第21話 魔法
足の疲労感を魔法で取り除きながら、ティアはただひたすらに駆けた。
やがて、淡い紫色の葉を茂らせる背の高い樹々が見えてくる。
(森だ……)
自分の知識が正しかったことにひとまず安堵しながら、ティアは深く息を吸い、吐いた。
森へと足を踏み入れる。鬱蒼としており差し込む陽光は微かだった。くんくんと匂いを嗅いで水の香りを感じ取ろうとするも、まだ水辺から遠いのか余りわからない。
(早く、見つけなくちゃ……)
魔物を刺激しないため足音を余り立てないことを意識しながら、ティアは森の地面を蹴った。
十分ほど森の中を彷徨ったティアは、微かな水の香りを感じて目を見開いた。
目を閉じて、耳を澄ませる。すると、水が流れるような音が聞こえてきた。
(こっちからだ……!)
嗅覚と聴覚を頼りに、ティアは森の中を駆ける。
すると、静謐に流れる小さな川を見つけることができた。
しかも、川のほとりに白色と桜色の色彩が見える。レシュランデの、小さな花畑――ティアは表情を煌めかせる。
(ありがとうございます、神様……!)
心の中で感謝しながら、ティアはレシュランデの花畑へと近付いていく。一本でも事足りるだろうと思いながらも、何があるかわからないので三本のレシュランデの花を摘んだ。
(よし……! あとは、ミスリ=ルリスミに戻るだけ――)
立ち上がったティアは、目の前の存在に呆然とする。
――〈血を好む一角獣〉。
名前が示す通り、人間の血液を飲むことを愛する魔物。毛並みも、角も、血に染まったかのような鮮やかな赤さ。瞳だけが綺麗な灰色の虹彩。
ティアはごくんと唾を飲み込んだ。ゆっくりと瞬きを繰り返し、争う意思はないと伝えようとする。
けれど〈血を好む一角獣〉は、既にティアの体内を流れる真っ赤な血液に魅了されていた。
魔物の灰色の瞳が細まる。
ティアは危険を感じ、瞬きを止めて〈血を好む一角獣〉に背中を向けて走り出した。
そんなティアのくるぶしを、〈血を好む一角獣〉は風の刃で切りつける。
「――っ!」
ティアは地面にどさりと倒れた。レシュランデの花が壊れないように抱きしめながら、すぐに魔法を唱える。
「〈恵みの陽光よ・恵みの慈雨よ・生命力に救いの手を〉」
傷口が癒えていく。ゆっくりと近付いてくる〈血を好む一角獣〉から逃げるように、ティアは再び走り出した。
また足を攻撃される可能性が高い――そう思い、痛みに覚悟しながら駆けるも。
なかなか、予想していた痛みはやってこない。
何故か無性に嫌な予感がして、ティアは走りながら振り返った。
そうして、見た。
自分に迫りくる、大きな風の刃を。
狙いが足ではないことを、ティアは一瞬にして理解する。
(――死ぬんだ)
そう直感的に悟ると同時に、恐怖でぎゅっと目を瞑った。
「――〈水よ・守れ〉」
声がした。早朝の湖のように美しい声。
ティアは驚いて目を開く。
澄んだ水の壁に包まれていた。結わかれた銀色の髪が印象的な後ろ姿。
(……ルラ、さん?)
また、美しい声で魔法が紡がれる。
「〈水よ・射抜け〉」
〈血を好む一角獣〉の身体目がけて放たれた水は、魔物の心臓を容赦なく穿った。
毛並みのような色彩の鮮血を身体から流しながら、〈血を好む一角獣〉は地面へと崩れ落ちる。
振り向いたルラの青い瞳には、ぐちゃぐちゃの感情が溶けていた。
「ルラ、さん……」
呆然と声を発するティアを、ルラは抱きしめる。
強い腕の力。少し息苦しくて、ティアは驚いた。
耳元で、ルラの声が聞こえる。
「――ひとりに、しないで」
彼の声は震えていた。ルラのこんな声を聞くのは、初めてだった。
「ご、ごめんなさい、ルラさん……! びっくりさせちゃいましたよね……」
「……何で無茶するの。どうして俺を頼ってくれないの。俺、そんな頼りない?」
「ええと、違くて……! むしろ、時間がなかったというか……ルラさんに迷惑をかけちゃいけないような気も、どこかでしていたというか……」
「かけていいよ。ティアちゃんからなら、どれだけ迷惑かけられたっていい。だから、だからさ――」
ルラは一層、ティアを抱きしめる腕の力を強くする。
「――君が死んじゃったら、嫌だよ」
ティアは目を見張る。どうしてか、視界が潤んだ。ぼろぼろと、涙が溢れてくる。
(どうして、涙が……)
(……ああ、そうか。ママと、パパにも、同じこと、言われたから……)
ティアは泣きながら微笑う。死ぬのを疎まれた自分が今生きているのが、前世でできなかったことができたような心地になって、何だか途方もなく嬉しかった。
「……ありがとうございます、ルラさん……」
「……どういたしまして。ほんと、手のかかる子犬……」
冗談混じりのルラの言葉に、少しだけ笑顔が溢れた。ティアは彼の背中へと手を回す。温かい身体。その体温に、このままずっと浸っていたいような気持ちになった。




