第22話 侯爵令嬢【side:ルラ】
ルーディラル=メイティーデ。
「水の大魔法使い」という二つ名で国中に知られている彼が、普段は「ルラ」という名前を使用していること、そして王都で花屋を営んでいることを知っている人は少数だった。
そして、彼が五歳のとき――魔素が最も濃い時期にあたる――魔素にあてられて凶暴化した魔物に両親を殺され、王都の北西にある孤児院に引き取られたことを知っている人となると、さらに少なくなった。
ジュガネース侯爵家の令嬢であるリリティレナ=ジュガネースは、それらの情報を全て知っている。
何故なら彼女は侯爵令嬢であると共に、ルラと共に〈安寧を破壊する竜〉から国を救った「炎の大魔法使い」だから。
――話は、ティアとルラが邂逅を果たすおよそ一ヶ月前に遡る。
夜。ルラは真っ赤な花束を抱えながら、ジュガネース侯爵家の庭園を歩いていた。
やがて、彼女の姿が見えてくる。茜色の花々に囲まれるように設置されている円形の白色のテーブルと、二つの白色の椅子。――リリティレナは片方の椅子に座りながら、ティーカップに入った紅茶を飲んでいた。
燃ゆる炎のようなウェーブがかった赤毛と、神秘的な薄紫色の瞳。
ルラは彼女へと歩み寄り、花束を差し出した。リリティレナはティーカップをテーブルの上のソーサーに置くと、「ありがとう」とルラへ笑いかけて花束を受け取る。
ルラはもう片方の椅子に座りながら、口を開いた。
「どういたしまして。それにしても、急にどうしたの? とびきり派手で華やかな花束を売ってほしい、だなんて」
「ああ、言っていなかったか。今日は私にとって、とってもめでたい日だからな」
侯爵令嬢らしからぬ口調で語りながら、リリティレナは口角を上げる。
「とってもめでたい、っていうと……もしかして結婚でもした?」
「いや、逆だ。婚約を破棄してやったのだ!」
「え……はあぁ!?」
ルラは目を丸くする。ルラの記憶が正しければ、リリティレナはジュガネース侯爵家と結び付きの強い別の侯爵家の令息と、そろそろ結婚するはずだったのだが……
「……どうして婚約破棄なんてしたの?」
訝しげな眼差しで問うルラに、リリティレナはあっけからんと笑う。
「だってあいつ、こう言うんだぞ? 『女に魔法は相応しくない』、『結婚したら家事と育児に専念しろ』ってな」
「え、それ、まじで?」
「こんなところで君に嘘をついてどうする。いやあ……心底がっかりしてな。私は私の魔法に誇りを持っている。それなのに『お前の魔法は野蛮だ』とまで言われてな……だから、破棄してやった!」
「なるほど、やばい奴が許嫁だったんだね……え、でもさ、破棄って言うけどさ、揉めなかったの?」
「揉めたに決まっているだろう! お父様もお母様もかんかんに怒っていたよ。でもちょっと炎を見せたら大人しくなったぞ」
「炎見せたんだ……」
少し引いたルラに、リリティレナは花束の包装を撫でながら笑う。
「――だって、むかついたんだ。私は魔法を使って、魔物に殺されかけている家族を救ったことがある。四年前の〈安寧を破壊する竜〉だって、私たちの魔法で殺さなければきっと沢山の人を殺していた。その魔法が、野蛮? そう見做す思想の方が、ずっと野蛮だろう?」
リリティレナの薄紫色の瞳には、信念が溶けている。
何者も奪うことができないであろう信念が。
ルラは彼女の信念に圧倒されながら、ゆっくりと首を縦に振った。リリティレナは満足げな笑顔で問いかける。
「ルラだって、むかつくだろう? 毟り取るような気軽さで、花々を否定されたら」
リリティレナの言葉に、ルラは彼女の太ももの上に横たわる花束とそっと目を合わせた。
両親を亡くし、気付けば孤児院にいて。泣いてばかりいるルラを、あるとき院長が花畑へと連れて行ってくれた。銀雪のように静謐な色彩をしたシャディネラの花々。
――死者に言葉を届ける花と言われているの。
院長にそう教えられ、縋るように叫んだ。両親への言葉を。全てが愛という概念で説明できるような言葉を。
孤児院に帰り、眠りについたら夢を見た。両親と再会し、抱きしめられる夢だった。
花畑で贈った言葉に感謝を告げられた。
その出来事があってから、ルラは花を愛するようになった。
回顧しながら、ルラはリリティレナと目を合わせる。
「……そうだね。むかつくよ。そこに悪意しかなかったとしたら、なおさらね」
ルラの言葉に、リリティレナはふふっと笑う。
「だから私は、ルラは花が大好きな人と結婚するべきだと思うんだ」
「え、は? 急に何?」
「単なる先輩からのアドバイスだよ。家柄に泥を塗って婚約を破棄した先輩からのね」
「……返答に困るわ」
「で、どうなんだ? 気になる女性とかいないのか?」
「いないね。未だに初恋の味すら知りませんよ」
「ははっ、相変わらずルラは可愛いな」
楽しそうに笑うリリティレナに、ルラははあと溜め息をつく。
「おや、この話題は嫌か? そうしたら、最近の貴族の間での噂でも聞かせてあげようか」
「あ、それは気になる」
「いい返事だ。ゼノ=ルビュロサム子爵は覚えているか?」
「ああ、覚えてるよ。器量のいい娘を利用して成り上がろうとしてる奴だよね」
「その通りだ。その娘のティア=ルビュロサムが十八歳になって、社交パーティーにたまに顔を出しているらしい。私はまだ出くわしたことがないが……やっぱりものすごい美人で、そして何事にも興味がなさそうで冷静沈着だそうだ」
「へえ……」
リリティレナの話に、ルラは相槌を打つ。
(何事にも興味がなさそう、ってことは……俺やリリティレナみたいに、譲れないもの、みたいなのはないのかな)
そんなことを考えて、ルラの興味はリリティレナが語る新たな貴族へと移ろっていく。
まさか一ヶ月後にティアが自分の花屋を訪れるなんて、そしてティアに恋してしまうなんて、そんな未来などほんの少しも想像していなかった。




