最初からいた 第9話
神社から少し離れたところで、ようやく足を止めた。村の外れに続く細い道。左右には背の低い田んぼが広がり、水の張られていない土はひび割れて白く乾き、まるで長い間、誰にも触れられていないようだった。遠くで風が鳴っているはずなのに、この場所だけ音がこもっている。世界の音が薄い膜の向こう側にあるような、そんな不自然な静けさ。
空は相変わらず曇っている。雲は低く、押し潰されるような圧迫感があった。胸の奥がじわじわと締め付けられる。
「……はあ……っ」
呼吸が荒い。胸が上下するたびに冷たい空気が喉を刺し、肺の奥が痛む。逃げてきたはずなのに、まだ追われている気がして、心臓が落ち着かない。
「……追って、きてないよな」
健太が振り返る。神社の鳥居は遠くに小さく見えるだけだった。その奥は黒く沈み、何も見えない。見えないからこそ、“いる”気がする。背中に視線を感じる。誰かが数えているような、そんな感覚。
「……たぶん」
修司が答える。声は落ち着いているが、額に汗がにじんでいた。彼の冷静さが、逆に不安を煽る。
「さっきの反応からして、境界がある」
「境界?」
美咲が聞く。声が細い。
「神社の中と外で、何かが違う」
確かに。あそこから出た瞬間、音は止まった。あの異様な気配も薄れた。
「……じゃあ、もう入らなきゃいいじゃん」
健太が言う。単純な答え。だが——
「無理だよ」
美咲が首を振る。
「長老の家も、神社も、全部この村の中だもん」
逃げ場がない。その現実が、じわじわと胸の奥に広がっていく。足元の土が、まるで沈んでいくように感じた。
♢♢♢
しばらく誰も喋らなかった。風がようやく通り抜け、乾いた土の匂いが鼻に入る。でもその風もどこか鈍く、音が遠い。世界が薄くなっているような感覚。
「……整理しよう」
修司が言う。しゃがみ込み、地面に指で線を引く。乾いた土がざらりと崩れる音が、やけに大きく響く。
「まず、鬼ごっこ。やったら一人増える。見えない可能性あり」
さらに線を足す。
「増えたやつは“最初からいたことになる”。記憶も書き換わる」
「……それが一番厄介だな」
健太が言う。小石を蹴る。カツ、と乾いた音が響き、胸の奥がざわつく。
「じゃあさ、どうやって見分けるんだよ」
「そこが問題」
修司は小さく息を吐く。
「長老は“確認しろ”って言った。四人で」
その言葉に、視線が集まる。四人。今は——それすら怪しい。胸の奥が冷たくなる。
「……数えるってこと?」
美咲が言う。
「でも、さっきやったじゃん。意味なかったよ」
「いや」
修司が首を振る。
「やり方が違う」
「……どういうこと?」
少し間を置いて、修司は言った。
「“ただ数える”んじゃない。“認識しながら数える”んだ」
意味がすぐには理解できない。胸の奥がざわつく。
「……は?」
健太も同じ反応だった。
「何それ」
「例えば」
修司は指を立てる。
「一人ずつ、“誰かを明確に指して”数える。曖昧にしない。顔、名前、記憶。全部セットで」
ぞくりとする。それはただの数え方じゃない。“存在の確認”。存在を確定させる行為。
「……それで、何かわかるの?」
美咲が言う。
「ズレが出る。今までも出てるけど、もっとはっきり」
「……やってみるか」
健太が言う。少しだけ躊躇いながら。でも、他に方法はない。
♢♢♢
四人——いや、“四人のはずの状態”で円を作る。距離は微妙に遠い。無意識に近づきたくない。そんな空気。足元の土がざらざらと鳴る。誰かが少し動くだけで、やけに音が響く。
「……いくぞ」
修司が言う。指を上げる。
「一人目、健太」
「二人目、美咲」
「三人目、自分」
そして——最後。修司がこちらを見る。
「四人目」
名前を呼ぼうとして、止まる。
「……」
空気が凍る。胸の奥が冷たくなる。
「……どうした」
健太が言う。
「いや」
修司の眉がわずかに歪む。
「名前が……出てこない」
心臓が強く跳ねる。背中に冷たい汗が流れる。
「は? 何言ってんだよ。目の前にいんだろ」
「わかってる。顔も、認識してる。でも……名前が、引っかかる」
喉の奥で何かが絡まるような声。俺の名前が、抜け落ちている。
「……亮だろ」
健太が言う。
「亮」
「……そう」
修司が頷く。だがその動きはぎこちない。“思い出した”というより、“当てはめた”ような違和感。
「亮……だよな」
その確認する言い方が、すでに異常だった。
♢♢♢
——ザッ。
すぐ後ろで、土を踏む音がした。全員が反射的に振り向く。何もない。ひび割れた地面。揺れない草。だが——
「……今の、近くなかった?」
美咲が呟く。声が震えている。
確かに。さっきよりも、明らかに近い。背中に冷たいものが走る。
「……外でも来るのかよ」
健太が低く言う。
「完全には止まってない。“弱まるだけ”だ」
修司が分析するように言う。つまり——安全じゃない。
♢♢♢
「……続けるぞ」
修司が言う。さっきよりも早口。焦りが滲んでいる。
「もう一回」
深く息を吸う。
「一人目、健太。二人目、美咲。三人目——」
一瞬、俺を見る。
「亮」
さっきよりスムーズだ。だが、どこか“無理やり思い出した”感じがある。
「四人目、修司」
言い終わった瞬間。
——コツ。
また音。今度はもっと近い。背後。すぐそこ。
「……五人目」
誰かが言った。
全員が凍りつく。
今の声は——誰だ?
俺じゃない。健太でもない。美咲でもない。修司でもない。
じゃあ——
「……聞いた?」
美咲の声が震える。
「今の……」
「……ああ」
健太が答える。顔が青い。
「“五人目”って言ったよな」
ゆっくりと全員の視線が交差する。確認するように。でも同時に——恐れている。もう一度数えたら、本当に“そこ”に現れる気がして。
♢♢♢
風が吹く。今度ははっきりと。乾いた土が舞い、細かい砂が頬に当たる。その中に——足音が混ざる。複数の。不規則な。確実にこちらへ近づいてくる。
「……やばい」
修司が呟く。
「数えると、寄ってくる」
その法則に気づいた瞬間、全員の背筋が凍る。
「……じゃあ、もう数えなきゃ——」
健太が言い終わる前に。
——コツ、コツ、コツ。
音が増える。囲まれるように。逃げ場を塞ぐように。
「……遅い」
修司が言った。
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