第六章 三色の衝動
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「オーナー!」
みるくの声には、安堵より怒りの方がはっきり強かった。
「今までどこにいたのよ! 私は太腿を蹴られて、店は壊されて、今日の売上もたぶん消えて、赤井は肩を切られて、黒井も脚から血が出てるのよ。それなのに、どうしてあなたは白衣を一ミリも汚さずに奥から出てくるの?」
「観察室にいた。あの五人の走行速度、跳躍距離、筋出力、爪の伸縮速度、それから生体反応を測定していた。少なくとも、さっきまでの異常な動きに魔力反応は出ていない」
竿賀大は悪びれる様子もなく答えた。
「私たちを囮にしてデータ取ってたってこと?」
「結果だけ見れば、そう解釈できる」
「結果以外のどこを見たら違う解釈になるのよ!」
みるくは本気で殴りかかりそうな顔をした。その背後の防爆扉では、さっきまで猫じゃらしを追って別通路へ飛び込んでいた五人がようやく自分たちが誘導されたことに気づいたらしく、銀色の爪が金属を引っかく音が響き始める。
「騙したにゃー! 開けるにゃ! 猫じゃらし返すにゃ……じゃにゃくて、サオガを出すにゃー!」
途中で本音が混じったギギの怒鳴り声に、こんな状況でなければ赤井は笑っていたかもしれない。しかし扉の表面にはもう細い傷が増え始めていた。
みるくが竿賀へさらに食ってかかろうとしたところで、黒井が二人の間へ割って入るように低い声を出した。
「夫婦喧嘩みたいなのは後にしろ。白衣。あいつらを止める方法があるから出てきたんだろ?」
「夫婦じゃない。そういう冗談、給料上げてもらってから言って」
「そこに条件つけるのかよ」
「無料で誤解されるの嫌なの」
竿賀は三人のやり取りを無視し、白衣のポケットから赤、黒、桃色のラインが入った三つの指輪型装置を取り出した。
「試作ドライブリングだ。受け取れ。君たち三人の感情、意志、願いを生体エネルギーへ変換し、身体強化装甲と標準武装へ接続する」
赤井は飛んできた赤いリングを慌てて両手で受け止めた。
「待ってください。試作って、まだ完成していないという意味ですよね? いきなり命がかかっている状況で、知らない装置を身体につけろと言われても、普通はもう少し説明が必要なんじゃないですか」
「説明に五分使えば、その間に君たちは十回ほど切られる可能性がある。安全試験は最低限済ませてある」
「最低限って、どの程度なのよ」
みるくが桃色のリングを指先でつまみ、露骨に疑う。
「労災は? 保険は? 副作用で入院したら治療費は誰持ち? 後遺症が出たら補償は? それから、私の服やバッグが壊れた分も当然別請求よね。命が助かるから全部無料奉仕しろ、みたいな話なら私は嫌よ」
「未実用化技術を前提にした既存保険商品はない。治療費については私が負担する」
「じゃあ書面にして。口約束の科学者なんて、猫耳の暗殺者より信用できないんだけど」
「今書いている時間はない」
「ほんっと使えない。命を張らせるなら、せめて契約書と補償内容くらい先に用意しておきなさいよ。研究以外の段取りが壊滅的すぎるでしょ」
赤井は、自分たちを助けようとしている人にそこまで言うのかと思ったが、竿賀の方もまったく傷ついた様子がないので、この二人に関してはこれが通常の会話なのかもしれない。
黒井は黒いリングを腕へ通しながら、竿賀へ視線を向けた。
「補償の話は生き残ってから詰めるとして、今すぐ必要なのは起動方法だ。どうすればこのリングを使える?」
「リングを装着し、自分がここで何を望んでいるのかをはっきりさせろ。その上で『ドライブチェンジ』と声に出す」
「機械の起動条件にしては、ずいぶん精神論寄りだな。本当にそんな曖昧なもので出力が安定するのか?」
「感情を燃料にしている以上、精神状態は物理条件だ」
赤井は手の中のリングを見る。怖い。逃げたい。肩は痛み、目の前には爪を伸ばした五人がいる。自分は戦ったことなど一度もない。少し前まで、店でカクテルを注文するだけで緊張していた。
それでも、首を切られて倒れた店員や、客を逃がそうとして目の前で殺された受付スタッフの姿が頭から離れなかった。自分の肩を切った猫耳の少女たちに対しても、年齢の幼さが見えてしまったせいで、単純に憎むことすらできない。しかし、このまま何もしなければ、次に殺されるのは黒井かみるくか、あるいは地上へ逃げた他の客かもしれない。
「僕は……怖いです。正直、今すぐ逃げたい。でも、逃げたせいで別の誰かが傷つくのは、もっと嫌です。戦えるなら、少なくとも誰かが逃げる時間くらいは作りたい」
赤井の言葉に、リングの赤い線が淡く光った。
赤井の言葉を聞いた黒井も、黒いリングを装着した拳を一度強く握り、自分の恐怖を確認するように息を吐いてから言った。
「俺は、格好いい正義の味方になるつもりはねえよ。目の前の奴らは本気で俺たちを切ろうとしてる。なら、生きて帰るために必要なことはする。後悔するかどうかは、生き残ってから考える」
みるくは桃色のリングを腕へ固定し、痛む太腿を押さえながら猫耳の少女たちを睨んだ。
「私はもっと単純。私は死にたくないし、他人の事情で私の人生を壊されたくない。欲しいものも、行きたい場所も、稼ぎたい金額も山ほどあるの。私を邪魔して、それを全部奪おうとする奴がいるなら、そいつが誰だろうと先に潰す。私の人生の方が大事だから」
あまりに迷いのない言い切り方に、赤井は思わずみるくの横顔を見た。
「桃野さん、もう少し言い方を――」
「綺麗事を言った方がリングの性能が上がるの? 上がらないなら本音でいいでしょ」
竿賀は三人のリングから送られる数値を端末で確認し、感情反応が起動域へ達したことを確かめると、平然と次の指示を出した。
「三人とも反応値が上がった。起動できる。声に出せ」
三人は互いを見る余裕もないまま、それでも同じ言葉を叫んだ。
「ドライブチェンジ!」
赤、黒、桃色の光が研究区画を塗り替えた。
光は爆発するのではなく、三人の身体の輪郭を正確になぞりながら走り、腕、胸、腰、脚へ薄い装甲を積み重ねていく。赤井は肩の傷を覆う装甲が形成された瞬間、痛みそのものは消えないものの、動かすたびに走っていた鋭い刺激が少し和らぐのを感じた。身体が突然軽くなったのではなく、これまで自分が出せなかった力を、装甲が正しい方向へ補助してくれているような感覚だった。
竿賀は三人の装甲から戻る数値を確認すると、戦闘が再開しかけているにもかかわらず事務的な声で告げた。
「同期成立。実戦中に本名で呼び合うより識別名を固定した方がいい。赤井満――レッドドライブ。黒井菊――ブラックドライブ。桃野みるく――ピンクドライブ。三名を総称して、心技戦隊ドライブレンジャーとする」
「えっ。ちょ、ちょっと待ってください」
レッドは、呼ばれた自分の名前と突然与えられた戦隊名を頭の中で結びつけられず、両手を半端に上げた。装甲で補助されていても指先は小さく震えている。
「僕、まだ戦隊に入りますって返事してません。そ、それにレッドドライブって、今ここで決めたんですか? そういう大事な名前って、普通もう少し相談してから――」
「名前で敵は止まらねえ。来るぞ」
ブラックはレッドの抗議を途中で切り、壊れかけた防爆扉へ顎を向けた。すでに次の攻撃だけを見ている。
「ピンクドライブ……まあ、響きは悪くないわね」
ピンクは自分の腕を見回したあと、すぐ竿賀へ指を向けた。
「でも勝手に名前を付けた以上、商標と肖像とグッズの取り分は別契約だから。あとで『装備を貸したから全部うちの権利』とか言ったら訴えるわよ」
「命名から十秒も経っていないのに収益化の話をするのか」
「十秒あれば金の話はできるでしょ」
レッドは何か言おうとして、また防爆扉が軋む音に肩を跳ねさせた。今は名前の是非より、生き残る方が先だった。
ブラックは手を開閉し、脚の踏み込みを試す。ピンクは自分の腕と脚を確認した後、場違いなほど真剣な顔で装甲の表面を見た。
「デザインは思ったよりマシね。これで野暮ったかったら、命が助かってもかなり腹立つところだった」
「今、そこを評価する余裕あるんですか?」
「余裕があるんじゃなくて、気になるものは気になるの。赤井は死ぬかもしれない時にまで他人の価値観へ口出しするのやめた方がいいわよ」
「そこまで言わなくても……」
その時、防爆扉が大きく内側へ歪み、次の一撃で留め具が弾け飛んだ。五人の少女が一斉に室内へ雪崩れ込み、その先頭でギギが怒りと恥ずかしさに耳まで赤くしながら爪を伸ばす。
「猫じゃらしでにゃーたちを騙したこと、絶対に許さにゃい! 尾にゃしもサオガもまとめて捕まえるにゃん!」
三人がまだ武器の扱いを確認しきれていないことを見抜いたのか、ギギは言い終えるより早く動いた。
「尾にゃしが、変にゃ殻をまとったにゃ。構うにゃ、切って確かめるにゃん!」
靴の爪が床を噛む。ギギは真っ直ぐレッドへ飛び込み、右手の爪を頬の高さへ振り抜いた。
さっきまで見えなかった動きが、今度は見えた。
足裏が床を蹴る瞬間。腰が回り、肩が開き、右肘が伸びる順番。レッドは上体を反らし、爪先が顔の数センチ前を通過するのを見届けた。
「見える……さっきより、ずっとはっきり見えます!」
「同期成功。標準武装も呼び出せる。意識を右手へ集中しろ」
レッドの右手へ赤い光が集まり、片手剣――レッド・ドライブソードが形を取る。ブラックの両手にはブラック・ドライブナイフ。ピンクの手にはピンク・ドライブウィップが伸びた。
「剣なんて触ったことありません! 持てたからって使えるわけじゃないですよ!」
「俺も実戦でナイフ投げた経験なんかねえ。力が出ることと技術があることは別だ。自分ができる範囲で動け!」
「二人とも、最初から格好よく戦えると思ってたの? そういう期待値の高さ、人生疲れそう」
「桃野さんだって鞭、さっき自分の脚に当てかけてますよ!」
「見てたなら黙ってなさい!」
言い合いながらも、三人は五人の少女が繰り出す第二波を迎えた。




