↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ホラー短編集  作者: 倉木元貴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
121/126

うしろの間 第24話

 結局、家が突きつけてくるのはそこなのだ。血でも魂でもなく、「お前はあのとき選び損ねた」という一点。祖母にも母にも、それが一番効く。だから黙る。だから見ない。だから家が増長する。


 文蔵が帳面を閉じた。


「方針は見えた」


「方針?」


「家に戻る前に、二つ要る」


 文蔵は指を二本立てる。


「一つ、正樹の“外の名”を固めること。つまり、正樹自身が自分の積み上げてきたもんを言葉にする」


「……そんなので本当に」


「信じるしかない」


 文蔵はばっさり言う。


「もう一つ、ヨブコの核の名を見つけること。これがないと、鍵を回しても閉じ切れん」


「核の名って、結局どう探すんです」


 三島が訊く。


 文蔵は少しだけ嫌そうな顔をした。


「高槻の家の裏手に、古い川の跡がある」


 その一言で、嫌な予感が全身を走る。


「今は埋め立てられて細い水路みたいになっとるが、昔の流れがまだ残っとる場所や。あそこに、家の下へ繋がる“口”があるはずや」


「……まさか」


「せや」


 文蔵は俺を見る。


「次はそこへ行く」


 思わず声が荒くなった。


「今から?」


「今夜のうちや」


「ふざけんな、あの家の近くに戻るのかよ」


「家そのものに入るよりはましや」


 文蔵は真顔だった。


「ヨブコは今、家の中で膨らんどる。なら核は動きにくい。裏の口を探るなら今しかない」


 母が小さく首を振る。


「でも、正樹を連れて行くのは……」


「連れて行く」


 文蔵は即答した。


「正樹を狙っとる以上、離しても意味がない。それに、正樹がおらんと向こうが反応せん可能性がある」


「囮ってことですか」


 三島が顔をしかめる。


「結果的にはな」


「最悪すぎるだろ」


 俺の口から、乾いた笑いみたいなものが漏れた。


 囮。外の席を奪われかけている当人が、さらに囮まで兼ねるらしい。笑うしかない。


 だが文蔵は、そんな俺を真っ直ぐ見た。


「正樹」


「……何ですか」


「お前さんに一つだけ、今ここで決めてもらわなあかん」


「何を」


「もし家の中で“もう一人のお前”と向き合ったとき、自分が何をもって自分やと言うかや」


「……」


「本物かどうかは、たぶん最後までわからん」


 文蔵の声は静かだった。


「けど、“どっちが外で生きてきた正樹か”は決められる。決めな、向こうに飲まれる」


 母が不安そうに俺を見る。

 三島も何も言わない。


 広間の真ん中に置かれた真鍮の鍵だけが、蛍光灯の下で鈍く光っていた。


 俺は膝の上で手を握る。指先が冷たい。自分の人生を、自分で言葉にして、自分の席を守る。理屈としてはわかる。けれど、もし向こうも同じ記憶を持っていたら? 同じように母のことを知り、祖母のことを覚え、俺の失敗も後悔も知っていたら?


 その問いが顔に出ていたのか、母がかすれた声で言った。


「全部同じじゃないはず」


「え?」


「病院で見た“あの子”、正樹の顔をしてたけど……少しだけ、言い方が違った」


「言い方?」


「私のことを“母さん”って呼ぶ間が、ほんの少しだけ変だった。昔の正樹は、怖いときほど早口になるのに、あの子は落ち着きすぎてた」


 母は必死に記憶を辿るように眉を寄せる。

「あと、手を伸ばしてくるとき、左手からだった」


「左手?」


「正樹、昔から右利きでしょ」


「……そうだけど」


「でも、あの子は左で窓を叩いた」


 心臓が一拍、強く跳ねる。


 二階の窓の手形。あれは確かに、中央の手形が俺と同じ大きさだった。だが、どっちの手だったかまでは見ていない。


「混ざっとるんやろうな」


 文蔵が低く言う。


「完全な複製やない。外の正樹を真似て、寄せて、でも細部がまだ歪んどる」


「じゃあ、そこを突けば」


「揺らせるかもしれん」


 文蔵が頷く。


「ヨブコは“席”を欲しがるが、席そのものにはなりきれん。どっかに綻びがあるはずや」


 そのときだった。

 台所のほうで、かたんと音がした。


 全員の顔がそちらを向く。


 さっき三島が置いた紙コップが、一つだけ床に転がっている。誰も触っていない。窓は閉まっている。風もない。


 文蔵がすっと立ち上がった。


「動くな」


 低い声で制し、台所へ近づく。俺も思わず腰を浮かせたが、母が俺の袖を掴んだ。驚くほど冷たい手だった。


 文蔵が流し台の前まで行き、辺りを見回す。何もない。冷蔵庫もない簡素な台所で、あるのは棚と流しと小さな換気扇だけだ。


 だが、次の瞬間。


 換気扇が、止まっているはずなのにくるりと一回転した。


 三島が悲鳴を飲み込む。


 換気扇の隙間から、水が一滴、落ちた。


 ぽたり。


 白い床に、黒ずんだ水の染みが広がる。


「……来とる」


 文蔵の声が変わった。


「何が」


 俺が立ち上がる。


 文蔵は振り返らずに言った。


「家のほうやない。もっと近い」


「近いって」


「ここまで匂いをつけてきよる。真紀にくっついて来たか、正樹に来たか──」


 言い終わる前に、広間の襖の向こうから、子供の声がした。


「まさき」


 全身の毛穴が開く。


 その声は、間違いなく家の中で聞いた幼い俺の声だった。


 襖一枚向こう。すぐそこだ。


「開けるな!」


 文蔵が怒鳴る。


 だが、襖の向こうからは、続けてもう一つ声がした。


「おかあさん、いる?」


 今度は、俺じゃない。

 女の子の声だった。


 母が凍りついたように顔を上げる。


「……違う」


 母の唇が震える。


「今の声……」


 広間の空気が張りつめる。


 襖の向こうで、ぺた、ぺた、と濡れた足音が止まった。


 そして、ひどく小さな声で、誰かが言った。


「ただいま」


 母の顔から血の気が消えた。


 紙コップが、母の手から滑り落ちる。


「……あの声」


 母が、ほとんど息だけで呟く。


「私の妹の声だ」


 俺は言葉を失った。


「妹……?」


「私が生まれる前に、流れた子」


 母は襖を見つめたまま、青ざめた顔で言う。


「名前もつけられなかったはずの、姉さんの声」


 襖の向こうで、子供がくすりと笑った。

おもしろかったら評価、ブックマークよろしくお願いします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。