3-14交わす銃口の仮面舞踏③
ヴィルヘルミナが屋根へ上がったのは、二度目の銃声が聞こえたすぐ後だった。
灰色のスレートを踏みしめたあたりでガスマスク女の意識がこちらを向く。手はライフルを構え、硝煙のあがる銃口は礼拝堂へと向けられていた。
その照準に目を向ければ、真っ青な顔でアネットにしがみつくナターリエと、屋根でうまく腰を落ち着けてこちらへ首を振るアネットがいる。ナターリエの命綱は絶たれ、腰のベルトからはワイヤーが吊り下がって揺れているだけだ。
ナターリエの命綱を彼女が壊した。そう確信して、ぎりと奥歯が耳障りに鳴った。
「貴様、ナターリエまで……」
この女を野放しにはできない。脅威であると同時に償わせるべきことが多すぎる。一旦は腰に収めた拳銃を再び抜き放ち、女へと突きつけた。
「名乗れ、狼藉者。正直な話手加減をする理由が見当たらない。事情聴取で話せない状態にしてしまうかもしれないからな、今のうちに身元を知らせておくといい」
そう言葉を向けるものの、女の側はそれを聞いているのかも怪しかった。ガスマスクの向こうの双眸はよく見えない。左利きなのか、淡々と構えを解いてライフルを左肩に提げている。
どうやら応じる気はないらしい。予想はできていたことだ、あとはやるべきことをやるだけだった。
「そうか。ならばこちらから名乗りをあげよう。私は特別措置小隊、第四分隊長――」
安全装置を外す。距離は10メートルもなかった。上半身に狙いを定めて呼吸を鎮める。吹きつける風が凪いだ一瞬を、今のヴィルヘルミナは見逃さない。
「ヴィルヘルミナ・シュテルンブルク軍曹だ、覚えておけ!」
咆哮と同時に引き金を引いた。
しかし機先を制したのはガスマスク女の方だ。瞬時に身体を屈めて屋根を蹴って銃弾とすれ違い、突き進む。反動を噛み殺すヴィルヘルミナへ向かって。
今回は逃げを打つつもりはないようだ。こちらにとっても好都合。肉弾戦で遅れをとるつもりはない。
「上等だ、来い!」
腹に打ちこまれる拳は一歩引いて回避する。そのまま彼女の手首を引っ捕らえ、肩へと銃口を向けた。
だが発砲したのは彼女に腕を逸らされた後だ。弾丸がひとつ明後日の方向に消えた。
同時にガスマスク女は肘を突き出して手首の拘束を外し、勢いに任せて懐へ入ってくる。死角から何かが矢のように迫ってくるのを直感した。
「甘いっ!」
顎への肘打ちはのけぞり腕を押し退けて受け流す。回転するような彼女の動きに合わせて肩を突き放し、同じくこちらも後退。間合いを取り直す形だ。
ライフルを持ってこそいるが、彼女はそれを使わず接近戦に持ち込みたいらしい。遮蔽物のない屋根の上では撃ち合いも博打だ。徒手空拳に自信があるならこれもひとつの選択だろう。
だが向こうがライフルを使わないとすると、ヴィルヘルミナの側は拳銃を使う方が有利になる。
ライフルを取る暇を与えず、それでいて拳も届かせない間合いを保ち、彼女を仕留める――これが最適解だった。
(油断できる相手ではない……一刻も早く決着を着けなくては)
足止めさえしていれば増援が到着するだろうが、時間稼ぎのつもりで相手をしていれば打ち倒される。そんな確信は、ヴィルヘルミナに迷いなく次弾を撃たせた。
しかし遅い。トリガーを引いた時には、突き飛ばされ膝をついた彼女はこちらへ腕を振るっている。投げられた何か――おそらく割れた屋根瓦――が右手を打ち、やはり弾はデタラメな方向へ。
突然の痛みと反動。ふたつに動きを止められたヴィルヘルミナよりも、飛び出すガスマスク女の方が早かった。
「ちっ、この……!!」
ガスマスク女が間合いに踏み込んでくる。右手に握る銃把でこめかみを殴ろうとするが、彼女に手首を掴まれ防がれた。
このままだと銃を封じられた状態での接近戦になる。左側からやってきた腹への膝打ちをかわしながら、彼女がやったように肘を突き出す。
このまますれ違うように駆け抜ければ背後を取れる――そんな勝算を導きだし、手首が解放されんとする刹那、右腕が何かに絡め取られた。
「な……っ!?」
不意に引っ張られる右腕、屋根の上でたたらを踏む足と思わず振り返るヴィルヘルミナ。その顔面を衝撃が襲った。
鼻が一瞬詰まり、次には痛みの灼熱が弾ける。目を開けばほど近くにガスマスクの彼女がいた。そうと認識する間に風を掠める音が聞こえ、反射的にのけぞった。目前を茶色い影が通過する。
(なんだ、どういうことだ、私はいったい何をされた!?)
状況が分からない。あのままならばこめかみを強かに打たれていただろう。そして不思議なのは、彼女の動きに振り回されるようにしてヴィルヘルミナの右腕も動くことだった。
攻撃は止まらない。今度は胸を突き飛ばされ、しかし後退できたのはせいぜい一歩ほどだ。右腕が糸操り人形のように引っ張られ続けて自由を奪う。ようやくまともに見ることのできたそこには、黒い帯のようなものが絡みついていた。
ガスマスク女が持つものを見てその正体を理解する。ライフル。ヴィルヘルミナを縛るのはそこから繋がっている帯……負い紐だ。
(まさかこの女、最初からこの状況に持ち込むつもりで――)
ライフルを左に提げていたのも、あのやり方で手首の拘束を外して見せたのも、銃を持つ腕を掴んできたのも。
すべては右腕をあのスリングに滑りこませ、ヴィルヘルミナの銃を封じるため。そう確信するうちにぐっとスリングが引かれた。
否応なく一歩踏み出した不安定な姿勢で、右わき腹に放たれた回し蹴りは防げない。芯まで貫く痛みに思わず身体を折った途端、また顔面に銃床の殴打。視界がブラックアウトする。
一瞬の完全な無防備、その代償は致命的だった。
「ぐ、あぁっ!!」
真上からの打撃が右手を射抜く。拳銃をたまらず取り落とす。
最大の攻撃手段を奪われ、ぐっと唇を噛むうちにも、彼女の攻勢は続いていた。
突き放される。間をおかず引き戻されて喉をライフルの銃身で打たれる。呼吸が止まった隙を逃さず腹部に膝を入れられる。繋がれた身体は彼女の動作ひとつひとつに糸を繰られ、まともに体勢を整えることさえできない。
(悪魔……)
明滅する視界に、その黒く無機質な顔は地獄の使いじみて映る。無慈悲が人のかたちをとったよう。なればこそ諦めるという選択肢はあり得なかった。
シャルロッテにこの場を任されたのだ。信じてくれた彼女のため、悪鬼羅刹ごときに膝をつくわけにはいかない。
「っ、この……!」
力いっぱいに右腕を振りかざす。ガスマスクの彼女は小柄な見た目通りに軽い。乱れない攻撃に綻びが生まれ、反撃の糸口を掴み取る。
ヴィルヘルミナが彼女に繋がれているなら、彼女にとっても同じこと。体格の勝るヴィルヘルミナなら主導権を奪うこともできる。
(ここから形勢逆転するには、それしかない……!)
ガスマスク女が踏み止どまる。ヴィルヘルミナもさらに力をこめてスリングを引く。そんな拮抗が続いたのは数秒で、光明が絶たれるのは一瞬だった。
繋がりが千切れる。ほどけてゆくスリングと外された金具。勢いあまって姿勢が揺らいだうちにも彼女は距離を殺しきっている。蹴りは抗いようもなくヴィルヘルミナの腹を穿ち、たまらず一歩を退く。
そして、断崖に迎えられた。
「ぁ――」
漏れた声は軍人のものではなかった。もうとっくに屋根の淵近くにいたのに、目の前のことに囚われて気づけなかった……そんな愚か者は確かに軍人に相応しくないのかもしれない。
踵はすでに奈落へ身を委ねている。爪先の抵抗はあまりに儚くあっけない。重力の誘惑にあっという間に打ち負けて、踏み外すがままに踵のあとを追ってゆき、
「――――っ!」
残されるのは虚空だけ。




