第九章 帰った三匹
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三匹のキャレット兵が完全に見えなくなったのを確認すると、レッド、ブラック、ピンクは変身を解除した。赤、黒、桃色の装甲が光へほどけ、それぞれ赤井、黒井、みるくの姿へ戻っていく。
戦闘が終わった《ノクターン》裏手には、勝利という言葉では片づけられない光景が残されていた。警備員に加え、三匹のキャレット兵が路地に横たわり、最後に死亡した一匹のそばには赤井が静かに置いた一本尻尾がある。解放されたスカベンジャー隊員も壁へ背を預けたまま、しばらく立ち上がれなかった。
やがて竿賀から連絡を受けた別のスカベンジャー部隊が到着し、負傷者の確認、周辺封鎖、監視映像やSNS投稿の確保、フェリディウム反応の採取を始める。
赤井はキャレット兵の遺体を回収する担当者へ、切り離された尻尾も必ず一緒に扱ってほしいと頼んだ。
「元には戻せないと思います。でも、その子にとっては命と同じくらい大切なものだったんです。物みたいに捨てないでください」
担当者が頷いたのを確認している横で、みるくはもうスマートフォンを取り出していた。
「博士。私が仕留めたの三匹だから三百万ね。それと最後の一匹。尻尾が弱点なのは前にも見たけど、今回は戦闘中に狙っても本当に致命傷になるって実証できたでしょ。その実戦データ分も追加して。無料扱いしたら本気で殴るから」
電話の向こうで竿賀が何か答えると、みるくの眉間へ深い皺が寄る。
「は? 『戦闘中に得た情報は基本契約内』? あんた本当にクソね。こっちは命張って猫と殺し合ってんのに、実験結果だけタダ取りする気? 次に会ったら契約書丸めて口に突っ込むから」
仲間同士が何度か名前を叫んでいたものの、みるくは六匹の名前をほとんど覚えていなかった。彼女にとって死んだ三匹は、「最初に倒した一匹」「その次の一匹」「尻尾を取った一匹」という戦果の区別の方が重要だった。
黒井はその会話を聞き流しながら、最後の一匹が死んだ場所へ視線を向けていた。尻尾を失い、反撃も逃走もできなくなってからの苦痛と恐怖。その姿を思い出すたび、自分の胸へあの危うい昂揚が戻ってくる。
赤井が嫌そうな顔で見ていることに気づくと、黒井は肩をすくめた。
「見るなよ。俺だって、自分がまともだとは言ってない」
「自覚があるなら少しは反省してください」
「反省したら性癖が消えるなら楽なんだけどな」
「そこをさらっと性癖って認めないでください!」
みるくが電話口を塞ぎながら二人を睨む。
「うるさい。クソ赤とド変態、今金の話してるから黙って」
その日の夜、三人は竿賀の研究室へ戻った。
赤井がドライブリングを持ってきたのは、返却するためではない。
「博士。僕も参加します」
竿賀は驚くより先に、赤井の顔を観察した。
「分かったよ、赤井君。ただ、君は先日の戦闘後に『人を殺すためにこの力を使いたくない』と言っていた。そこは変わったのかな?」
赤井は契約書の前へ座り、首を横に振った。
「変わってません。今日も一般の人が殺されましたし、あの兵士たちも危険です。でも、あの子たちだって死ぬのを怖がっていました。任務に失敗したまま帰れば上官に殺されると言っていたし、それでも何か成果を持ち帰れば命だけは助けてもらえるかもしれないと思って帰っていった」
赤井は一度言葉を切り、リングを見る。
「人間を見下している考え方だって、あの子たち個人だけの問題じゃないと思います。だから僕は、戦って止めます。でも、話せる相手とは話したい。できるなら殺さずに捕まえて、命令を出している人とも話したいです」
「最終的には?」
「この戦いそのものを止めたいです。敵だから殺す、殺されたからまた殺す、を続けたら終わらないと思うので」
竿賀は契約書の一項を指で示した。
「私の契約では、殺害そのものを義務にはしていない。撃破認定には捕縛、戦闘不能、撤退強制も含まれる。赤井君が非殺傷を選ぶのは自由だよ」
みるくがすぐ身を乗り出した。
「じゃあ赤井君が敵を捕まえて百万円もらったのに、『こんなお金受け取れません』とか気持ち悪いこと言い出したら、私に譲れる?」
「まだ言ってません!」
「でも言いそうじゃない。だったら先に決めといた方がいいでしょ」
竿賀は二人を止めるどころか、端末へ何かを書き込んでいる。赤井が不審そうに問い詰めると、竿賀は平然と答えた。
「報酬に対する三者の心理差だよ。赤井君は倫理、みるく君は所有欲。そして黒井君は、敵の苦痛に対して通常より強い情動反応が出ている」
赤井とみるくの視線が同時に黒井へ向いた。
黒井は腕を組んだまま、少しも否定しなかった。
「博士、それ研究対象にする必要あるか?」
「ドライブシステムは感情で出力が変化する。黒井君が敵の苦痛を見た時に戦闘集中度が上がるなら、当然研究対象だ」
「ほら見なさいよ。科学的にも変態認定されてんじゃない」
「博士はそこまで言ってないだろ」
竿賀は真顔のまま「現時点ではね」と付け加え、みるくが吹き出した。
赤井だけは頭を抱えたが、それでも最後には契約書へ署名した。
その瞬間から、三人全員が正式なドライブレンジャーとなった。
◆
一方その頃、地上から撤退したサクラ、スミレ、ナズナは、フェリディア王国へ続く帰還路を急いでいた。
三匹とも疲労と負傷で身体は重かった。それでも胸元の記録装置だけは何度も確認している。竿賀を連れて帰れなかった以上、この記録こそが自分たちの命綱だった。
「最初に情報から言うにゃ」
サクラは走りながら、何度も考えた報告手順を二匹へ確認する。
「『サオガを捕まえられませんでした』から入ったら、チャオ様はすぐ怒るにゃ。まず新しい三人の戦士を記録したこと、その情報が次のサオガ捕獲に絶対必要だって説明するにゃん」
ナズナは怖さを隠せず一本尻尾を身体へ寄せていたが、それでも懸命に頷いた。
「赤はにゃーたちを殺したがらにゃい、黒は強くて苦しんでる敵を見るのを喜ぶ、桃は弱った相手でも平気で殺すにゃ。こんだけ分かれば次は対策できるにゃん。ちゃんと役に立ったって言えば、チャオ様も命だけは助けてくれるかもしれにゃいにゃ」
スミレも自分自身へ言い聞かせるように続けた。
「三匹で同じことを説明するにゃ。記録もあるから嘘じゃにゃいって分かるにゃん。次はもっと上手くやれる、サオガも絶対捕まえるって言えば……すぐ処分されたりはしにゃいかもしれにゃいにゃ」
誰一匹、「絶対に助かる」とは言わなかった。
それでも、自分たちにはまだ価値があると信じたかった。
三匹は帰還路の途中で何度も報告内容を練習した。言葉を間違えないために。チャオを怒らせないために。そして、生き残るために。
やがて三匹はチャオの執務区画へ通された。
部屋の壁際には数匹の侍女キャレットが控え、誰も必要以上の物音を立てないよう身体を固くしている。その中央で、巨大なハンマーを背負ったチャオは、帰還した兵の数を見るなり眉を吊り上げた。
「六匹出したはずだよな。何で三匹しかいねえんだ?」
三匹は即座に床へ膝をつき、顔を上げなかった。
サクラは震えそうになる声を必死に整える。
「チャオ様、重要にゃ情報を持ち帰りましたにゃ。地上にはサオガと関係する三人の戦士が存在していて、それぞれ能力も性格も違いますにゃ。戦闘記録も全て残っていますにゃ。次のサオガ捕獲へ必ず役立ちますにゃ」
チャオの苛立ちは消えなかったが、「情報」という言葉で動きが止まった。
「見せろ」
三匹の胸へ、同時に小さな希望が灯った。
侍女キャレットが三匹から記録装置を回収し、再生機へ接続する。
映し出されたのは、ブラックが複数の兵を相手に前線を維持する姿、ピンクが弱った相手へ追撃する様子、レッドが途中から現れて剣を下げたまま対話を求める場面、そして一本尻尾をピンクが狙い、兵士が死亡していく一連の映像だった。
チャオは最後まで見た。
「黒いのは強いな。しかも相手が苦しむのを見て喜ぶ。こういう馬鹿は釣り方が分かれば扱いやすい」
続いてピンクの映像へ視線を移す。
「桃色は金と自分の気分が最優先か。こいつも別の意味で分かりやすいな。……ただ、一尾の尻尾を狙うことまで覚えやがったのは面倒だ」
最後にレッドが、撤退する三匹をピンクから守る映像が映った。
チャオは鼻で笑った。
「赤いのは何だ。敵を生かして帰して、次は話したい? 尾無しのくせに一尾を同じ生き物みたいに扱ってやがる。気色悪い奴だな」
ナズナは、チャオが情報を真剣に見ていることに安堵し、ほんのわずかに呼吸を緩めた。スミレの肩からも少し力が抜ける。
チャオは記録装置を侍女へ返した。
「使える情報じゃねえか」
三匹の耳が同時に持ち上がった。
サクラは今しかないと思った。
「ありがとうございますにゃ! 次はこの情報を使えば、もっと上手く戦えますにゃ。赤はにゃーたちを殺したがらにゃいので、そこを利用できますにゃ。サオガの捕獲も、次こそ――」
「で、サオガは?」
三匹の身体が硬直した。
サクラは喉が張りつく感覚を覚えながら答える。
「……連れて帰れませんでしたにゃ。ただ、今回の情報を使えば次は必ず――」
「情報は使う」
チャオはあっさり言った。
ナズナの目に涙が浮かぶ。
助かった。
少なくとも、その瞬間まではそう思った。
恐る恐る顔を上げかけたナズナが、小さな声で尋ねる。
「じゃ、じゃあ……にゃーたち、兵舎へ戻ってもいいですかにゃ……?」
チャオは不思議そうに眉を上げた。
「何で?」
その一言で、三匹の表情から安堵が消えた。
「情報が使えることと、お前らが任務に失敗したことは別だろ」
チャオは三匹の背後へ回った。
サクラがようやく意味を理解し、慌てて言葉を続ける。
「チャオ様、お待ちくださいにゃ! 次の作戦では絶対に役に立ちますにゃ! にゃーたちは今回の戦闘も経験して――」
チャオの片手が、サクラ、スミレ、ナズナの一本尻尾を三本まとめて掴んだ。
三匹の声が一斉に止まる。
「い、嫌にゃ……」
ナズナの喉から、細い声だけが漏れた。
チャオは特別に怒った様子もなく、書類を片づけるような無造作さで腕へ力を込めた。
三匹の身体が同時に後方へ引きずられる。
サクラは床へ両手をつき、前へ逃れようとした。
「チャオ様! 次は、次は絶対に――!」
スミレも床へ爪を立てながら必死に訴える。
「記録には、死んだにゃかまたちの動きも残っていますにゃ! 全部次へ使えますにゃ! だから――!」
ナズナは自分の尻尾へ手を伸ばそうとしたが、恐怖で指が震え、届かない。
「助かるって……思ったにゃ……」
チャオは何も答えなかった。
そのまま三本まとめて、一気に引いた。
三本の尻尾が同時に失われた。
三匹分の絶叫が執務区画へ重なった。
サクラは床へ倒れた直後から全身を強く反らせ、指を硬く曲げた。小隊長として最後まで言葉で状況を変えようとするように、何度も口を開く。
「つ、次……作戦……にゃーが……」
しかし言葉を作ろうとするたび、痛みに呼吸を奪われる。胸を大きく動かして空気を求めても十分には吸えず、最後には報告なのか悲鳴なのかも分からない音しか出なくなった。
スミレは最初の絶叫のあと、周囲の音が遠のいたように何度も瞬きをした。横にいるはずの二匹を探そうと顔を動かす。
「サクラ……ニャズニャ……どこにゃ……」
視界が定まらず、床へ手を伸ばしても何も掴めない。
「記録……消さにゃいで……ランたちも……いたって……」
そこから先は声にならなかった。
ナズナは三匹の中で最も激しく逃げようとした。地上戦で強く打った背中や胴の痛みも残る身体で、両腕だけを使って床を這う。しかし呼吸はすぐに崩れ、口を大きく開いても短い空気しか入らない。
「嫌にゃ……死にたく……」
一度息を吸おうとして、喉が鳴る。
「助かると……思った……にゃ……」
その言葉を最後に、ナズナは説明する余裕を失った。身体が細かく痙攣し、指だけが何度も床を掻く。
一方、チャオの手の中では、三本の尻尾が激しく動いていた。
互いに絡み合い、ほどけ、また跳ねる。
チャオはそれを一瞥すると、壁際で震えている侍女キャレットたちへ腕を振った。
「ほら。片づけろ」
三本の尻尾が侍女たちへ投げつけられた。
「にゃああああっ!」
数匹が同時に恐怖の悲鳴を上げる。
一本が侍女の肩へ当たり、もう一本は胸元へぶつかって足元へ落ち、残る一本も別の侍女の腕を掠めて石床へ転がった。
それでも動きは止まらなかった。
床へ落ちた三本の尻尾は、持ち主から離れてなお神経反射で跳ね、身を捩り、ときおり突然大きく弾んだ。
「嫌にゃ! こっち来るにゃあっ!」
一匹の侍女は腰を抜かしてその場へ座り込み、脚の間へ失禁が広がっていることにも気づかないまま後ずさろうとした。目の前で一本の尻尾がまた大きく跳ねると、「殺さにゃいでにゃ!」と叫びながら両腕で頭を覆った。
その隣では、別の侍女が口元を押さえたまま足元の尻尾を見つめ、顔から血の気を失った。そのまま白目を剥き、隣の侍女へもたれかかるように気絶する。
「ちょ、ちょっと、倒れるにゃ――」
支えようとした侍女まで、床で動く三本と苦しむ兵士たちを交互に見た瞬間、膝から力が抜けた。
チャオは眉をしかめた。
「兵を三匹処分しただけで侍女まで倒れるなよ。仕事が増えるだろうが」
床では、三匹の死が進んでいた。
サクラは最後まで報告を続けようとしていた。焦点の合わない目が記録装置の方へ動き、口が何度も開く。
「情報……役に……次……」
最後まで、自分たちが役に立つことを証明しようとしていた。
だが声はそれ以上つながらず、全身の強張りも次第に弱くなる。床を掴んでいた指が一本ずつ開き、浅かった呼吸の間隔が伸び、やがて胸が動かなくなった。
スミレはサクラの声を探すように顔を横へ向けたまま、何度か唇を動かした。
「サクラ……?」
返事がない。
その意味を理解できたかどうかも分からないまま、スミレの瞼が半ば落ちる。胸が短く二度動き、三度目の呼吸は来なかった。
ナズナは最後まで意識が残っていた。
涙を流し、何度も息を吸おうとする。しかし脇腹の痛みと全身の機能低下が重なり、呼吸は浅くなる一方だった。自分の手を見つめ、次にチャオを見ようと首を動かしたものの、途中で力が抜ける。
「……生きたかったにゃ……」
最後にわずかな声が漏れた。
胸が一度だけ大きく動いた。
それきり、次の呼吸は戻らなかった。
六匹で地上へ向かった小隊は、これで一匹も残らなかった。
チャオは死んだ三匹へ視線を向けることなく、記録装置を手に取った。
「赤、黒、桃……三人か。次はオレが直接行って、サオガごとまとめて潰す」
その時、壁面の軍用通信装置が低い警告音を鳴らした。
表示されたのは、チャオより上位の多尾貴族から送られた軍令認証だった。
地上への独断出撃を禁ずる。
今回取得した戦闘記録を提出し、上級指揮区画へ出頭せよ。
チャオの顔が露骨に歪む。
「……チッ」
それでも命令には逆らえなかった。
三尾のチャオですら、フェリディア王国ではさらに上から命令される側にすぎない。
チャオは記録装置を掴み、床で死んだ三匹にも、失禁や失神で動けなくなっている侍女キャレットたちにも目を向けないまま部屋を出ていった。
残された侍女たちは、まだ微かに痙攣している三本の尻尾からできるだけ目を逸らしながら、震える手で後始末を始めた。
地上では、赤井が今ごろ、自分の意思で契約書へ名前を書いている。
敵とも話せる可能性を捨てず、今日帰した三匹も無事に生き延びてほしいと信じながら。
その三匹が、役に立つ情報を持って帰った直後に自分たちの上官から殺されたことを、赤井はまだ知らない。
そして、三匹が命と引き換えに持ち帰った記録は、彼女たちの命を救うことはできなかったが、フェリディア王国のさらに上へ確実に届こうとしていた。
地上で三人が見たものは、まだ王国の入口にすぎなかった。
第2話 了




