第3話 花屋・ミスリ=ルリスミ
森を抜けると、柔らかな黄緑色の草原に両サイドを彩られた灰白色の道に辿り着いた。
ティアを追い越すように、がらがらと音を立てながら馬車が進んでいく。恐らく王都へ向かう馬車だろう。きっと道は合っていた――ティアは安堵しながら、段々と遠ざかっていく馬車を見つめて進み続ける。
一時間ほどが経過して、ようやく王都が見えてきた。嬉しくて、ティアは無意識のうちに駆け足になる。亜麻色の長髪は、夕陽を受けて宝石のように煌めいた。
王都の南門には二人の衛兵が立っていた。彼らは、薄汚れたネグリジェを身に纏い、さらにじょうろとシャベルを持っているティアを見て、怪訝そうに顔を見合わせる。
ティアは小さな鞄から通行証を取り出し、衛兵たちに見せた。自らがルビュロサム子爵家の令嬢であることを示し、様々な町に出入りすることができる貴重な証明書。二人の衛兵はもう一度顔を見合わせて、ひそひそと小声で会話を交わしてから、ティアを通してくれる。
――ランディテシャ商業区。
南門をくぐると、目にするのを待ち焦がれていた場所が現れて、ティアの胸はどくんと高鳴った。
(すごい……私、本当にここまで来られたんだ……!)
(早速花屋を……いや、その前に、宿屋に泊まろうと思っていたんでした)
はやる気持ちを抑えながら、ティアは取り敢えず宿屋を探すことにする。ランディテシャ商業区の西側に、ユラディゼ宿泊区があったはずだ……王都の地図を頭の中に思い浮かべながら、ティアはランディテシャ商業区を突っ切ることにした。
衣服、靴、帽子、アクセサリー、お菓子、雑貨、日用品――様々なお店が並んでおり、色とりどりの建物を見ているだけで胸が高鳴る。
突き当たりの道を、何となく左ではなくて右に曲がった。
その瞬間、ふわりと優しくて甘いにおいがティアの鼻をくすぐった。
ティアは立ち止まり、ばっとその店を見る。
――花屋・ミスリ=ルリスミ
看板には、そう書かれていた。
橙色の華やかな花弁をつけるミスリの花は「太陽の花」と呼ばれ、白藍色の品のある花弁をつけるルリスミの花は「月の花」と呼ばれる。
(……なんて綺麗なお店の名前なんだろう)
看板の文字に見惚れているティアに、一人の女性が近付いていく。
「……もしかして、お花をお探しですか?」
ティアははっとして、視線を下げて目の前に立っている女性と目を合わせた。
片側のサイドで編まれた赤の強い赤茶色の長髪。ティアを映し出す黄金色の瞳は、ティアが子爵領の庭園で育てていたスティムリアの花を想わせた。
「……貴女、は」
「わたしですか? わたしはミーナ。ミスリ=ルリスミの店員ですよ」
そう言って柔らかく笑う女性――ミーナの自己紹介に、ティアは目をありありと見開いて。
そして、じょうろとシャベルを脇に丁寧に置くと、ミーナへと土下座した。
「雇ってくださいっ!」
「え、ちょ、ちょっと、どうしたの!? どうして急に土下座するの……!?」
余りの衝撃に敬語が剥がれ落ちたミーナに、ティアは「一生の夢なんです!」と地面に額を付けながら叫ぶ。先に宿屋に行くはずの計画は、がらがらと音を立てながら崩れ落ちていった。
「一生の、夢……!?」
「そうなんです! お花屋さんで働くのが、すっごく昔からの夢で! 何なら一生の夢というか、二生の夢まであって!」
「二生の夢……!? わたし、二十年生きてきたけど、まだまだ知らない言葉があるものね!」
目を丸くしながら、うんうん、と頷くミーナ。ティアは「なので、お願いしますっ!」と土下座し続ける。
「――ちょっと、何の騒ぎ?」
早朝の湖のように低く澄んだ声がして、ティアは驚いて顔を上げる。
そこには美しい青年が立っていた。長身で、透き通るように白い肌。銀雪に染まったような髪を一つに結んで、長い銀色の睫毛の下で湖を閉じ込めたような青色の瞳が覗いている。
青年はミーナ、そしてミーナの前で正座の姿勢で座り込んでいるティアを見て、「……いや、本当にどういう状況?」と薄く笑いながら首を傾げた。
「それが、この子……うちのお店で働きたい? みたいで」
「そうなんです!」
ミーナの言葉に半ば被せるように、ティアが大声で言う。
「私、本当にお花が大好きで……! とてもやばい家へ政略結婚させられそうになって、それが嫌で遠くにある家を捨てて夜逃げして、はるばる王都まで来ました!」
「え、待って、つまり君って……家出令嬢ってこと?」
青年の問いに、ティアはそっと頷いた。
「そうですね……家出令嬢という括りがあるとすればそれに属しますね、私……」
「ちなみに、とてもやばい家ってどの家のどいつか聞いてもいい?」
「大丈夫ですよ! ミルカリング侯爵家のライアン=ミルカリング侯爵です」
「うわ、ほんと? まじでやばい家じゃん」
くすくすと笑う青年に、ティアは目を見張って「ご存知なんですか……?」と尋ねる。
「まあね。俺は別に貴族じゃないけど、諸事情で貴族の噂に詳しくてさ」
「すごい、情報通なんですね!」
「あはは、褒めてくれてんの? ありがと。で、君の名前は?」
「私ですか? 私はティア=ルビュロサムといいます! 十八歳です!」
「え。ゼノ=ルビュロサム子爵の一人娘の?」
「私のこともご存知なんですか!?」
「うん。結構界隈だと有名だよ、君のお父さん? 器量のいい娘を利用して成り上がりを狙ってるって」
「器量のいい娘、って……わ、私のことですか?」
顔をほんのりと赤く染めてもじもじとするティアに、青年はおかしそうに笑う。
「これで照れちゃうんだ。可愛いね、ティアちゃんって」
「かわ……!? か、からかわないでください!」
ティアは納得いかない様子でぷいっとそっぽを向く。青年は「別にからかってるわけじゃないのに」と笑ってから、再び口を開いた。
「取り敢えず面白そうな話だし、店の中で色々聞かせてよ。俺とミーナに」
「私の話ですか……? 幾らでも! そのついでに雇ってくださると、冥利に尽きます!」
「そんなに労働したいのってレアだよね。普通みんな遊んで暮らしたいもんじゃないの?」
「まあ確かに、花畑で永遠に遊ぶのも魅力的ですけれど……」
「遊ぶ場所、花畑限定なんだ」
青年はくすくすと笑う。今まで二人の話を聞いていたミーナも「よっぽど花が好きなのね」と微笑んだ。
「あ、名乗ってなかったね」と青年は思い出したように言って、立ち上がったティアと目を合わせた。
「――俺はルラ。ミスリ=ルリスミの店長をやってる。どうぞよろしくね、ティアちゃん」




