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ホラー短編集  作者: 倉木元貴


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呼ばれる家 最終話

 隣の部屋のドアを叩く。


「すみません!誰か——」


 返事はない。

 ドアノブを回す。開いている。


 中を覗いた。

 家具はあり、生活の痕跡もある。

 だが——人だけがいない。


 “抜け落ちている”。

 その感覚が、祖母の家と同じだった。


「和馬」


 背後で声がして、振り向く。


 廊下の奥で、誰かが立っている。逆光で顔は見えない。

 だが、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。


 足音はしない。滑るように近づいてくる。


「……誰だよ」


 喉が震える。

 返事はない。


 代わりに——


「和馬」


 俺の声で、呼ばれた。


 その瞬間、理解した。


 あれは“真似ている”。人の声を。存在を。


 呼ばれたら、返したら——“入れ替わる”。


 祖母の言葉。

 母の話。


 全部が、一本に繋がる。


 あれは、呼んでいるんじゃない。


 “呼ばせている”。


 返事をさせて、境界を越えさせる。

 そして——中に、入る。

 俺は、ゆっくりと後ずさった。


 絶対に声を出すな。返事をするな。

 それだけを考える。


 だが。


「どうして、黙ってるの?」


 声が変わる。


 今度は——祖母の声。

 優しくて、懐かしい声。


「和馬、おいで」


 足が、止まりそうになる。

 脳が、勝手に反応する。

 “安心していい声”として。


 だが、違う。


 違う違う違う。


 あれは、違う。


 祖母は、こんなふうに呼ばない。


 祖母は——


『返事をしちゃいけないよ』


 あの夜の言葉が、はっきりと蘇る。

 そして、もう一つ。思い出す。


 あの時、祖母は——笑っていなかった。


 つまり、あれは“知っていた”んじゃない。

 “経験していた”。

 もしかして。


 祖母も——帰ってきた側だったのか?


 その瞬間、廊下の奥の“それ”が、ぴたりと止まった。

 顔が、持ち上がる。光の中に、浮かび上がる。


 それは——祖母だった。


 だが、同時に違う。顔の輪郭が揺れている。

 何人もの顔が、重なっている。

 その奥に、知らない顔が無数に詰まっている。


 口が、開いた。


「気づいたね」


 低い声。

 祖母でも、俺でもない声。


「遅いよ」


 その瞬間、世界が歪んだ。

 廊下が伸びる。距離が崩れる。

 一歩も動いていないのに、“それ”が目の前にいる。


 腕が伸びてくる。冷たい指が、頬に触れる。

 その感触で、頭の中に“何か”が流れ込んできた。


 暗闇。

 名前を呼ばれる声。


 返事をしてしまった瞬間。

 引きずり込まれる感覚。


 そして——内側から、誰かを呼びたくなる衝動。


「和馬」


 声が、重なる。

 俺の口が、勝手に開きかける。


 やばい。

 返すな。

 返したら終わる。


 でも——喉が、動く。


 音が出そうになる。


「和——」


 その瞬間。

 俺は、思いきり自分の舌を噛んだ。

 鈍い痛みと、鉄の味。

 強引に、声を止める。


 “それ”が、一瞬だけ表情を歪めた。


「……ああ」


 低い唸り声。


「そうやって、逃げるのか」


 腕が、さらに伸びる。


 だが、その時——どこか遠くで、音がした。


 鈴の音。ちりん、と。

 一度だけ。

 空気が、揺れた。


 “それ”の動きが、止まる。


 次の瞬間、世界が元に戻った。


 廊下。

 アパート。

 昼の光。


 “それ”はいない。


 俺は、その場に崩れ落ちた。


♢♢♢


 気づくと、病院のベッドの上だった。

 脱水と過労。そう説明された。

 アパートの廊下で倒れていたらしい。


 あの出来事は——夢だったのかもしれない。


 そう思いかけた、その時。見舞いに来た母が、小さな袋を差し出した。


「これ……あの家から出てきたの」


 中には、小さな鈴が入っていた。

 古びた、金属の鈴。


「あなたのおばあちゃん、これをずっと持ってたのよ」


 手に取る。

 触れた瞬間、わかった。


 あの音だ。


 俺を“戻した”音。


「ねえ、和馬」


 母が、少し迷うように言った。


「あなた……誰かに名前、呼ばれてない?」


 心臓が、跳ねる。


「……なんで」


「私もね」


 母は、静かに笑った。

 だが、その目は笑っていない。


「聞こえるの」


 ぞくり、とする。


「でも、返事はしない」


 母は、はっきりと言った。


「絶対に」


 その時。

 病室のテレビが、ぶつりと音を立てて消えた。

 部屋が、静かになる。


 そして。


「和馬」


 今度は、はっきりと。

 病室の中で、呼ばれた。


 母の顔が、固まる。


 聞こえている。


 俺だけじゃない。


「和馬」


 カーテンの向こうで、誰かが立っている。


 影が、揺れる。俺は、鈴を握りしめた。


 音を鳴らせばいいのか?


 わからない。


 でも——


 何もしなければ、終わる。


「和——」


 その瞬間。俺は、鈴を鳴らした。


 ちりん。


 澄んだ音が、空気を裂く。

 影が、ぶれる。空間が歪む。


 そして——声が、途切れた。


 何もない、ただの病室。


 俺と、母だけ。


 母は、ゆっくりと息を吐いた。


「……大丈夫」


 小さく言う。


「まだ、こっちにいる」


 “まだ”。

 その言葉が、やけに重く残った。


♢♢♢


 退院してからも、声は時々聞こえる。


 家の中で。

 外出先で。

 ふとした瞬間に。


「和馬」


 誰かが、呼ぶ。

 でも、俺はもう返さない。


 絶対に。どんな声でも。

 たとえ——自分自身の声でも。


 鈴は、いつも持ち歩いている。

 あの音だけが、境界を戻す唯一の手段だと、本能でわかるから。


 ただ、一つだけ、どうしても消えない疑問がある。


 あの日。最後に見た“あれ”。


 あの中に——祖母の顔は、あったのか。


 それとも、祖母は最初から——“呼ぶ側”だったのか。


♢♢♢


 さっきから、ずっと聞こえている。

 すぐ後ろで。


「和馬」


 振り返らない。絶対に。

 わかっている。これは、終わっていない。


 あれは——まだ、探している。


 “返事をする誰か”を。

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