第6話 シチューとお風呂
「わあああああ……!」
冷水の入った銀色のゴブレットと一緒にテーブルの上に置かれたそれを見て、ティアは思わず息を呑む。
野菜とお肉がごろごろと入ったシチューだった。美味しそうな香りがティアの鼻をくすぐる。
「こ、これ、食べていいんですか……!?」
「うん、どうぞ。昨晩作りすぎちゃったからちょうどよかったよ」
「それでは遠慮せず、いただきます!」
ティアは銀色のスプーンを右手に持つと、シチューを一すくいして口に運ぶ。
(…………!? お、美味しすぎない……!?)
濃厚で、それでいてどこか澄んだ味わい。ふとゴブレットの冷水に口をつけて、それからもう一度シチューを食べる。
(……やっぱり。きっとこのお水を、シチューを作るときにも使っているんだ!)
貴族の礼儀作法を一旦頭から吹き飛ばしながら、ティアはがつがつとシチューを食べ進める。その様子に、ルラは腕を組みながらふふっと笑った。
「ティアちゃん、いい食べっぷりだね? 作った甲斐があるな」
「だって、ほんっっっとうに美味しくて……! ルラさん、すごく料理上手なんですね!」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。あ、俺ちょっと用事済ませてくるからそのまま食べてて」
「はい!」
ルラはひらひらと手を振って洋間から去っていく。ティアはシチューと冷水を反復横跳びするかのように食事を進めて、数分でお皿もゴブレットも空になってしまった。
ティアはぼんやりと余韻に浸る。ルビュロサム子爵家にいた頃、使用人が作ってくれる料理も勿論美味しかった。でも、ルラが用意してくれたシチューはそれとは比べ物にならないほど美味しくて――幸せな気持ちを零すように、ティアはひとりごちる。
「……余りにも、美味しすぎました……」
「へえ、そうなんだ」
「ひゃあっ!」
背後から声が降ってきて、振り返ればいつの間にかルラが部屋に戻ってきていた。
「い、いつの間に……!」
「俺が戻ってきたのに気付かないくらい美味しかった? それは何より」
にこにこと笑うルラが、タオルのようなものを持っているのに、ティアは気が付く。
「……そういえば、用事って何だったんですか?」
「ああ、風呂沸かしてきたんだよね。何日も風呂に入れてないって、君が雨の中の子犬みたいに悲しそうに言ってたから」
「あ、雨の中の子犬みたいに……!?」
衝撃を受けるティアに、ルラは「そうそう」と首肯しつつタオルを手渡す。
「それと……こんな短時間で、沸かせたんですか?」
「うん。俺風呂沸かすの得意なんだよね」
「得意不得意の問題……!?」
またしても衝撃を受けるティアに、ルラは笑いながら頷いて、「この部屋を出て右に進んで突き当たりが浴室だから」とすらすら解説する。
「……あ、ありがとうございます」
「うん。……あれ、どうしたの、急になんか顔赤くして」
「そ、その……」
ティアはルラの青い瞳から視線を逸らして、ぼそぼそと小声で言う。
「……いつもルラさんが使ってるお風呂場を、使うのって……何だかちょっと、恥ずかしくて……」
ルラは目を丸くしてから、はあと大きな溜め息をつく。
「ど、どうして溜め息をつくんですか!」
「いや……どうしてそういう可愛いことをさらっと言うのかなって……」
「か、可愛くないです! からかわないでください! 私、お風呂に行ってきます!」
つんとした態度になって椅子から立ち上がりドアの方へと歩き出すティアの肩を、ルラが掴んだ。
驚いて振り向いたティアを、ルラは真っ直ぐに見据えながら告げる。
「――あんまり俺以外の男の前で、そういうこと言っちゃだめだよ?」
「ふぇ? な、何故ですか……!?」
「理由がわからないなら余計に。……単純に、心配してるだけ」
どこか不安そうな眼差しと共に言うルラに、ティアはぱちぱちと瞬きを繰り返してから、「ありがとうございます!」と頭を下げる。
「優しいんですね、ルラさんって!」
「うんまあ、優しいのかな……? 取り敢えず約束ね。破ったらこの建物内にあるお花屋さん不採用スペースに連れて行くから」
「た、建物の中にもあるんですね!? てっきり外にあるのかと! それはともかく、お花屋さん不採用スペースは嫌だーっ!」
まるで温泉のように広々としたお風呂に、ティアは肩まで浸かっていた。
(……このお風呂を一瞬で沸かした? どういうこと?)
頭上にクエスチョンマークがぴょこっと浮かんでいる気分になりながら、ティアは液面にうっすらと映る自分と目を合わせる。
(この世界って、前世の日本ほど文明は進展していないし……そうすると、ルラさんの魔法なのかな? お風呂を沸かすのがこんなに得意なら、お花屋さんではなくお風呂屋さんを営んだ方ががっぽがっぽ儲かるような……)
不思議に思ったティアはちょっと考えて、(……それでもお花屋さんを営みたいくらい、お花が大好きなのかも)という結論に辿り着く。
「……ふふ」
思わず、優しい笑みが零れてしまった。嬉しくて、愛おしくて。ルラがもしかしたら自分と同じくらい、花々を愛しているという可能性が。
『ティアちゃーん?』
「ひゃあっ!」
突然ルラの声が聞こえてきて、ティアは驚いてびくりと肩を震わせる。どうやらルラはドアの向こうにいるようだった。ティアは大きな声を出して返事をする。
「な、何ですかー?」
『夜逃げするときさ、着替えとかって持ってきてたのー?』
「着替え……いえ、特に!」
『……じょうろとシャベルは、持ってきたのにー?』
「美しいドレスよりも、じょうろやシャベルの方が大事ですのでー!」
ルラからの反応が途切れた。聞こえなかったけれど嘆息されたような気がして、ティアはむっと頬を膨らませる。
『……じゃあさ、風呂出たら何着るつもりなのー?』
「……言われてみれば、確かに!?」
また反応が途切れた。今回は嘆息されるに相応しいやらかしをしている気がして、ティアは頬を膨らませずにルラの返答を待つ。
『……そしたら俺、ミーナと一緒に店閉めてから、別の店でミーナに君の衣類選んでもらうから。それでいいー?』
「は、はい! ありがとうございます!」
『裸でいられても困るからさ、俺の洗濯してあるシャツ置いとくから、それ着て隠れといてね。勝手に家から出ないでね、よろしくねー』
「了解です! 感謝です!」
小さな足音が遠ざかっていく。
(……私は大体百五十センチメートルで、ルラさんは百八十センチメートルくらい? とすると、シャツだけで色々隠れるはずですね)
前世の単位で物事を考えつつ、うんうん、とティアは頷く。
(……色々隠れるはずなのに、何でルラさんは私に「隠れといてね」って言ったんだろう?)
うーんうーんと唸りつつ考えて、ティアは「急な来訪者が来た場合、シャツ一枚の女が現れてびっくりさせてはいけないため」という結論を出す。
(納得、納得……)
ティアはお湯の心地よさに目を細めながら、また、うんうんと頷いた。
手のひらを見ると、皮膚が少しばかりふやけている。このくらいのふやけ度合いならまだ浸かっていて大丈夫だろうと考えながら、ティアは楽しげに鼻歌をうたい始めた。




