04.名を捨てた青年
リシアの死人のように白い肌が、頬を伝う赤い血をより際立たせていた。青年を見上げ、うすく微笑むリシアはまるで白い花のようで、流れる血すら、赤い花弁のように見えた。ぞっとするような光景に、青年は無意識に固唾を飲む。
「いけませんね、これで今日は二回も転んだことになります」
固まる青年に優しく声をかけながら、リシアはもうかさぶたになった膝の傷跡に触れる。
「普段は、こうも簡単には転びませんよ?」
恥ずかしそうに、くすくすと子供のようにリシアが笑うから、青年は閉じていた口を開いた。
「お前…なぜ笑う」
短く、低い声だった。だからと言って、青年は別にリシアを責めているわけではない。
「…へ?」
ただ純粋に、痛がる様子も見せず、微笑むだけのリシアに疑問を持ったから聞いただけ。ただそれだけだ。
けれど。
「あの、ごめんなさい。なんで、かと聞かれると…えっと、あの…」
リシアはそうは思わなかった。
言葉を詰まらせながら、両の掌で血が流れる額を乱暴に拭く。血で固まり始めていた前髪がぐちゃぐちゃになり、止まりかけていた血が、傷口から再び滲みだす。
「笑うの、変でしたか?ごめんなさい、周りにそう注意してくれる人が居なかったので…ごめんなさい」
そう言いながら、リシアは垂れる血を拭き取ろうと必死に手を動かす。けれど、それは無意味なことで、血は流れ続ける。
「…やめろ」
リシアの行動に、青年はまた声をかける。けれど、リシアは止まらない。
「聞こえないのか」
悪さをしてしまった子供が、母親に見つからないため証拠を隠そうとするように、リシアは息を荒げながら、時折痛みによる唸り声をあげながら、額をこすり続ける。
「……やめろ」
リシアの白く、小さな手が、赤黒く染まっていく。
辺りに血の匂いが充満して、吐き気を催す。
「やめろといっているだろう!」
堪えるように、青年が初めて怒鳴り声をあげた。リシアは肩を大きく跳ねさせて、恐る恐る青年の顔を見た。血を流しすぎたのか、それとも怒鳴られた恐怖からなのか、リシアの顔は青く染まっている。
「申し訳ありません、どうか許してください」
謝りながらも、無意識に額に伸ばされた手を、青年は思わず掴む。
「…くそっ」
リシアの小さな手が、青年の大きな手に包まれる。血でぬるぬるとしていて、嫌な熱を帯びた手だ。二人の交わる体温により、掌に付着した血がゆっくりと溶け始めて青年の腕を伝い、地面に落ちる。他人の血が自分の腕を伝う感覚が気持ち悪くて、その熱が異様に熱く感じられて。リシアの手を握る青年の手が無意識に強張り、リシアの手の骨をミシミシと鳴らす。けれど、リシアは表情を一つも変えない。
「手が汚れてしまいます。放して下さい」
「…今から手を放す、もうあんな気持ちが悪いことをするな。見ていて不快だ」
青年は放り投げるようにリシアの手を離すと、自分の汚れた掌と腕を見て舌打ちをした。着ているボロボロのローブで拭くわけにもいかず、そのままだらんと力を抜いて、出来る限り視界に入れないようにただリシアを見つめる。
「…汚して、しまいましたね。近くに水辺があるなら」
「そんなものはここにはない」
声色をうかがうように話すリシアの言葉を遮って青年が喋る。
「アルニカに向かう途中に川があったはずだ。お前はそこでその汚い顔と手を洗え。もう二度とこの森に立ち入るな」
この言葉に込められた意味を、リシアはすぐに理解した。
「すぐに出ていきます。でも、貴方も血で汚れてしまっています。一緒に、なんて厚かましいですが…せめて…」
「俺はこの森から出れない」
「………!」
青年の思いがけない言葉に、リシアは一瞬言葉を詰まらせた。
「出れない?どういうことですか?」
「そのままの意味だ。…お前には関係のないことだ」
青年の眼差しが、初めて出会った時よりも厳しいものになる。リシアは金魚のように口をパクパクとさせて何か言いたそうにするが、中々言葉に出来ない。
「…なんだ」
見かねた青年がそう問いかけると、リシアは掠れた声で答える。
「貴方の、名前は何ですか」
青年は目を見開き、張り付いた唇をゆっくりと剝がしながら、吐き捨てるように答える。
「俺に名前はない。とうの昔に捨てた」
青年が何処か寂しそうに答えるものだから、リシアはそれ以上、何も言えなかった。




