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その仇花で撃ちぬいて  作者: 橘こっとん
第3章―そのまなざしに名をつけて
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3-15交わす銃口の仮面舞踏④

 敵が屋根から身を投げたのを見届けたからか、ガスマスクの女は背を向けていた。


 特に安堵した風でも、ましてや達成感を覚えた風でもない。他愛ないひとつの工程を終えただけといった振る舞いだ。

 ライフルに負い紐(スリング)の金具を掛け直し、屋根に置いていたブリーフケースを拾う。そのままこの場を去ろうと淡々と足を進め、しかし何(・)か(・)が(・)お(・)か(・)し(・)い(・)ことに気づいたのか振り返りかけ――


 間一髪の銃声が、拾ったばかりのブリーフケースを弾き飛ばした。


「舐めてもらっては、困るな……」


 銃声と硝煙の名残をまとい、ヴィルヘルミナは肩まで屋根に乗り上げている。体勢もタイミングもかなりギリギリだったが不意打ちは決まった。不敵な笑みを見せつける。


「あいにくこちらは任務だ。達成しない限りは戦線離脱などできないことになっている」


 ヴィルヘルミナにとっての幸運は三つあった。

 ひとつ、屋根の縁に指がかかったこと。ふたつ、真下に足がかりとなる窓枠があったこと。そして三つめは、なんとか手が届く位置にヴィルヘルミナの拳銃が落ちていたことだ。


 結果、仕掛けた攻撃は敵の目的らしいブリーフケースを手放させた。本当は当人を狙いたかったのだが、これでも状況としては悪くない。


(間合いは十分。ここからは反撃を許さない――!)


 引き金を引く。そのたび反動が身体を打ちすえるから、窓枠から足を踏み外しそうになる。

 しかし猶予は与えない。最小限の時間で最低限の姿勢を整え、精度を犠牲にしつつもう一発。


 ガスマスクの女の判断も迅速だった。今の状況でブリーフケースを取り戻すことは不可能と知るや否や逆方向に跳ぶ。それを視線だけで追う間にも、彼女は今度こそライフルを構えていた。


「――っ!」


 研ぎ澄まされた吐息はヴィルヘルミナのものかそれとも女のものか。

 銃が追いつくまでの一瞬はヴィルヘルミナにとって死角だ。ガスマスクの女はその機を逃していない。とっくに指は引き金にかかっており、しかし空白の一瞬が挟まった。


 交錯する銃口。奔る弾丸。響く銃声。

 だがふたりの間に穿たれた弾痕は、ヴィルヘルミナとガスマスク女どちらのものでもなかった。


「……外したわ、ナターリエ。さすがにこの状況じゃ当てるの難しいわね。邪魔するのが精一杯だわ」


 残響の中、塔の上のアネットが小柄な身体で小銃のボルトを引いていた。結構な距離があるはずなのに言っていることはだいたい分かる。長い付き合いの賜物か、覇気がないわりによく通る彼女の声のおかげか。

 一方で、背後から彼女を抱えているらしいナターリエの慌てふためく様ははっきり聞こえた。


「あっ、ちょ、やだよ見てる、こっち見てるってアネットちゃん!! 早く隠れてよお!!」

「無茶言わないでよ。何のためにナターリエに命綱貸したと思ってるの、「このままじゃ分隊長がやられちゃう!」ってナターリエが騒ぐからじゃない」

「だからそれなら私がやるって言ったじゃん!!!!」

「射撃するナターリエを私が支えられるわけないでしょ、体格的に。だったらナターリエが命綱つけて私が撃つ方が現実的……次は精度高めていくわよ、分隊長に当てたくないならしっかりね」

「あーもう、アネットちゃんの無茶ばっかりーーーーーー!!!」


 そんな捨て鉢気味な叫びをあげながらも、ふたりの連携は崩れない。引き金を引くたびガスマスク女を一歩ずつ退かせていく。


 部下にばかり頼ってはいられなかった。ヴィルヘルミナも拳銃を撃ち、双方向から敵を追いつめてゆく。

 しかし二発目を放ったころ、銃のトグルは持ち上がったままで静止した。


「ちっ……!」


 舌打ちしたところで状況は変わらない。弾切れだ。


 屋根にへばりついている体勢ではマガジンの交換もできなかった。とはいえこのままじっとしているなどもっとできない相談だ。この状況で一矢報いる手段を必死に模索し、即座に答えを叩き出す。

 手元には弾切れの銃一丁だけだ。だが、弾(・)が(・)な(・)け(・)れ(・)ば(・)銃(・)が(・)使(・)え(・)な(・)い(・)な(・)ど(・)と(・)誰(・)が(・)言(・)っ(・)た(・)。


「後でユリアに叱られそうだが……なっ!」


 苦い表情をする同僚のおっとり顔。見たこともないそれを想像しつつ腕を振り上げ、ガスマスクの女めがけて投げつけた。

 ナターリエとアネットの弾幕に気を取られ、女の反応はわずかにぶれる。避けきれない。銃はガスマスクの右側に直撃し、丸い穴に収まっていたレンズを叩き割った。


「っ!」


 陽光を反射しながら破片が散る。その間隙から素顔がのぞく。

 反射的に閉じかけた、長い睫毛に隠された、それでも瞬間視界に焼きついた――鉛と冬空に似た灰色の瞳。


 女が咄嗟に右眼を隠す。もう一度ブリーフケースを取り戻そうとして、しかしアネットたちの狙撃に阻まれる。彼女らも慣れてきたのだろう、狙いが徐々に正確さを増している。

 女の判断はやはり早かった。ブリーフケースを捨て置いて背を向ける。そして駆け出すその刹那、ヴィルヘルミナは衝動のままに声をあげていた。


「――貴様らの企て通りになると思うな!」


 腰布をはためかせる脚は止まらない、ガスマスクの顔は振り返らない。しかし聞き逃しなどさせるものか。ひときわ語気を強めて叩きつける。

 宣戦布告を。


「これ以上はやらせない。ロッテを狙い続ける限り、我々は貴様らを残さず撃滅する。必ずだ! 肝に銘じておけ!」


 そう言い放った直後、破れた右側のレンズがほんの少しこちらを見やった気がした。実際のところはわからない。直後、女は屋根から身を投じたのだから。


 一瞬度肝をぬかれたが、続いた大きな水音で事態を察した。この記念館は河沿いにある。そこに飛びこんで水流に任せて逃亡する……つまりそういう心算らしい。

 ここまで暴れれば誰しもこちらの状況には気付いているだろう。「記念館の襲撃犯が河に逃亡した!!」と叫び、動ける人間に後を任せるほかない。


「分隊長ーーー!! ご無事ですかー!?」

「私は平気だ、お陰で助かった! お前たちはそこで救助を待っていろ!」


 ナターリエの呼びかけには肯定で応じるものの、「今のところは」という但し書きがついた。


 無理な姿勢で銃を撃ったのが祟ったのだろう。窓枠には爪先しか引っかかっておらず、肩から先も痺れてほとんど感覚がない。ガスマスクの女に銃を投げられたのは火事場の馬鹿力と言えた。

 この状態も長くは保てない。力尽きるのは時間の問題だった。


(落ちる、か。これは)


 諦め半分、楽観半分で苦笑する。任務遂行のためとはいえ深追いしすぎた。自業自得だ。


 石畳の地面までの距離は約10メートル。打ちどころが悪ければ死ぬかもしれないが、あんな悪魔じみた人間を相手にした後では判断基準が狂っていた。

 落ちる途中で各階の窓枠に手をかけていけば、骨折ですむくらいには落下速度を殺せるだろう……それが安心材料となる程度には。


 だから力の入らない腕がずるずると体重に引きずられ、ついに右の腕が屋根からこぼれ落ちても、ヴィルヘルミナは最善の手を打つことばかりを考えていた。


「……っ」


 屋根に残るは左肘から先だけ。もう数秒も保つまい。窓枠に手をかけられるよう、少しでも力を残すため自ら手放すのも一策か――

 そう冷静なのか自棄なのか分からない思考で全身を重力に預けようとしたのに、少女の声が響きわたる方が先だった。


「ねーさまっ!」


 聞き慣れた呼びかけに、柔らかくも芯が通りつつある手のひら。ヴィルヘルミナはこれらを知っていた。


 そして思う。嘘だろうと。そんなはずはない、だって彼女は安全なところに置いてきたのだから――

 しかし左手首を掴む体温の先を仰げばもう見間違えようもなかった。愛嬌のある猫目が健気なまでの懸命さを宿し、ヴィルヘルミナを引っ張り上げようとしている。


 視線が合う。安心させようとしたのだろう、彼女はぎこちない笑みを浮かべ、誇るように名乗りをあげた。


「遅くなってしまい申し訳ありません、ねーさま。伍長エーリカ、ただ今馳せ参じました!」

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