第四章 地上回収命令
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その日の午後、フェリディア王国軍の出撃区画には、新たに選抜された六匹のキャレット兵が横一列に並んでいた。
壁際の装備台には、後方勤務のキャレット兵たちが整備を終えた六匹分の肉球グローブと肉球ブーツが一組ずつ揃えられ、その横には通信装置、小型の記録装置、地上に残された王国装備を収納する回収ケースが置かれている。朝の検査で伸縮機構に不具合の見つかった肉球グローブもすでに修理され、フェリディウム合金製の爪が正常に出入りすることまで確認済みだった。
六匹はそれぞれ別の小隊から集められていた。前回のギギたちと同じ一尾のイエネコ族であり、訓練所を経てキャレット兵になった少女たちだが、背丈も髪型も猫耳の形も少しずつ違う。緊張すると耳が横へ倒れてしまう者もいれば、逆に強がって尻尾だけをぴんと立てている者もいる。
その中の一匹は、さっきから右手用の肉球グローブを左手にはめようとしていた。
「……あれ? 入らにゃいにゃ」
何度押し込んでも指の位置が合わず、首を傾げている。隣の兵士がしばらくその様子を見ていたものの、とうとう我慢できなくなったらしく、彼女の手首を指差した。
「それ、右手用にゃ」
「えっ?」
「印がこっちに付いてるにゃん。左右逆にゃ」
言われた兵士は自分の手と肉球グローブを交互に見比べ、ようやく間違いに気づくと猫耳を一気に伏せた。
「……誰にも言わにゃいでほしいにゃ」
「もうみんにゃ見てるにゃ」
隣からそう言われ、周囲の何匹かが堪えきれず小さく笑った。間違えた本人は頬を膨らませながら肉球グローブを交換したが、恥ずかしさは尻尾の動きにまで出ており、先端だけが落ち着きなく左右へ揺れていた。
そんな幼い空気が残っていても、彼女たちは兵士だった。
フェリディアのイエネコ族は幼い時期に家族のもとを離れ、訓練所へ入る者が多い。訓練所では読み書きや王国史だけでなく、体力、敏捷性、武器の扱い、集団行動、上位者への礼法、そして唯一の尻尾を守るための戦闘技術まで叩き込まれる。その成績と適性によって進路が分かれ、ごく少数の最優秀者は貴族に仕える侍女候補へ、頭脳や学術適性を認められた者は科学や医療の専門課程へ進み、それ以外の大多数はキャレット兵として王国軍へ送られる。
だから、この場に並ぶ六匹も、まだママの温かさを覚えている頃から兵士になるための生活を続けてきた。
前方の壁へ地上の簡略図が投影されると、さっきまで笑っていた六匹の表情が引き締まった。説明を担当する後方勤務のキャレット兵が、前回の侵入地点と竿賀の施設周辺を指し示す。
「今回の任務は、前回と同じ竿賀の確保だけじゃにゃいにゃ。最優先事項の一つは、地上へ残された肉球グローブ、肉球ブーツ、通信装置にゃどの王国装備を回収すること。それから、前の五匹が地上でにゃにと戦ったのか、可能にゃ限り記録を持ち帰ることにゃん」
六匹は真剣な顔で説明を聞いていた。
しかし、一匹だけ記録装置を胸元へ取り付けようとして、なかなか留め具が閉まらない。何度やっても外れてしまうため、焦って力任せに押した瞬間、装置が手から滑って床へ落ちかけた。
「にゃっ!」
隣の兵士が素早く両手で受け止める。
「危にゃいにゃ! 出撃する前に壊したらどうするにゃ!」
「ご、ごめんにゃ! 手が滑っただけにゃん!」
「貸すにゃ。こうやって先に下を入れてから、上を押すんにゃ」
金具を留めてもらった兵士は、少し照れたように猫耳を動かした。
「ありがとにゃ」
「地上でも落とさにゃいでにゃ。にゃーまで一緒に怒られたくにゃいにゃん」
小さなやり取りが終わるのを待ってから、説明役は記録装置の重要性を改めて念押しした。
「任務開始から帰還まで、これは切らにゃいことにゃ。もし誰かが戦えにゃくにゃった場合も、余裕があるにゃらその子の記録装置だけは回収するにゃん。前回みたいに、五匹分の情報がまとめて消える事態は避けにゃきゃいけにゃいにゃ」
列の端にいた小柄な兵士が、おそるおそる手を挙げた。
「前の五匹を倒した相手は、まだ分かってにゃいのかにゃ?」
「分かってにゃいにゃ。ギギ小隊長だけは一度王国へ戻ったけど、詳しい報告は残されてにゃいにゃん」
その答えを聞くと、小柄な兵士の耳が横へ倒れた。
「じゃあ……にゃにがいるか分からにゃいところへ行くのかにゃ」
強がって尻尾を立てていた別の兵士が、彼女の肩を軽く叩く。
「六匹いるんだから大丈夫にゃ。もし変にゃのが出ても、にゃーが最初に爪でやっつけるにゃん」
そう言って格好よく肉球グローブの爪を展開しようとしたものの、勢い余って腕を大きく振ったせいで、背後に置かれていた空の回収ケースへ肘をぶつけた。
ケースが倒れ、大きな音を立てる。
「……痛いにゃ」
さっき怖がっていた兵士が目を丸くし、そのあと噴き出した。
「地上人より先に箱に負けてるにゃん」
「負けてにゃいにゃ! これは油断させる作戦にゃ!」
「誰を油断させてるのにゃ」
六匹の間から笑い声が漏れ、張りつめていた空気が少しだけ緩んだ。
説明役のキャレット兵も叱りつけることはせず、倒れたケースを起こしてから小さく息をついた。こうした姿を見ていると、彼女たちがこれから人間の住む地上へ潜入し、必要とあれば爪で相手を殺す兵士だという事実を忘れそうになる。
けれど、戦闘命令が出れば話は別だった。
「竿賀以外の人間は、情報を持っている可能性がある場合だけ捕らえるにゃ。情報を持っておらず、逃走、通報、抵抗、進路妨害にゃどで任務を邪魔する場合は、その場で排除して構わにゃいにゃん」
笑っていた六匹の顔から、自然に幼い表情が引いていく。
「了解にゃ」
返事には迷いがなかった。
人間を殺すことについては、訓練所ですでに教えられている。可愛らしい仕草を見せ、仲間とふざけ、お菓子の取り合いで喧嘩するような少女たちであっても、命令された敵を殺傷するための訓練を受けた王国兵なのである。
装備確認が始まると、六匹は肉球グローブの爪を一本ずつ展開し、続いて肉球ブーツの爪を床へ食い込ませた。壁面保持や急制動にも使用するため、足側の爪に異常がないかは特に念入りに確かめる。
一匹が爪を引っ込めたところで、隣の兵士が突然その尻尾を指差した。
「毛、跳ねてるにゃ」
「えっ、どこにゃ?」
「先っぽにゃ。寝癖みたいににゃってるにゃん」
本人は慌てて後ろを振り返ろうとするが、自分の尻尾の先はなかなか見えない。くるくる身体を回して追いかけ始めたため、周囲の兵士たちがまた笑い出した。
「動いたらもっと見えにゃいにゃ!」
「だって気ににゃるにゃん!」
結局、隣の兵士が毛並みを手で整えてやると、本人は満足したように尻尾をぴんと立てた。
その様子を見ていた補充兵だけは、しばらく笑わなかった。
今朝、右膝を負傷した兵士がチャオに殺されたため、代わりとして急遽この小隊へ入れられた一匹だった。朝まで自分が地上へ行くことになるとは思っておらず、家族へ何の知らせも出していない。
彼女は肉球ブーツの留め具を確かめながら、小さく呟いた。
「……ママに手紙、書いてくればよかったにゃ」
隣の兵士が笑うのを止めた。
「帰ってから書けばいいにゃん」
「でも、訓練所に入ってから、あんまり会えてにゃいにゃ。前に帰った時も、妹たちがずっとママの隣を取ってたから、にゃーはあんまり甘えられにゃかったにゃ」
そう言いながら、補充兵は少し恥ずかしくなったのか猫耳を伏せた。
「……本当は、久しぶりに抱っこしてほしかったにゃ」
隣の兵士はからかわなかった。彼女も幼い頃に家を離れ、訓練所の最初の夜には毛布の中で声を殺して泣いた経験がある。
「じゃあ、帰ったらしてもらうにゃ。地上任務をちゃんと終わらせて、『にゃー頑張ったにゃ』って言えば、きっとママもいっぱい褒めてくれるにゃん」
補充兵の耳が少し持ち上がった。
「本当かにゃ?」
「本当にゃ。だから帰るにゃん。みんにゃで」
「……うんにゃ」
補充兵は嬉しそうに頷いた。
幼くして訓練所へ入り、家族と離れて暮らすキャレット兵たちにとって、ママという存在は単に故郷にいる親ではなかった。怖い夜に抱きしめてもらった記憶、毛並みを整えてもらった感触、失敗して泣いた時に頭を撫でてもらった安心――兵士としての訓練では消せない、最も古い安全の記憶でもあった。
普段は仲間たちの前でそんなことを口にしない者でも、強い不安を覚えれば無意識にママを思い出すことがある。
そして、命の危険に晒された時にはなおさらだった。
その時、出撃区画の扉が開いた。
重い足音とともに三本の尻尾が見えた瞬間、六匹の少女たちから先ほどまでの柔らかな空気が消えた。補充兵もすぐに姿勢を正し、全員が一斉に床へ膝をついて視線を下げる。
超巨大ハンマーを背負い、白いポニーテールを揺らして入ってきたのはチャオだった。
彼女は六匹を一瞥すると、説明役へ顔を向けた。
「こいつらが次の六匹か?」
「はいにゃ。肉球グローブ、肉球ブーツ、通信装置、記録装置ともに確認を完了しておりますにゃ。命令が下り次第、すぐ地上へ向かえますにゃ」
「だったら今から行け。待つ意味ねえだろ」
「承知いたしましたにゃ」
チャオは六匹の前をゆっくり歩きながら、一匹ずつ頭から足先まで眺めていく。さっき尻尾の毛を整えてもらっていた兵士も、肉球グローブを左右逆にはめていた兵士も、今だけは微動だにしなかった。
「前の五匹は、人間一人連れてくる仕事すらできなかった。お前らに難しいことは求めねえ。落とした装備を拾う。何にやられたか記録する。竿賀を見つけたら生きたまま連れてくる。それだけだ」
チャオは列の途中で足を止めた。
「また何も分かりません、何も持って帰れませんでしたなんて面下げて戻ってきたら、帰ってきたことを後悔させてやる。ギギがどうなったかは聞いてるだろ?」
何匹かの耳が小さく震える。
補充兵も反射的に一本尻尾を身体へ寄せた。
チャオは、その恐怖を見て満足そうに口元を歪めた。
「死ぬなら役に立ってから死ね。記録さえ残してりゃ、死体まで帰ってこなくても文句は言わねえよ」
「……承知いたしましたにゃ!」
六匹の声が重なる。
チャオは出口へ向かいかけたが、途中で振り返った。
「それと、人間なんかにビビるな。あいつらは尻尾すら持ってねえ下等種だ。一本尻尾のお前らでも、人間より上だってことを忘れんなよ」
その言葉を残し、チャオは出撃区画から姿を消した。
三本の尻尾が扉の向こうへ消え、足音も聞こえなくなってから、六匹はようやく立ち上がった。
先ほど強がって回収ケースに肘をぶつけた兵士が、少し青ざめた顔のまま仲間を見る。
「……今度こそ、にゃー本当に地上人より先にチャオ様にやられそうだったにゃ」
横にいた小柄な兵士が、思わず吹き出した。
「だから箱と戦ってる場合じゃにゃいにゃん」
「もう箱の話は忘れるにゃ!」
頬を膨らませると、他の兵士たちからまた小さな笑いが起こった。
怖くないわけではない。
帰ってこなかった五匹のことも知っている。
チャオが負傷兵を殺したことも、ギギが任務失敗の報告後に殺されたことも知っている。
それでも六匹は仲間同士で笑い、互いの装備を直し、怖がる子の肩を叩きながら出撃準備を整えていく。そうしなければ、ママや姉妹たちから離れて暮らしてきた長い訓練所生活も、これまで何度も乗り越えてはこられなかった。
やがて出撃区画の先にある隔壁が開き、地上へ続く通路の照明が一本ずつ灯った。
六匹は回収ケースを分担し、通信を確認すると、前にいる仲間の尻尾を追うように一匹ずつ通路へ入っていく。
最後尾になった補充兵だけが、入口で一度立ち止まった。
胸元の記録装置へ手を当て、それから誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
「ママ……にゃー、行ってくるにゃ。帰ったら、今度こそいっぱい抱っこしてもらうにゃん」
そう言うと、彼女は自分で恥ずかしくなったらしく耳を伏せ、先に進んだ仲間たちを追って駆け出した。
「待ってにゃー!」
前を歩いていた一匹が振り返る。
「遅いにゃ! 置いてくにゃん!」
「置いてかにゃいでにゃー!」
六本の尻尾が、地下通路の奥へ小さく揺れながら遠ざかっていった。
地上で何が待っているのか、彼女たちはまだ知らない。
前の地上戦で五匹と交戦した三つの力のうち、黒はすでに次の戦いへ備えて訓練を重ね、桃は報酬と待遇の算段を始めている。
そして、まだ空席のままになっている赤にも、自分の意思でもう一度リングを握るかどうかを決める時が近づいていた。




