第七章 爪痕の残る初戦
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研究室はおよそ八メートル四方。中央には作業台が二つ、左壁には腰ほどの高さの観測機器、右壁には大型の制御盤が並び、奥には古い保守通路へ続く狭い開口部がある。竿賀は一番奥の端末前。レッドは中央よりやや右、ブラックはその半歩前、ピンクは左側の作業台を背にしていた。
対する五人は、壊れた防爆扉を背に扇形へ広がった。中央がギギ。その右にガガとザザ、左にゴゴとジジ。五人とも両手の銀色の爪を伸ばし、肉球模様の靴からも床を掴むための短い爪を覗かせている。
さっきまで赤い猫じゃらしを夢中で追いかけ、互いの肩をぶつけて「にゃーが先に見つけたにゃ」と言い合っていた子供たちだった。その名残なのか、ゴゴの耳にはまだ少しだけ悔しそうな赤みが残っている。だが今、五人の視線は完全に戦場へ戻っていた。
「変にゃ殻を着ただけで強くにゃったつもりかにゃ?」
ギギが爪を構える。
「ガガ、右から行くにゃ。ザザはその後にゃ。ゴゴとジジは左を押さえるにゃ。にゃーが真んにゃかを見るにゃん」
「分かったにゃ! にゃーが一番に倒すにゃ!」
ガガが勢いよく返事をした拍子に、右足の爪を床へ出しすぎて小さく滑った。すぐ踏み直し、何事もなかったように胸を張る。
「い、今のは準備にゃ!」
「誰も聞いてにゃいにゃ!」
ザザが思わず突っ込み、ゴゴがくすりと笑った。
その次の瞬間、ガガの姿が跳ねた。
床を二歩。右壁へ一歩。靴の爪を壁面へ一瞬だけ食い込ませて身体の向きを変え、ブラックの頭上を越える。小柄な身体が空中で半回転し、レッドの背後へほとんど音もなく落ちた。
「後ろだ、レッド!」
「えっ――あ、はいっ!」
返事までしてから振り向いた自分に、レッドは自分でも遅いと思った。喉がきゅっと縮まり、剣を握る両手が震える。ガガの右手は首筋、左手は脇腹へ向かっていた。どちらか一方だけ避ければ、もう一方が入るよう組まれた攻撃だった。
「ま、待って――!」
待つはずがない。
レッドは腰の引けた姿勢のまま、ほとんど恐怖だけで剣を横へ振った。右手の爪と刃がぶつかり、耳の奥まで響く金属音が散る。右の攻撃は弾けた。しかし左手は止まらず、三本の爪先がレッドの脇腹の装甲を斜めに削った。
「ひっ……!」
装甲越しでも衝撃は腹へ届いた。レッドは反射的に身を縮め、剣を身体の前へ突き出す。
斬ろうとしたのではない。ただ、近すぎる。離れてほしい。怖い。そう思っただけだった。
だが、強化された腕は、変身前の自分が知っている力ではなかった。
赤い刃がガガの右側腹部へ斜めに入った。
軽装の布地が裂け、その下へ刃が深く食い込む。押し出すつもりだった力はそのままガガの身体を横へ弾き、少女は肩から床へ落ち、二度転がって作業台の脚へぶつかった。
「……にゃ?」
ガガは最初、自分に何が起きたのか分かっていない顔をしていた。
すぐに兵士としての訓練が身体を動かした。右手を床につき、左手で傷を押さえ、立ち上がろうとする。まだ戦えるとでも言うように歯を食いしばった。
だが右脚が反応しなかった。
「……あれ」
もう一度、腰を上げようとする。右膝が途中で折れた。床へついた手にも力が入りきらず、血で濡れた指が滑って肘から落ちる。
「ガガ!」
ギギの声に、ガガは顔を上げようとした。
「だ、大丈夫にゃ。にゃー、まだ――」
言葉は途中で細い息へ変わった。
呼吸するたび胸と腹が小さく震える。深く吸おうとすると身体が拒むように途中で止まり、短い息だけが何度も漏れた。傷を押さえていた指の力も少しずつ弱くなる。頬から色が引き、額には冷たい汗が浮いた。
それでもガガは、みんなの前で弱いところを見せるのが嫌なのか、口元だけ無理に上げようとした。
「ギギ……にゃー、ちょっと、脚が変にゃ……」
最後まで、死ぬとは言わなかった。
右脚だけではない。左脚も少しずつ伸びたまま動かなくなり、床を掴んでいた指も開いていく。呼吸の間隔が不自然に長くなった。
竿賀が端末へ目を落とした。
「出血量が増えている。血圧低下。末梢反応も落ちている」
「そ、それって……何ですか。何が起きてるんですか。僕は、ただ離したくて……」
レッドの声は完全に上ずっていた。剣を握ったまま一歩下がり、もう一歩下がる。刃から目を逸らしたいのに、手の中にはガガの身体へ入った時の抵抗が残っている。
「違う……違うんです。そんなつもりじゃ……」
ガガが小さく息を吐いた。
次の息は入らなかった。
開きかけた唇も、床に投げ出された耳も、一本の尻尾も動かなくなる。
「生命反応停止」
竿賀の声だけが、ひどく平坦だった。
「……僕が、殺した……?」
レッドの手首が震え、剣先が床へ触れて小さな音を立てた。
「ガガぁっ!」
ザザの叫びがそれを掻き消した。
ザザは泣いていた。涙を拭うこともせず、床を蹴る。仲間の死で訓練が消えたわけではない。むしろ身体は覚えた手順どおり、レッドがまだ動けていない一瞬を狙っていた。
「ガガから離れるにゃ! 尾にゃし! 許さにゃい、許さにゃいにゃ!」
右手の爪がレッドの喉へ。左手は剣を持つ手首へ。
ブラックは正面から割り込めば間に合わないと見た。進路の半歩外へ身体をずらし、右手の黒いナイフを低く投げる。
刃はザザの前へ出た右太腿の外側へ刺さった。
「っ、にゃあっ!」
脚が崩れ、ザザは片膝を床へつく。それでも止まらなかった。左手を床につき、残る脚で身体を押し出し、低い姿勢のままレッドへ飛びかかる。
「まだ来るのかよ!」
ブラックは二本目を握った。
一瞬だけ迷う。腕か。もう片方の脚か。止められる場所はないのか。
だが、ザザの爪はもうレッドの喉まで数十センチだった。レッドは足が床へ縫いつけられたように動かず、喉を庇う腕すら上げきれていない。
ブラックは投げた。
黒い刃がザザの左胸へ入った。
硬い装甲はない。薄い布地を抜けた刃は深く刺さり、前へ進んでいた身体を後ろへ弾いた。ザザは背中から床へ落ち、肺から押し出されたような短い息を漏らした。
「……っ、ぁ……」
すぐ起きようとした。
両手を床につき、首を上げる。だが息を吸うたび、胸が途中で止まる。何度吸っても十分な空気が入ってこないように口を開き、肩だけを大きく上下させた。
右手がガガの方へ伸びた。
「ガ……ガ……」
声にはならない。指先が床を二度掻いた。身体を引き寄せようとしても腕が支えきれず、頬が床へつく。
ブラックは自分の投げた手を見つめた。顎が強く噛み締められている。
「……くそ」
ザザの肩がもう一度大きく動いた。空気を求める最後のような動きだった。その後は、小さく震えるだけになり、やがてそれも消えた。
レッドがかすれた声を出す。
「ブラック……今……」
「分かってる」
ブラックの声は低く、いつものぶっきらぼうな調子のままだったが、僅かに震えていた。
「俺だって平気じゃねえ。でも止まるな、レッド。今は前見ろ。俺があと一秒迷ってたら、お前の喉が切られてた」
「でも……」
「後悔は生き残ってからやれ。俺もそうする」
その言葉が終わるより早く、左側で金属が床を引っかいた。
◇
ゴゴがピンクへ飛び込んでいた。
さっき壁へぶつかって「わざと」と言い張っていた時とは別人のように、低い姿勢から鋭く距離を詰める。右手の爪は腹部、左手は逃げ道を塞ぐ角度。ピンクは鞭を横へ振ったが、まだ長さの感覚を掴みきれておらず、先端はゴゴの肩を浅く掠めただけだった。
「それ、使うの下手にゃ!」
「初回で完璧に使えって方が無茶なのよ!」
ゴゴの爪がピンクの左前腕を掠めた。桃色の装甲表面に傷が走り、その下へ鋭い熱が突き抜ける。
「痛っ……!」
「戦場で痛いって文句言う尾にゃし、変にゃの!」
「じゃあ覚えときなさい。私は痛い目に遭わされたら、相手が可愛い顔してようが子供だろうが腹が立つの」
ゴゴは一瞬だけむっとして頬を膨らませた。
「にゃー、可愛いって言われても手加減しにゃいにゃ!」
「褒めてない!」
次の踏み込み。
ピンクは鞭を短く持ち替え、床すれすれへ走らせた。桃色の鞭がゴゴの右足首へ巻きつく。両手で引くと、ゴゴの重心が崩れ、片膝が床へ落ちた。
「離すにゃ!」
「嫌よ。やっと捕まえたんだから」
ゴゴは爪で鞭を断とうとする。切れないと見るや、逆に左手の爪を伸ばしてピンクの足へ掴みかかった。
倒れても攻撃する意思は消えていない。
それを見たピンクの顔から、迷いが消えた。
「ピンク、もう止めてるなら――」
レッドの声が飛ぶ。
「止まってないでしょ」
ピンクは振り返りもしなかった。
「この子、降参した? 爪をしまった? 『もう殺しません』って言った? 全部してない。私の腕を切って、まだ脚まで狙ってる」
「でも、その……もう立ててないし……」
「赤井――じゃなくてレッド。自分の罪悪感の面倒は自分で見て。私は私を殺そうとしてる相手にまで優しくして死ぬ気ないから」
ピンクは鞭を大きく振り上げた。
第一撃がゴゴの胸元へ入った。
硬い装甲のない身体へ重い衝撃が直接届き、ゴゴの背中が床を滑って壁へぶつかる。肺の中の空気をまとめて押し出されたような声が漏れた。
「か……っ」
両腕が胸の前へ集まる。息を吸おうとするが、一度目は喉が鳴るだけだった。二度目でようやく短い空気が入り、ゴゴは片膝を立てようとした。
「まだやるの?」
ピンクの声は冷たかった。
ゴゴは答える代わりに右手の爪を伸ばした。
「……やるにゃ」
「そう」
二撃目が同じ場所へ重なった。
ゴゴの上体が大きく反り、横へ崩れる。胸元へ当てていた手が力を失って床へ落ち、伸びていた爪がゆっくり収納された。
今度は息を吸おうとする動きすらうまく続かない。口が一度開き、浅い呼吸が一つ。少し間があって、もう一つ。その次が来るまでの時間が長すぎた。
「ゴゴ!」
ジジの声が響く。
ゴゴの耳がその声に反応したように僅かに動いた。だが身体は起きなかった。やがて胸の上下も止まる。
竿賀がモニターを確認した。
「生命反応停止」
ピンクは荒い呼吸のまま鞭を下ろした。自分の前腕の傷を見て、それから動かなくなったゴゴを見る。
「……本当に殺せるくらいの出力なのね」
レッドの顔が青ざめた。
「何も……感じないんですか」
「感じるわよ。腕は痛いし、脚も痛いし、店は壊されたし、気分は最悪」
ピンクは吐き捨てた。
「でも相手が死んだら、私が傷つけられた事実まで消えるわけ? 違うでしょ。向こうは最初から私を殺す気だった。だったら私だけ相手の命を特別扱いする理由はない」
◇
五人いた小隊は、もうギギとジジしか立っていなかった。
ギギの視線がガガ、ザザ、ゴゴを順番に辿る。呼んでも返事はない。
ジジはもっと露骨に怯えていた。耳は頭へ貼りつくほど伏せられ、一本の尻尾を両手で抱えるようにして何度も後ろを見る。
「ギギ……にゃー、もう嫌にゃ。みんにゃ返事してくれにゃいにゃ。次はにゃーかもしれにゃい……」
兵士の声ではなく、怖くなった子供の声だった。
ギギは歯を食いしばった。爪を構えたまま、三人の亡骸と生きているジジを何度も見比べる。
「……撤退するにゃ。ジジ、にゃーから離れすぎるにゃ。生きて帰るにゃ。チャオ様へのご報告は、にゃーがするにゃん」
「怒られるかにゃ……?」
「今はそんにゃこと考えちゃだめにゃ。帰ることだけ考えるにゃ」
強く言ったギギ自身の尻尾も震えていた。
二人は奥の保守通路へ走った。
細い足場。古い鉄格子。下には暗い排水路が口を開けている。ジジが先に跳び、靴の爪を金属面へ食い込ませて着地した。恐慌していても、跳躍そのものは訓練どおりだった。
ただ、着地した身体がわずかに横へ流れた。
「にゃっ」
慌てて姿勢を直した拍子に、一本しかない尻尾が鉄格子の隙間へ深く入り込んだ。本人は気づかない。次の足場へ逃げようと膝を沈める。
「ジジ、尻尾――!」
ギギの叫びと、ジジが床を蹴る音はほとんど同時だった。
小さな身体だけが前へ飛んだ。
尻尾は格子の向こうへ残った。
ジジの腰が空中で突然後ろへ引かれ、身体が弓なりに反った。次の瞬間には勢いのまま足場へ横向きに叩きつけられる。最初の一瞬だけ、何が起きたのか理解できなかったように目を見開いた。
その横で、切り離された尻尾が金属へ激しく打ちつけられた。
ばたん、と一度。
すぐにもう一度。
持ち主の意思などもう届かないはずなのに、尻尾は生き物のように大きく跳ね、格子へぶつかり、床へ落ちてはまた身をよじるように動いた。先端が激しく振れ、金属を叩く乾いた音だけが狭い通路へ何度も響く。
ジジの口が大きく開いた。
声が出るまで、ほんの一瞬の間があった。
「い、ぎゃあああああああああああああっ!」
悲鳴というより、身体の奥から無理やり引きずり出された音だった。
腰の後ろから突き刺さった痛みが背骨を駆け上がり、頭の奥まで一気に突き抜ける。そこから痛みは弱まるどころか、肩、腹、腕、指先、脚へ何度も波のように広がった。両脚から力が抜けた直後、今度は全身の筋肉が勝手に縮み、背中が反り、指が硬く曲がり、身体が床の上で跳ねた。
「痛いにゃあああっ! 痛い、痛い、痛いにゃああああ! やだ、やだにゃ! ママぁっ! ママぁぁぁっ!」
言葉になっているのは、その程度だった。
何が起きたかを説明する余裕などない。訓練所で何を教わったかを語ることも、自分が死ぬと理性的に口にすることもできない。尻尾を失えば助からないという知識は頭のどこかにあるはずなのに、それを文章にする前に、次の痛みが思考を引き裂いた。
ジジは床を爪で掻いた。逃げようとしているのか、痛みから身体を遠ざけようとしているのか、自分でも分かっていない。脚はまともに動かず、腕だけで身体を引こうとして、わずか数センチ進んだところでまた全身が痙攣した。
「ジジ! ジジ、にゃーを見るにゃ! ここにいるにゃ! ギギはここにいるにゃ!」
ギギが駆け寄り、肩へ手を伸ばしかけた。
指先が触れた瞬間、ジジは喉が壊れそうな声で叫んだ。
「触るにゃあああああっ! 痛いっ、痛い痛い痛いにゃああああっ!」
「ご、ごめんにゃ! 触らにゃい! 触らにゃいから、ジジ、聞くにゃ! にゃーはここにいるにゃ!」
ギギは両手を宙へ浮かせたまま止まった。
抱き起こせない。背負えない。引きずることもできない。目の前で仲間が狂ったように泣き叫んでいるのに、助けようと身体へ触れることさえ苦痛を増やす。
格子の向こうでは、切り離された尻尾がまだ動いていた。
最初ほど大きくはない。それでも、ときおり突然強く跳ねて金属へ当たり、びくびくと細かく震えた。やがて大きな動きは消え、先端だけが何度か不規則に揺れたあと、完全に動かなくなった。
ギギはそれを一瞬だけ見てしまい、すぐジジへ視線を戻した。何も言えなかった。
「ママぁぁっ! 痛いにゃ! 助けてにゃああっ! ギギぃっ! お願い、お願いにゃあああっ!」
「いるにゃ! にゃーがいるにゃ! 置いていかにゃい! 絶対ここにいるにゃ!」
けれど、ジジにその声が届いているのか分からなかった。
胸が痙攣するように上下し、息を吸うたび喉から細い音が漏れる。十分に空気が入らない。苦しさに口を大きく開き、それでも次の瞬間には腰から全身へ走る痛みに身体を硬直させ、また泣き叫ぶ。
「もうやだにゃあああっ! 痛いのやだにゃ! 殺してにゃああっ! お願いにゃ、もう殺してにゃあああっ!」
ギギの顔から血の気が引いた。
「そんにゃこと言うにゃ! ジジ、帰るにゃ! みんにゃで帰るにゃ!」
「殺して、殺してにゃああっ! 痛いにゃあああっ! ママぁぁぁっ!」
返事ではなかった。
ギギが何を言っても、ジジは同じ言葉を泣き叫ぶだけだった。助けて。痛い。ママ。殺して。その四つほどの言葉が崩れ、悲鳴へ戻り、また断片的な言葉になる。小隊長の声も、仲間の約束も、もう苦痛の中へ沈んでいく。
レッドが数歩離れた場所から震える声を出した。
「何か……できませんか。止血とか、何か……竿賀さん、お願いです。あの子、ずっと……!」
竿賀は端末へ目を落としていた。しかし、いつものような断定はしなかった。
「生体反応が急速に落ちている。何が身体の中で起きているのか、私にも分からない。少なくとも、普通の外傷だけでは説明できない」
「分からないって……!」
レッドが一歩出ようとすると、ギギが反射的に爪を伸ばした。
「来るんじゃにゃい! ジジに近づくんじゃにゃい!」
声は怒鳴っているのに泣いていた。
レッドは足を止めた。ブラックも周囲への警戒を忘れたように数秒だけジジを見つめ、ピンクも腕の傷を押さえたまま何も言わなかった。
時間だけが過ぎた。
やがてジジの絶叫が、少しずつ小さくなり始めた。
楽になったのではない。
指先が冷え、床へ触れている感覚が薄れ、脚がどこにあるのか分からなくなっていく。激しく痙攣していた身体にも力が残っていない。痛みへ反応するだけの感覚そのものが、末端から鈍っていった。
「ジジ……? ジジ、聞こえるにゃ?」
ギギは声を掛け続けた。
さっきまで返事の代わりに悲鳴が返ってきた。今は、それすら弱い。
「ここにいるにゃ。にゃーはここにいるにゃ。置いていかにゃいから……ジジ、何か言うにゃ」
ジジの唇が震えた。
長い言葉にはならなかった。
「……ママ……」
それだけだった。
「ジジ! にゃーを見るにゃ! 目、開けるにゃ!」
ギギの声だけが大きくなる。
ジジの胸が浅く上下した。間隔が長くなる。一度息を吐くと、次に吸うまでの時間が恐ろしいほど延びた。
「ジジ! 帰るにゃ! おうち帰るにゃ! だから返事するにゃ! ジジ!」
もう返事はなかった。
ギギは何度も名前を呼んだ。
呼ぶたびに、次こそ耳が動くかもしれない、指が震えるかもしれない、もう一度泣き声でもいいから返ってくるかもしれないと待った。
何も起きなかった。
最後に胸がほんの少しだけ動き、それきり止まった。
竿賀はしばらく端末を見たまま黙っていた。やがて、声を低くして告げた。
「……生命反応、停止」
誰もすぐには動かなかった。
レッドは剣を持ったまま俯き、肩を小さく震わせている。ブラックは歯を食いしばり、視線を逸らさなかった。ピンクも黙ったままだった。
勝った側の沈黙ではなかった。
ギギはしばらく床を見つめ、それからゆっくり立ち上がった。
涙で濡れた目が、レッド、ブラック、ピンクを順番に捉える。
「覚えておくにゃ」
声は震えていた。
「尾にゃしの劣等種どもが、ガガとザザとゴゴとジジを殺したこと、にゃーは絶対に忘れにゃい。次に会う時は……今日みたいに逃げると思わにゃいことにゃ」
レッドは「違う」と言いたかった。ガガを殺すつもりはなかった。ジジには何もしていない。助けようとした。
どれも今ここで口にすれば、自分を守るための言葉にしかならない気がした。
ギギは爪を収めた。ジジを連れて帰ることもできないまま、何度も後ろを振り返りながら保守通路の暗闇へ消えていった。
戦闘の結果だけを見れば、三人は勝った。
だが、その言葉を口にできる者は一人もいなかった。




