は聞いていた。


 ソウは、来る日と来ない日があった。来ても、途中で立って行くことが多かった。呼ばれるのだった。誰に呼ばれるのかは、誰も訊かなかった。


 ゴウは、毎日来た。毎日来て、何も喋らなかった。


 ゴウは、喋らない男だった。


 背が高く、肩が厚く、歩くと床が鳴る。教室では一番後ろに座って、一日に三度か四度しか口を開かない。訊かれれば答えるが、答えると終わる。トキが何を話しかけても、うん、で済ませる。


 ただ、一つだけ例外があった。


 この国がこれからどうなるか、という話になると、ゴウは喋った。


 誰かが新聞を持ってきて、それを読み上げる。すると後ろの方からゴウの声がする。最初は一言である。次に、その一言の理由を言う。それから、その理由の理由を言う。止まらなくなる。


 土地の話をした。どこの省が誰の言うことを聞いていて、どこが聞いていないか。兵の話をした。どの兵が誰から給料をもらっているか。金の話をした。借りた金を誰が返すことになっているか。


 トキが途中で茶を入れに立って、戻ってきてもまだ喋っていた。


 カイには、分からなかった。


 分からないが、この形には覚えがあった。組の若い衆に段取りを教えるとき、自分もこうなる。一つ言えば次が出てきて、次を言えば理由が出てきて、止まらない。相手が聞いていなくても止まらない。


 喋る中身が違うだけで、喋り方は同じだった。


 同じなのに、カイの方は一言も入ってこない。


 船の上で、後ろの方に輪ができていたのを思い出した。五人か六人で膝を叩いていた連中である。あのとき分からなかったものが、今も分からない。


 ゴウが一度だけ、こちらを向いて訊いたことがある。


「お前は、どう思う」


 カイは、少し考えた。


「知らん」


 ゴウは頷いて、それきり訊かなかった。嫌な顔はしなかった。訊いた相手が悪かった、という顔でもなかった。ただ、この男には訊いても仕方がない、と分かった顔だった。


 その晩から、ゴウはカイに一度も政の話をしなかった。


 カイは、それを気にしていない。気にしていないことにも気づいていない。



 傷のことを、最初に言ったのはトキだった。


 昼の休みである。飯を食いながら、いきなり顔を指した。


「それ、どうしたの」


 部屋が少し静かになった。訊いていいことなのかどうかを、みんなが同時に考えたのである。


 カイは、喧嘩だと答えた。


「勝ったの」


「勝ちました」


 トキが笑った。それで済んだ。


 右の頬に、白い線が一本ある。


 顎の下から目尻の方へ、少し斜めに上がっている。塞がってから九年経つので、色は抜けていた。日に焼けると、そこだけ焼けずに残る。


 縫ってある。


 縫い目の跡が、線の上に点々と残っていた。


 四つである。数えたのは、縫われているあいだだった。



 その日から、ゴウが見るようになった。


 喋らない男である。話しかけてくるわけではない。飯を食っているあいだ、ときどき顔を上げて、カイの右側を見ていた。


 見ていることを隠さなかった。


 四日目に、ゴウが訊いた。


 この男の声を聞いたのは、それが最初だった。


「何で縫った」


 カイは、糸だと答えた。


 ゴウは、首を振った。


 誰が縫ったのか、という意味だった。



 剃り屋だと答えた。


 月に何度か組へ来て、男たちの頭を剃っていく男である。細い鞄を提げていて、中に剃刀と、鋏と、糸と、針が入っている。刃物を扱う商売なので、刃物の傷も見る。医者よりずっと近くて、安い。


 四針だった。


 ゴウが頷いた。


 それから、自分の左手を出した。


 親指の付け根に、太い跡があった。真ん中が盛り上がって、両側が引き攣れている。カイのものより、ずっと荒い。


「これは、俺が縫った」



 二人とも、それ以上言わなかった。


 トキが何か訊こうとして、リンが袖を引いた。


 ゴウの手を、カイはそのあとで見た。


 指の付け根が硬い。爪が短く、割れている。掌の側に、細かい古い切り傷が何本もあった。


 刃物ではない。刃物なら、線が長くなる。これは短くて、あちこちにある。


 何かを削っていた手だった。あるいは、削られていた手である。


 訊かなかった。



 ヤナが、鉛筆をもう一本削ってくれた。


 カイは、その代わりに、算を教えた。


 ヤナは算が苦手だった。式を丁寧に書くが、途中で一つ落とす。落としたところから先が全部ずれる。


 カイは、どこで落としたかをすぐ見つけた。


 二度目からは、ヤナが自分で見つけるようになった。



 リンが、それを見ていた。


「あんた、教えるのも上手いんだな」


 カイは、教えていない、と言った。どこで落としたかを言っただけである。


 リンは、それが教えることだ、と言った。



 時間割の紙は、机の中に入れておくことになっていた。


 カイは、懐に入れて持ち歩いた。


 誰も、そうしていなかった。



 トキが、箸を止めた。


「あんたたち、まだ三日だよね」


 リンが頷いた。


「じゃあ、なんでリンとゴウの二人は日本語で喋ってるの」


 三人が、顔を見合わせた。


 リンが言った。


「わたしは北の言葉、ゴウは南の言葉しか話せない。カイは上海の言葉と、北の言葉と、南の言葉を話す。だから、これがいちばん早い」


 トキが目を見開いた。


「じゃあ、カイは三つも話せるの」


「四つだ」


 カイが言った。


「川上の言葉も、少し分かる」


 トキとヤナが、両手をついて前のめりになった。口が半分あいて、瞼が上がって、黒目が小さく見えた。


「支那語って、そんなにいろいろあるの」


「十くらいあると聞いている」


 カイが言った。


「人間が、四億五千万人いる」

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