鐘の音がする 第2話
――引きずり込まれる。
それが最初の感覚だった。
「っ、離せ!!」
腕に絡みついた“手”を振り払おうとする。
だが、触れているはずなのに、感触が曖昧だ。
柔らかいのか硬いのかもわからない。ただ、“そこにある”という違和感だけがある。
「祐樹!!」
亮の叫び声がして、そっちを見る。
だが――距離がおかしい。
さっきまで数歩の距離だったのに、やけに遠い。
いや、違う。俺が沈んでいる。
足元を見る。
床が、黒く歪んでいる。
影だ。そこに、体が飲み込まれていく。
「やめろ……!」
必死に床を掴む。
だが、指先が滑る。
まるで水の中にいるみたいに、力が入らない。
その時。
――ゴン
また、音がした。
すぐ近くで。いや、違う。頭の中で鳴っている。
「……っ、うるさい……」
耳を塞ぐ。
だが、意味がない。
音は内側から響いている。
――ゴン
――ゴン
――ゴン
一定の間隔で、繰り返される。
そのたびに、意識が揺れる。記憶が、少しずつ削られていく。
「やめろ……!」
何かを忘れそうになる。大事な何か。
必死にしがみつく。
その時だった。
――ズルッ
体が、完全に沈んだ。
♢♢♢
気づくと、そこは暗闇だった。
上下もわからない。重力の感覚もない。ただ、浮いている。
「……は……」
息はできる。だが、空気の感触がない。
音も、ほとんどない。
ただ――
――ゴン
あの音だけが、はっきりと響く。
「……ここ……どこだ……」
声を出す。だが、返ってこない。音が、吸い込まれていく。
その時、少し離れた場所に、何かが見えた。
ぼんやりとした、白い影。
「……亮?」
近づく。
いや、近づいているのかもわからない。
距離の概念が曖昧だ。
それでも、少しずつ形がはっきりしてくる。
「……祐樹?」
声。
亮だ。
「無事か……!?」
「わかんねえ……ここ、どこだよ……」
互いに手を伸ばす。
触れた。
だが――おかしい。
温かくない。体温がない。
「……冷たくねえか?」
亮が言う。
「お前もだろ……」
嫌な沈黙。
その時。
――ゴン
音が、すぐ近くで鳴った。
反射的に振り向く。
そこに――鐘があった。
暗闇の中に、ぽつんと浮かんでいる。
さっき見たものと同じ。
だが、違う。表面が、歪んでいる。
よく見ると――
「……これ……」
息が止まる。
表面に、顔が浮かんでいる。無数の顔。
苦しそうに歪んだ顔。
叫んでいる顔。
泣いている顔。
すべてが、鐘の表面に埋め込まれている。
「……なんだよ……これ……」
亮の声が震える。
「供養……って……」
その時、顔の一つが動いた。
ゆっくりと、こちらを向く。
目が合う。
口が、開く。
音はない。
だが、意味だけが流れ込んでくる。
――「入ってくるな」
「……え?」
次の瞬間。
別の顔が叫ぶ。
――「出られない」
さらに。
――「混ざる」
――「消える」
――「鳴る」
頭の中に、声が溢れる。
「やめろ……!」
耳を塞ぐ。
だが止まらない。
「祐樹……これ……」
亮が、震えながら言う。
「俺たち……これになるんじゃ……」
「……っ」
否定できない。
その時だった。
――ゴン
鐘が、揺れた。
今度は、はっきりと。
そして、表面がぐにゃりと歪む。
「……逃げろ」
直感が叫ぶ。
「離れろ!!」
亮の腕を引く。
だが――遅い。
鐘の表面から、手が伸びてきた。
さっきの“影の手”と同じ。
だが、もっとはっきりしている。
中に、顔が見える。
「やめろ!!」
引き剥がそうとする。
だが、逆に引っ張られる。
「祐樹!!」
亮が叫ぶ。
その腕が、鐘に触れる。
瞬間。
――ズブッ
飲み込まれた。
「っ……!」
半分、埋まる。
冷たい。でも、感触はある。
無数の何かに触れている。
それが、体の中に入り込んでくる。
「やめろ……!」
引き抜こうとする。だが、離れない。
むしろ、引き込まれる。
「祐樹!!離れろ!!」
亮が必死に引っ張る。
だが、その時。
俺は、見てしまった。
鐘の中。
そこに――
直人がいた。
「……え」
目が合う。
だが、様子がおかしい。
顔が、崩れている。
溶けるように、周りと混ざっている。
「直人……?」
口を動かす。
すると、直人の顔が歪んだ。
そして、無数の顔と一緒に、同時に口を開いた。
――「遅い」
その声は、直人のものじゃなかった。
複数の声が、重なっている。
「もう、鳴ってる」
――ゴン
鐘が、鳴る。
その瞬間。亮の手が、俺の腕から離れた。
「……え?」
見る。
亮が、固まっている。
目が、虚ろだ。
「……おい……亮……?」
返事がない。
そのまま、ゆっくりと──溶け始めた。
「な……」
体が、崩れていく。粒子みたいに。
音もなく、鐘に吸い込まれていく。
「やめろ……!!」
叫ぶ。だが、止まらない。
最後に、亮の顔だけが残る。
そして、微かに動いた。
――「思い出すな」
「……え?」
次の瞬間。完全に消えた。
鐘の表面に、新しい顔が浮かび上がる。
それは――亮だった。
そして、そいつは、こちらを見て笑った。
――「次、お前」
心臓が止まる。
その時。遠くで、声がした。
「まだ、足りない」
あの僧の声。
「供養は、終わらない」
鐘が、大きく揺れる。
逃げ場はない。
俺は、引きずり込まれながら――
やっと理解した。
ここは、“救う場所”じゃない。
消す場所だ。




