第7話 事故
ルラのシャツを纏いながら、洋間の椅子に座ってティアはうとうととしていた。
(ルラさん、いつ頃帰ってくるかな……)
ルラと最後に会話を交わしたときから、そこそこ時間は経過した気がする。そろそろ帰ってきてもおかしくない――ティアは素足をぶらぶらさせながら、ルラの帰宅を待っていた。
(急な来訪者が来る気配もないですし……)
そんなことを考えていると、玄関のドアの鍵が開かれた音がした。この家の鍵を持っているということは、急な来訪者がやってきたのではなくルラが帰ってきたのだ――そう思い至るも、ティアは一応大声で「ルラさんですかー?」と尋ねる。
『そうだよー。どの部屋いんの? 部屋の前に着替え置いとくから教え――』
「やっぱりルラさんですねっ!」
ティアは嬉しくて洋間のドアを開く。すると、唖然とした表情を浮かべているルラと目が合った。その表情の意味がわからず、ティアはこてんと首を傾げる。
「ど、どうかしましたか……?」
「……隠れといて、って言ったよね」
ルラは白い耳をわかりやすく赤くしながら、ティアから視線を逸らす。
「え、『隠れといて』って……急な来訪者からでは、ないんですか!?」
「いや急な来訪者からも隠れてほしいけどさ! 俺から! 俺から隠れてくれないかな!」
「な、何故……!?」
あわあわとするティアに、ルラは額の辺りに手を添えながらはあと溜め息をつく。
「……ティアちゃんがアホな子犬だってことは、よぉーくわかったよ」
「ア、アホな子犬……!? な、何てことを仰るんですかルラさん! 訂正してください!」
「あ、ちょ、急に近付いてこないで!? うわっ」
怒りに任せて突進してきたティアに動揺し、ルラは体勢を崩す。ティアもまた床につまずいて体勢を崩し。
――結果的に、ティアがルラを押し倒しているような構図ができあがってしまった。
ルラは顔まで若干赤くしながら横を向く。
「……いいとこのご令嬢って、何というかさ、淑女教育とか受けてないわけ?」
「ひゃ、ひゃあああああ! す、すみませんっ!」
「謝んなくていいから、一緒に行こっか。――お花屋さん不採用スペースに」
「嫌あああああ!」
自らの瞳と似た色彩の桜色のネグリジェに身を包んだティアは、洋間の椅子に脚を組みながら座って書物に視線を落としているルラへとおずおずと声をかける。
「ル、ルラさん……着替え、終わりました」
「……ほんと?」
ルラは書物からゆっくりと顔を上げる。それからティアの服装を見て、「似合ってるじゃん」と笑った。
「ええと……お、怒っています?」
「怒ってないよ? ただ、手のかかる子犬と同居することになっちゃったなーと思って」
「手のかかる子犬……わ、私のことですか!?」
「君以外に誰がいるの?」
「そして、同居!?」
「うん。だって君、家を捨てて王都まで来たんでしょ? 毎日宿に泊まるつもり?」
「私は、それでも全然いいかなって思ってこっちに来て――」
ティアのあっけからんとした笑顔に、ルラはわざとらしく溜め息をついてから、「……あのさ」と立ち上がる。
「ティアちゃんはもう少し、自分が魅力的な女の子だって自覚してもいいんじゃないかな?」
「え!? か、からかうのはやめてください!」
「からかってない。……俺、貴族の事情に詳しいって言ったでしょ。ライアン=ミルカリング侯爵と同じくらいか、もしくはそれ以上にやばい貴族っていっぱいいるんだよ? 王都なんて富裕層が多く住む町だ。ティアちゃんが家を捨てたってわかったら、金に物を言わせてティアちゃんを娶ろうとする奴もいるんじゃない?」
「か、金に物を言わせて……」
ティアがさあっと蒼白になっていく。彼女の反応にくすくすと笑いを零してから、ルラは再び口を開いた。
「……まあ、君も俺みたいなわけわからん奴といきなり同居するのも大変かもだし。だから、契約みたいなものだと思ってくれればいいよ。ティアちゃんは夢だった花屋で働ける代わりに、花屋の店長である俺と一緒に住む。それでどう?」
優しい眼差しのルラに問われ、ティアはぱちぱちと瞬きを繰り返して。
それから、不思議そうに首を傾げる。
「……つまりルラさんは、私にとってのメリットとデメリットを提示しているおつもりなんですか?」
「え? うん、そうだけど」
怪訝そうなルラへ、ティアは「……だとしたら、大間違いですよ」と告げて、彼の右手を両手で包み込む。
「――だって私、花屋で働けるのも、ルラさんと一緒に住めるのも、最高に嬉しいですもん!」
ティアは、太陽の花のように眩しく笑う。
ルラは青色の目を見開いて、彼女の笑顔から視線を逸らしながら小声で言う。
「……何でこの子といると、俺、こんなペース乱されるんだろ」
「…………!? 今、ペスミダの花の話をしていましたか!?」
「有名なおとぎ話にも登場する青くて綺麗なペスミダの花の話は特にしてないかな」
「……というか、私、お花屋さん採用ってことですよね!?」
「うん、そうなるね」
「やっっったー!」
ティアは万歳の姿勢を取りながらぴょんぴょんと跳ね回り始める。そして絨毯に足を取られ、転びかけて、
そんなティアを、ルラは抱き寄せた。
ふわりと、花のいい香りがした気がする。顔を上げてルラを見れば、すごく呆れたように笑っていた。
「……はあ、ティアちゃんはほんと、手のかかる子犬だね……って、何!?」
「くんくん……」
ルラの胸元に顔を埋めると、やっぱり彼からは花のいい香りがした。花屋で働いているからか、花の香りの香水を纏っているからかはわからないけれど、ずっと浸っていたくなるにおいだった。
数秒ほど嗅いでいたらルラに肩を掴まれ、身体を離される。
ティアが驚いて彼の顔を見ると、視線を逸らされていて、また白い耳が赤く染まっていた。
「……あんま、変なことしないで?」
ちょっぴり震えた声でどこか気恥ずかしそうに言うルラに、ティアは取り敢えず「は、はい!」と豪速で頷いた。ルラの気が変わって王都にほっぽり出されたら大変だ、と戦々恐々としながら。




