第9話 水揚げ
ティアは鏡に映っている自分の姿を見て、息を呑んだ。
昨日ミーナが選んでくれた、子爵家にいた頃着ていたドレスよりもずっと動きやすいシンプルなワンピースの上に。「ミスリ=ルリスミ」という文字が胸元に書かれた、橙色と白藍色の二色で構成されたエプロンを纏っている。
ティアはエプロンの右端と左端を掴んで持ち上げてみたり、亜麻色の長髪を揺らしながらくるりと一回転してみたりして。
それから興奮した様子で、側に立っているルラへと笑いかけた。
「ゆ、夢の衣服をっ! 私は今っ! 身に纏っていますっ!」
「それは何より。よく似合ってるね」
ルラの言葉に、ティアは満面の笑みを浮かべると、再び鏡の中の自分と目を合わせ始めた。
(高価なドレスよりも、ずっとずっと、このエプロンを身に着けられたことが嬉しい……)
ティアは高鳴ってしょうがない心臓の側に左手で触れてから、ルラへ向き直った。
「改めて、ありがとうございます。ルラさん!」
「お礼なんていいよ。それじゃ、そろそろ行こっか?」
「はいっ! いざ、お花屋さんへゴーゴー、ですね!」
「あ、行く前に花壇寄るからね。うちの店明日休みだから、今日はそんなに店に持ってかないけど」
「わかりました!」
きらきらと微笑うティアの頭に、ルラの右手がそっと伸びて。
撫でられるかと思って目を細めるも、ルラはさっと手を引っ込めてしまった。
「…………? 撫でないんですか、ルラさん?」
「…………。……なんか、今撫でたら、噛まれるような気がした」
「私は子犬じゃないんですから、ルラさんを噛んだりしませんよ!」
「あはは、どうかな?」
飄々とした笑顔を浮かべながら歩き出すルラに、ティアはむむっと頬を膨らませて。
鈍感な彼女は気付かない。ルラの耳が微かに赤くなっている理由にも、ルラがティアに触れるのを躊躇った本当の意味にも。
綺麗に開花している花々を幾らか収穫して、ティアとルラはランディテシャ商業区へと向かう。
やがて、花屋・ミスリ=ルリスミが見えてきた。店頭には既に箒を持っているミーナの姿があって、ティアとルラに気が付くと、作業の手を止めて柔らかく笑いながら手を振ってくれる。
「おはよう、二人とも。それとティアちゃん、今日からミスリ=ルリスミの店員としてどうぞよろしくね」
「おはようございます、ミーナさん! こちらこそ、どうぞよろしくお願いしますっ!」
深々と頭を下げるティアに、ミーナは「貴族のティアちゃんに頭を下げられるのって、何だか不思議な気分ね」と笑う。
「それを言ったら、昨日土下座されたときはもっと不思議な気分だったんじゃない?」
「あのときは、ティアちゃんが貴族だって知らなかったから」
ミーナはルラへそう返答しながら、持っていた箒をルラへ手渡し、代わりにルラから花々を受け取った。ミーナはティアの方を向いて、小さく首を傾げる。
「そういえばティアちゃんは、『水揚げ』って知ってる?」
「はい、勿論知っています! 根がなくて水をうまく吸い上げられない切り花が水を吸い上げやすくするように、茎を切ったりすることですよね?」
「大正解! 花の種類によっては折ったり焼いたりするのが適してる場合もあるけど……今日の花は全て切ればよさそうね」
ルラが手渡してくれた花々の種類を確認して、ミーナが優しく頷く。
「ミーナ、これ、水揚げ用の水だよ」
ルラが、店の中に置いてあったバケツに綺麗な水を入れて持ってきてくれる。ミーナは彼へ「ありがとう」と微笑みかけてから、花々の茎を水につけると桃色の唇を開いた。
「〈空の世界と地の世界を分かつ・地平線のように・切断せよ〉」
ミーナの紡いだ魔法に呼応するように、花々の茎が美しく斜めにカットされる。その様子を見守っていたティアは、感嘆して吐息を零した。
「すごい……! 今のが、ミーナさんの魔法ですか!?」
「そうよ。わたしの魔法ができるのは、切ること。もっとも、そこまで魔法の才があるわけじゃないから、大きなものは一発で切断できないけどね」
「なるほど……それでも、花屋のお仕事にばっちり活かせる魔法ですごいです!」
「ふふ、褒めてもらえて嬉しいわ。そうしたら、水揚げした花は幾らか水につけたままにしておかないとね」
ミーナは微笑みながらそう言って、バケツを持って店の中へと去っていく。
ティアはルラと目を合わせて、わくわくした様子で口を開いた。
「ルラさん! 早く私も、お花屋さんのお仕事をしたいです!」
「あはは、やる気があって何より。ちなみにティアちゃんは、『こういう仕事をやってみたい』とかってあるの?」
ルラの質問に、ティアは少しの間考えて。それから、答えた。
「勿論、どんな仕事でもやりたいですが……一番は、花束を作ってみたいです! お客さんが『こういう人に、こういう目的で花を贈りたい』って仰ったとき、その気持ちに最も寄り添えるような花束を作れたら、とっても素敵だなと思って……!」
「うんうん、なるほどね。いいじゃん。ちなみに、例えば今店頭に飾ってある花で、知らない花ってあったりする?」
「知らない花、ですか……?」
ティアは店頭に飾られている花々と一通り目を合わせてから、ルラへと笑いかけた。
「ぜーんぶ、知っています! 花の名前、花言葉、生息地、長持ちする育て方……どの花に関しても事細かに説明できると思います!」
「ほんと? そりゃすごいね。それと、実際に花束を作ったことはある?」
「ありますよ! ルビュロサム子爵家にいた頃、使用人さんが仕事を辞めるとき、自分で作った花束を贈ったことがあるんです。喜ばれるというよりはびっくりされちゃったんですが……」
「確かに貴族から使用人に花束を贈るってあんまり聞かないもんね」
ルラはくすりと笑う。
「そしたら店内で、一応うちの花屋流の花束の作り方も見てもらおっかな。ティアちゃんにとって特に新しい発見はないかもしれないけど」
「見せてくださるんですか!? 嬉しいです!」
「喜んでもらえてよかったよ。それで、開店時間になったらミーナと一緒に接客してもらおっかな。それで花束を作ってほしそうなお客さんが来たら、ティアちゃんが作ってあげて」
「い、いきなりいいんですか……!?」
「うん。できあがった花束は渡す前に俺も確認を入れるから。安心して?」
「ありがとうございます、ルラさん! 花屋の店長さんが、ルラさんでよかったです」
ティアの言葉に、ルラは澄んだ青色の目を見開いて。
ティアの頭へと手を伸ばして、また撫でる前にさっと引っ込めた。
「…………? ルラさん、もしかして今日は頭を撫でるふりにはまっているんですか?」
「…………。……うん。そういうことに、しようか」
(そういうことに「しようか」ということは……何か別の理由がある?)
鈍感なティアでも、そこまでは考察できた。けれども、別の理由が何かは全くわからなかった。
「……ほら、ティアちゃん、店内行くよ? うちの花屋流の花束の作り方、気になるでしょ?」
「あっ、そうでした! とっても気になります!」
ルラの淡く揺れる銀色の髪を追いかけるように、ティアは昨日ぶりにミスリ=ルリスミの店の中へと足を踏み入れる。
風が吹いて、店頭の花々がそんな二人を見送るかのように穏やかに揺れ動いた。




