↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ホラー短編集  作者: 倉木元貴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
108/126

うしろの間 第11話

 仏間は八畳ほどで、壁際に古い桐箪笥と鏡台が置かれている。鏡台は黒檀らしい重厚な造りで、祖母が若いころ使っていたものだと聞いた覚えがある。鏡には白い布が掛けられていた。葬儀のあいだ、鏡を隠す風習があったのかもしれない。


「これか」


 文蔵が鏡台の前に立つ。


「正樹、お前さんも手ぇ貸せ。重いぞ」


 鏡台は見た目以上に重かった。脚を床に食い込ませるみたいに置かれていて、押してもなかなか動かない。三島も加わり、三人がかりで少しずつ前へずらす。畳の上を擦るたび、古い木が低く唸るような音を立てた。


 鏡台の後ろには、土壁があるはずだった。


 だが、現れたのは壁ではなかった。


 畳一枚ぶんほどの、細長い木の戸だ。


 壁と同じ色に塗られ、周囲にぴったり溶け込むようにはめ込まれている。知らなければ絶対に気づかない。戸には把手も鍵穴もなく、中央に古びた真鍮の丸い飾りがひとつ付いているだけだった。


 三島が息を呑む。


「本当にあった……」


 俺は言葉を失った。祖母のノートの「鏡のうしろ」が、こんなに文字通りの意味だとは思わなかった。


 文蔵は戸の前にしゃがみ、指先で縁をなぞる。木の表面には細かな傷が無数に刻まれていた。爪で引っ掻いたような、細く長い傷。よく見ると、飾りの真鍮の周りだけ色が違う。誰かが何度もそこへ手をかけてきた痕だ。


「鍵は外にない」


 文蔵が呟く。


「中から閉める戸か、血で開く戸か……」


 さらっと嫌なことを言うな。


「血って」


「昔の家はようやる。指先切って金具に触らせるんや。家人かどうか確かめるためにな」


「冗談ですよね」


「冗談やったら楽やな」


 文蔵は木箱から白い紙札を取り出し、戸の四隅に貼った。それから俺を見上げる。


「正樹、真鍮に触ってみ」


「は?」


「ええから。もし何も起きんかったら、別の開け方を考える」


 嫌だった。嫌に決まっている。けれどここまで来て拒む理由も見つからない。俺は唾を飲み込み、戸の中央の真鍮に指を伸ばした。


 触れた瞬間、びくっと手を引っ込めた。


 熱い。


 夏の日に日向へ置かれた金属みたいな熱さじゃない。人肌に近い熱だ。ずっと誰かが握っていたものに触れたみたいな、ぬるい熱。しかも、表面がわずかに湿っていた。


「何か……変です」


「どんな」


「温かい。いや、熱いっていうか……」


 言い終わる前に、真鍮の飾りがことりと鳴った。


 内側から、誰かがノックしたみたいな小さな音。


 三島が後ずさる。文蔵の顔つきが変わった。


「一つや」


 低く言う。


「数えろ」


 俺は反射的に頷いた。


 一つ。


 家の中の空気が、ゆっくりと重くなる。仏壇の蝋燭は点いていないのに、遺影の前の金具がかすかに揺れた。廊下の奥から、誰かが歩いてくる気配がする。裸足だ。ぺたり、ぺたり、と湿った足音。


 二つ目は、戸の向こうから聞こえた。


 とん。


 今度はさっきよりはっきりした音。階段を一段、誰かが上がったような音にも聞こえる。


「開くぞ」


 文蔵が言う。


「は!?」


「今や。四つ目までならまだ家の内や」


 文蔵は真鍮の飾りを強く押し込んだ。かちり、と乾いた音がして、木戸の縁がわずかに浮く。内側から冷気が漏れた。土の匂いと、湿った木の匂い。それに混じって、古い水の匂いがする。


 三島が懐中電灯を構える。俺も無意識に息を止めた。


 戸が、ゆっくり開く。


 その向こうにあったのは、壁の裏に隠された狭い空間──ではなかった。


 下へ向かう階段だった。


 急で、細い木の階段。大人が一人やっと通れる幅しかない。手すりもなく、壁は土がむき出しだ。階段はまっすぐ下りたあと途中で左へ折れ、闇に消えている。懐中電灯の光を当てても、先が見えない。地下室というには深すぎる。まるで家の下に、もう一つ別の建物が埋まっているみたいだった。


 三島がかすれた声を漏らす。


「本当に、下へ……」


「言うたやろ」


 文蔵は木箱から小さな鏡を取り出し、階段の入口に吊るすように紐で結んだ。


「これで少しはましになる。下から上がってくるもんが、自分の顔見て足を止めることがある」


 ことがある、という頼りない言い方が怖い。


「誰が先に行くんですか」


 俺が訊くと、文蔵は当然みたいに答えた。


「お前さんや」


「なんで!」


「戸を開けたんはお前さんやし、家はお前さんを通す。わしらが先やと、閉まるか噛みつくかどっちかや」


 噛みつくって何だよ。


 抗議したかったが、そのとき廊下のほうでぱたんと襖の閉まる音がした。


 三つ目。


 家のどこかで戸が鳴いた。


 同時に、階段の下の闇から、誰かが笑う声がした。女でも子供でもない、喉の潰れたような低い笑い。音量は小さいのに、すぐ耳元で囁かれたみたいに生々しい。


 文蔵が俺の背中を押す。


「行け。四つ目が来る前に一番下まで見ろ。帳面か鍵があったら持って上がれ。絶対に名前に返事するな」


「いや、一人で!?」


「一人やないと降りられん」


 言い終わるより早く、文蔵は俺の肩を強く押した。体が前へつんのめる。慌てて壁に手をつき、階段へ足をかける。後ろで三島が何か叫んだ気がしたが、同時に木戸がぎい、と嫌な音を立てて狭まった。


「待って──」


 振り返った瞬間、文蔵の顔が戸の隙間に覗いた。いつものぶっきらぼうな顔じゃない。焦りと苛立ちが混じった険しい顔だ。


「下だけ見ろ! 上を気にするな!」


 そこで戸が、ばたんと閉まった。


 闇に取り残された。


 俺は数秒、呼吸の仕方を忘れた。


 真っ暗ではない。戸の隙間から漏れる光と、壁に掛けられた小さな裸電球のようなものが、階段をぼんやり照らしている。だがその電球は古びて茶色く曇り、光はほとんど役に立たない。下へ行くほど闇が濃くなる。

おもしろかったら評価、ブックマークよろしくお願いします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。