最初からいた 第8話
風はないのに木々がざわついていた。音のないはずの空気がざらつき、肌の表面を逆なでしていく。神社の境内は昼のはずなのに薄暗く、空は灰色の膜のように重く垂れ込め、世界そのものがゆっくりと沈んでいくようだった。足元の砂利は湿っていて、踏むたびに鈍い音がする。その音が、やけに近く、やけに大きく響く。まるで自分の足音じゃないみたいに。
——とりあえず一人減らそうぜ。
健太の言葉が、まだ空気の中に残っていた。耳の奥に張り付いて離れない。
「……やめろって」
喉が張り付くような感覚の中で、なんとか声を出す。声が自分のものじゃないみたいに震えていた。
「そんなの、間違ってる」
「じゃあどうすんだよ」
健太がすぐ返し、一歩近づく。砂利が鳴る。その音が、心臓の鼓動と重なって聞こえる。
「このまま増え続けたら、何人になるか、わかんねぇぞ?」
その言葉に空気がさらに重くなる。胸の奥がぎゅっと縮む。想像してしまう。見えない“誰か”が、増え続ける光景。気配だけが増殖し、視界の外側で蠢くような、そんな悪夢みたいな映像が頭に浮かぶ。
「……方法があるはずだ」
修司が言う。冷静な声だが、指先がわずかに震えているのが見えた。彼も怖いのだ。全員が怖い。だからこそ、誰かを“余分”にしたいのかもしれない。
「長老は、それを知ってた」
「でも、死んだ」
健太が吐き捨てるように言う。
「つまり、もう聞けない。だったら自分たちでやるしかねぇだろ」
論理は通っている。だからこそ止めづらい。胸の奥で、何かがゆっくりと崩れていく。
「……でも」
美咲が小さく言う。風に消えそうな声。目が揺れている。恐怖と迷いが混ざった目。
「本当に“排除”でいいの?」
誰も即答できない。喉が乾き、呼吸が浅くなる。
「だって、もし違ったら……間違えてたら」
その先を誰も言葉にしない。言わなくてもわかる。——取り返しがつかない。
「……確認する」
修司が低く言う。
「最後にもう一回だけ。亮」
名前を呼ばれ、視線が集まる。胸の奥がひゅっと冷える。逃げ場がない。
「……なに」
「質問に答えて。できるだけ正確に」
うなずくしかない。喉が乾ききって、声が出るか不安になる。
「昨日の夜、何してた?」
「……寝てた」
「夢は?」
一瞬迷う。言うべきか、隠すべきか。でも——
「……見た」
「どんな」
思い出す。あの暗闇。あの気配。
「……数えてた。人数を」
三人の表情がわずかに変わる。空気がまた一段冷える。
「何人?」
修司が詰める。
「……五人」
その瞬間、空気がぴたりと止まった。遠くで鳴いていた鳥の声も消える。世界が一瞬、呼吸を止めたみたいだった。
「……やっぱり」
健太が呟く。
「お前じゃねぇか」
「違う!」
思わず声が大きくなる。だがその声が、境内に吸い込まれていく。叫んだはずなのに、届いていないような感覚。
「……じゃあなんで五人なんだよ。説明できんのか?」
「それは……」
できない。夢の中のことなんて説明できるわけがない。自分でも理解できていないのに。
「ほらな」
健太が乾いた笑いを漏らす。笑っているのに、目は笑っていない。
「もういいだろ」
その手がゆっくりとこちらに伸びる。指先が、まるで何かを掴もうとするみたいに。
「やめろ!」
反射的に後ずさる。砂利を蹴る音がやけに大きく響く。心臓が喉までせり上がる。
「近づくな」
「落ち着けって」
修司が言うが、止める様子はない。ただ見ている。観察するように。まるで俺が“何か”であるかのように。
「……お願い」
美咲が言う。その目は揺れていた。信じたい。でも、怖い。そんな目。
「本当に、亮じゃないんだよね?」
胸が締め付けられる。痛いほどに。
「……俺は」
言葉が詰まる。証明できない。何一つ。
「……俺は、本物だ」
それしか言えない。自分でも、その言葉が頼りなく聞こえた。
「……弱いな」
修司がぽつりと漏らす。その一言が、決定打だった。胸の奥で何かが崩れ落ちる。
♢♢♢
——コツ。
また音がした。今度ははっきりと。全員が同時に振り向く。拝殿の裏手。誰もいないはずの場所。だが砂利がゆっくりと沈んでいく。まるで、誰かが歩いているみたいに。足音の“重さ”だけが伝わってくる。
「……っ」
美咲が息を呑む。
「見て……」
足跡は見えない。でも“踏まれている”。砂利が沈むたび、胸の奥が冷たくなる。一歩。また一歩。こちらに近づいてくる。
「……来てる」
修司の声が低くなる。声が震えている。
「……一人じゃない」
その言葉に全身が粟立つ。よく見ると——砂利の沈み方が複数ある。ばらばらに。不規則に。まるで何人もいるみたいに。視界の端で、影のような“揺れ”が見えた気がする。
「……おい」
健太の声が震える。
「これ、やばくねぇか」
さっきまでの強気が完全に消えている。恐怖が声に滲んでいた。
「……増えてる」
美咲が呟く。声が震えている。
「本当に……」
その瞬間。
——コツ、コツ、コツ。
音が増える。一つじゃない。二つ、三つ。いや、それ以上。境内のあちこちで同時に。まるで“囲まれている”。
「……やばい」
修司がはっきりと言う。
「排除とか言ってる場合じゃない。逃げるぞ」
「は?」
健太が戸惑う。
「でも——」
「今は無理だ。数が合わない。四人に戻せないなら意味がない」
確かに。今はもう——“何人いるかすらわからない”。数えることが恐怖そのものになっている。
「……走れ!」
修司の声と同時に全員が動いた。砂利を蹴る音。荒い呼吸。背後でコツコツという音が追いかけてくる。速い。確実に距離を詰めてくる。背中に視線を感じる。見られている。数えられている。
「……っ!」
振り返りそうになる。でも、見たら終わりな気がした。理由はない。ただ、本能が叫んでいた。
♢♢♢
鳥居を抜けた瞬間、音が止んだ。ぴたりと。さっきまでの気配が嘘みたいに消える。空気が軽くなるのではなく、ただ“無”になる。
「……はあ……っ」
足を止める。息が切れる。肺が焼けるように痛い。心臓がまだ逃げようとしているみたいに暴れている。
「……なんだよ、今の」
健太が震える声で言う。
「……わからない」
修司も首を振る。額に汗が滲んでいる。
「でも」
ゆっくりと神社の方を見る。奥は暗くて、何も見えない。何も見えないのに、何かがいる気配だけが残っている。
「確実に、増えてる」
その言葉が重く落ちる。胸の奥に沈んでいく。
♢♢♢
沈黙。荒い呼吸だけが響く。誰も動けない。動いたら、また“何か”が動き出しそうで。
「……もう」
美咲が小さく言う。声が震えている。
「四人じゃないよ」
その一言で、全員が理解した。
ここから先は——
“数えること自体が、意味を失う”。
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