03.涙は流さない
王国フロリアは海沿いに広がる大国で、東西南北それぞれに同盟国を持つ。広大な国土には、小さな村や町が点在しており、もっとも近い街である「アルニカ」に行くにしてもいくつもの森や山を越える必要があるため、馬車でも三日はかかる。歩いて向かうならそれ以上だ。
しかし、抜け道はある。
それがリシアが今歩いている封印の森だった。そもそも三日もかかる最大の理由はこの森を遠回りしていかなければいけないことにある。
封印の森とは、王家にのみ伝わる禁じられた森の名だ。その存在は千年間、王家の血を継ぐ者達の中だけで受け継がれていき、決して人が立ち入らないように管理され続けてきた。封印の森を突っ切っていけば、アルニカには一日ほどで着く。リシアも封印の森のことは勿論知っていた。兄や姉からも決して入ってはいけない場所だと何度も言われていた。けれど、リシアはこの掟を破る必要があった。何としてでも、アルニカを治める男爵家へ真っ先に向かわなければならなかったからだ。
木々が太陽を覆い隠す薄暗い道を歩く度に、自分の身も顧みずに自分を逃がしてくれたフェリエの顔と、震えていた言葉を思い出す。
『リシア様、決して止まってはいけません。一日でも早くアルニカに向かってください。そして男爵家に行き、服装を変えてください。私の幼い頃の服があるはずです。着替えたらそのまま西の国に向かってください。そうすれば、城の者達の目も少しは欺けるはずです。国境を越えてしまえば、きっと大丈夫ですから』
フェリエとは、リシアが幼い頃から身の回りの世話をしてくれた侍女の名だ。フェリエは元は男爵家の令嬢であり、ヴィリディタス家には一族の繁栄とパイプ役としてやってきた。家のためとはいえ、なりたくもない侍女になったフェリエだったが、彼女は生まれた時から母の居ないリシアに特別の感情を抱きながら接していた。
父や兄弟ですら知らないような好みも、本を読むとき、かならず唇をとんがらせる癖も、一度深夜におやつを食べるために厨房に忍び込んだことがあることも、すべてはフェリエだけが知っていた。
リシアにとって、フェリエは姉のような存在だった。名前で呼ぶことを許す程、眠る前、抱きしめてもらうこともあったほど、二人は互いを信じ、想いあっていた。
——————王の命令とはいえ、ナイフを向けてきたフェリエを、リシアは変わらず好きだった。
(フェリエは、どうだったのかな)
過去を思い返す程、リシアの足取りは重くなってしまう。気を抜けば、今にも涙が零れ落ちそうだった。けれど、リシアは絶対に立ち止まらなかった。涙を流さなかった。そうしてしまえば、フェリエの行動が無駄になってしまうから。
涙を流しても、助けなんか来ないことを知っていたから。
だから、リシアは助けを求めはしないし、涙を流すこともない。
落ち葉に足を取られて、転んだ先にあった尖った石に頭をぶつけ、血を流したとしても。
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青年は、一度リシアから逃げるように離れた。
理由は一つ、リシアという存在が、異様だったから。今まで青年にとって、王家の血を継ぐ人間に向ける感情など嫌悪以外の何もなかった。どのような形であれ、どのような性格であれ、それ以外の感情など生まれはしなかった。
けれど、リシアは違った。
爪の割れた足は醜く、異様に白い肌は死人のようで、小柄な見た目は人形のようで…。王族だということを疑ってしまうほど、リシアは異様だった。だからなのだろうか。青年の中からリシアに対する嫌悪という感情は薄れていた。嫌悪以外の感情を、初めて王家の人間に向けた。
この感情は、そうだ。一つしかない。
青年が見下ろす先には、静かに座り込むリシアが居た。
別れたばかりだというのに、こうもすぐに再会するなど、この森は案外狭いのかもしれないと思い、思わず舌打ちをする。
「何を、している」
座り込むリシアにイライラしながらも声をかければ、リシアはゆっくりと青年に顔を向けた。リシアの近くには血で汚れている石がある。青年の問いかけに、顔を真っ青にさせたリシアは笑って平気そうな声で答える。
「またすぐお会いできましたね。これはただ、転んだだけです」
でこから流れる血が、リシアの髪を染めて、頬を伝う。
———ああ、やっぱり、この人間は気味が悪い。




