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その仇花で撃ちぬいて  作者: 橘こっとん
第3章―そのまなざしに名をつけて
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3-9糸繰る笑顔の差別主義者

 婦人鉄剣大隊の壊滅。それは軍隊だけではなく、軍国社会そのものにも大きな衝撃をもたらした。


 軍国初の女性部隊は、良くも悪くも大衆の注目を集めていた。報道でその存在は広く知られていたし、あわよくば都合のいい英雄に仕立てあげようとするプロパガンダ的側面もあっただろう。

 だが関心の高さは、そのまま諸刃の剣となって彼女らを切り刻む。

 初陣すら果たせず地盤崩落に飲み込まれたという大隊のショッキングな末路は、瞬く間に世間の思いをひとつの方向へ決定づけた。


 ――女が社会に出ようとしてはいけない。

 ――彼女たちは家庭にいることこそが幸福なのだ。

 ――女が男と同じものを求めれば、そこには悲劇しかありえない。


 しかもその大半が善意によるものだから厄介だった。女は女らしく庇護され従うべし。この風潮は十月会戦から20年も経とうとしている今の今まで続き、ヴィルヘルミナたち特別措置小隊が白眼視されるのもここに原因があった。


 小隊の母体はかの婦人鉄剣大隊だ。大隊は十月会戦での壊滅後に解散させられたが、その生き残りが特別措置小隊を立ち上げたと聞いている。

 だから本来はその名を継ぐか、少なくとも後継部隊としての立ち位置は与えられていいはず。なのに「特別措置」で編成される小隊として扱われ、未だに正式な部隊章すら存在しないという。


 「婦人鉄剣大隊の壊滅を受けながら、また同じ過ちを繰り返すのか」――軍部はその非難を恐れたのだ。


(本当、勝手な話だわ)


 かつて憧れた彼女の、そして今の憧れである戦友の属する部隊に対してこの仕打ち。シャルロッテにとっても実に不愉快極まりない。

 だから今日ここに来た目的のひとつは、この現状を少しでも動かすことにある。


『大戦記念館の視察に、我々特別措置小隊を連れていく。そして報道陣の前で小隊の存在を印象づける。わざわざ無茶をするのはそのためのはずだ』


 さすが戦友というべきか、あの夜のヴィルヘルミナはこの目論見を端的に言い当てていた。


 今回の視察は一応公式のものであり、アルバートが関わっていることもあって世間的な注目度が高い。しかも夫婦揃って脅迫を受けている状況だ。報道陣も多く詰めかけるだろう。

 そこで彼らに、しっかりとシャルロッテを警護する特別措置小隊の勇姿を見せつける。彼女たちが軍人としての務めを果たしている姿を知らしめる。婦人鉄剣大隊との繋がりも強調できれば完璧だ。そのためならばインタビューのひとつでも受けてやろう。


 ――ヴィルヘルミナから、シャルロッテの憧れから目を逸らさせはしない。その個人的かつ絶対の意思がシャルロッテをこの場へと連れ出していた。


 そしてもうひとつの目的はといえば、これから始まろうとしている催しにある。


「いやはや、例年とは段違いの人いきれ。さすがに時の人をお呼びすると違いますな」


 グルーべが髭を撫でながら言う。相変わらず柔和さに隙はなかったが、言葉そのものはいくらか本音だろう。礼拝堂のステンドグラス越しにも外の様子は知れた。


 大戦記念館を一通り回って、最後に案内されたのが記念館に併設されたこの礼拝堂だ。大戦の英霊たちのために祈る場所だという。いくらか長椅子が置いてあるが、今はシャルロッテたちと警備の人間しかいない。

 一方外にはすでに報道陣や野次馬が詰めかけているらしく、ステンドグラスの向こうの人影は幾重にも揺れていた。ざわめきも雑多だ。やはりかなり注目を受けているのだろう。

 しかしアルバートにとってはいつものことだ。品のよい笑みで頬の火傷を上書きし、嫌味なほど謙遜した返事をする。


「きっと若造が物珍しいのですよ。あるいは見定められているのかもしれませんね、青二才にこの大任が果たしきれるのかと」


 言いながら扉の方に視線をやる。その向こうの人波を見通すように目を細めて、ゆっくりとネクタイを締め直した。


「閣下を、そして皆を前にしてどれだけ狼狽えずにいられるか、今日の私は試されているのでしょう。失敗は許されませんね。責任重大です」

「……ほう。しかしご自信がおありのようだ。さほど緊張していないようにお見受けしますな」

「ここが正念場ですから。仮にも軍人として、そんな無様はお見せできませんよ」


 否定はしない。ある意味正直だが、嘘つきの正直には意図がつきものだ。

 グルーべも深くは追求せず、「では参りましょう」と礼拝堂の扉を開けた。


 外には警備に抑えられる人混みと、青々とした芝生が広がっている。これは予想済みの光景だ。

 しかし芝生には名を刻まれていない墓石が無数に並んでおり、これは知っていても度肝を抜かれる。灰色の大理石の群は俗世から切り離されたようで、その周辺だけ一切が凪いで見えた。


 英霊墓地。大戦におけるすべての戦死者を慰めるための一種の記念碑で、実際の墓というよりもモニュメントの意味合いが強い。

 それらの前には小さな壇が備えられていて、これが今回の舞台――つまり、戦場らしかった。


(大丈夫。私はもう、恐れたりしないわ)


 かつての陸軍中将と今をときめく慈善家夫妻を万雷の拍手が迎える。それにアルバートとともに手を振って返し、礼拝堂のそばでヴィルヘルミナたちに囲まれて待機する。まずは開幕の館長挨拶だ。


 グルーべが壇上に立ち、穏やかだがよく通る声で当たり障りのない挨拶を告げる。そして礼拝堂に備えられた塔の鐘が鳴り、一分間の黙祷。その間も警備の特別措置小隊や衛兵隊は目を光らせている。前置きはこれで終了だ。

 そしてついに野次馬にとってのメインイベント――アルバートの演説の番となった。


「それじゃあシャル、行ってくるよ」

「ええ。頑張ってね、アル」


 シャルロッテの頬に軽くキスを落とし、アルバートは衛兵隊の数人とともに壇上に上がっていく。それを見送りながら、シャルロッテは刻一刻と迫る好機の瞬間を待っていた。


 アルバートの演説スタイルは知っている。とにかく民衆に寄り添う姿勢を見せ、誠実かつ親しみのある印象を組み上げる。そして軍国民への優遇政策については誠心誠意言葉を尽くす一方で、ポモルスカ人に対する冷遇については微笑むだけでほとんど口を開かないのだ。

 なんとも卑怯な話だった。しかしこれも考えようで、ならばシャルロッテが先手を打つこともできる。


(私があの壇上に立って、ポモルスカ人の窮状に対する理解をほのめかす――そうすれば状況は動くはず)


 要は既成事実を作ってしまうのだ。アルバートも「妻ひとり御しきれていない」などと思われればおしまいだから撤回できないはず。なし崩し的にシャルロッテの発言はアルバートの公式見解となる。


 なにもアルバートに嫌がらせがしたいのではない。フリッツたちを操った黒幕は、アルバートに対するポモルスカ人の憎悪を利用しているように思える。ならばアルバートがポモルスカ人への理解を示せば、黒幕は大義名分をなくすのだ。

 仮に脅迫や襲撃を強行したとして、態度を軟化させたアルバートを襲えばポモルスカ人非難の論調はいっそう激しくなるだろう。ポモルスカ人たちも迂闊には黒幕に応じなくなる。「敵」の動きはいくらか鈍くなるはずだった。


 むろん、脅迫を受けて警護をされている身だ。演説許可があるとはいえ数分も話せるか怪しい。しかしそれだけの苦労を払う価値はある。


(私だって、ミーナに守られてばかりじゃいられないもの)


 ひとつひとつでいい、シャルロッテはシャルロッテにできることをやっていく――それが彼女の隣に並び立つための道だと信じている。


「――大戦が始まった時分、私はまだ11歳の少年でした」


 マイクで拡声された声は爽やかな響きを残したまま鳴りわたる。それだけでざわめきもしんと静まり、無言の期待へと変わっていった。

 まるでアルバートの言葉が大地をならしたようだ。気障と親しみのあいだにある笑みが、等しい速度ですべての観客に向けられてゆく。


「当然、徴兵どころか教練も受けられない年齢でしたから、随分もどかしく思ったものです。私も早く一人前の兵士になって軍国男性として軍に尽くさなければと。しかし結局のところ、終戦した年にも私はまだ16。大したことは何もできませんでした。

 それだけに、あの大戦で身命を賭した英霊・帰還兵の方々をはじめとする、当時の軍国男性への尊敬の念は尽きません。彼らの奮戦ぶりについての展示も見せていただき、その思いを新たにしました。この場を借りて感謝を申し上げます」


 言って観客と、背後に林立する墓跡たちに向かって敬礼する。報道陣たちのフラッシュが先を競うようにいくつも瞬いた。

 いかにも象徴的なシーンだが、これも予定調和だ。内容はシャルロッテが盗み見た演説原稿と寸分違わない。これならおおむね予想通りに進行しそうだった。


「軍国は大戦で敗北を喫しましたが、今はご存知の通り豊かな世の中となりました。これも連邦の侵略を食い止めた大戦の、そしてなにより戦友たる皆さんの尽力のおかげです。これからもさらなる軍国発展のため、共に手を取り合っていただければ嬉しく思います」


 そう手を差し伸べるジェスチャーにまた熱狂的な拍手とフラッシュが送られる。こんな美辞麗句とわざとらしいパフォーマンス、普通なら冷めてしまってもおかしくない。


 しかしアルバートには実績がある。<雇用革命>という絶対的な実績が。

 「アルバート・ケストナーは驕らない」、「ケストナー大佐は市民の味方」……どんなに耳触りのいい言葉だけを並べ立てても、このイメージは補強されこそすれ傷ひとつつきはしない。


(それならそれでいいわ……今回だけは、それを利用させてもらうもの)


 アルバートの信用は妻たるシャルロッテの信用。シャルロッテも同じように特別措置小隊のためのパフォーマンスを見せ、美辞麗句を並べてポモルスカ人を擁護できる。簡単な話だ。

 今日ばかりは外面のいい夫に感謝してやってもいい……こんなことを考えながら演説の終わりを待つ、それだけでよかったはずなのに。


「――一方で、大戦によって生まれた悲劇があるのも事実です」


 演説が、知らない内容に書き変わった。


 思わず顔を上げる。アルバートの姿は変わらない。いつものように誰もへ視線を配り、それゆえに誰も見ておらず、壇上から眺めるばかりの双眸は親愛と傲岸を撒き散らす。あまりにいつも通りの彼なのに、胸で鳴りひびく警鐘はやまず、その刹那。


 にこりと、完璧な微笑みと()()()()()


「……っ!」


 ヴィルヘルミナや彼女の部下たちがそばにいてくれていることを、一瞬忘れた。


 肌が粟立つ。時間感覚が凍る。会食で浴びた恐怖が、何倍にも凝縮されて思考を射抜く。

 自分が何をするつもりか、何をしなければいけないのかもただ真っ白に焼き切れて、抵抗不能の脳にアルバートの言葉がこだました。


「戦後不況の影響は終わっていません。未だ失業対策には気が抜けない状況ですし、支払いの滞っている軍人恩給についても解決したとは言えないでしょう。なにより、荒廃したポモルスカからやってきた移民たちは、広く軍国民との軋轢を生んでいます」


 ざわ、と群衆がざわめくのを肌で感じた。

 アルバート・ケストナーはポモルスカ人のことを口にしない。それは世間的な共通認識だ。

 それが破られた今、野次馬はひそひそと言葉を交わしながらアルバートを凝視し、記者は興奮した様子で手帳にペンを走らせる。警備の間にも静かな戸惑いが広がっていた。


 さざ波立つ動揺の中心にはアルバートがいる。そしてチェスの駒を動かすよう、水面にもうひとつ石を投じた。


「10年前、私は両親と妹をポモルスカ人に殺されました」


 ざわめきは固唾とともに呑み下される。静寂のなか、舞台の幕はすでに上がっていた。


「犯人は法の裁きを受けましたし、それ以上の罰は望みません。なによりあの事件が父の悲願たる<雇用革命>の成就を後押ししたことも事実です。彼も報われているでしょう。しかしこうも思うのです――こうなる可能性は、きっとどこにでも転がっていると」


 悲しげに目を細め、しかし毅然と前を向き、そして語りは否応なく耳に染みてくる。快晴の空の下にありながら、壇上でスポットライトを浴びているのはアルバートただひとりだ。

 優しげで、そして無条件の支配。市民の同胞にして笑顔の差別主義者、アルバート・ケストナーの真髄がここにある。


「軍国民とポモルスカ人は、互いに関わって不幸にしあうべきではない。軍国民は軍国民、ポモルスカ人はポモルスカ人で、()()()()()()()()()()()()()

 私のような思いをする人間がもう二度と現れないよう、私は私にできることを為していくつもりです」


 そう結んで、しかし今度は拍手もフラッシュも生まれない。誰もがアルバートに意識を奪われ、彼の発した言葉すべてを咀嚼しつくそうとしている。

 そこには恐怖ではなく忘我、支配されていることを知らない者の色があった。


 それらをすくい上げるため、アルバートはくすくすと朗らかに笑う。


「個人的な話になりましたね、失礼。より大きな悲劇に目を向けましょうか。十月会戦の記憶は、あの時代を生きた人々にとって忘れがたいものでしょう」


 十月会戦の名に、群衆のいくらかがびくりと身を強張らせた。

 おそらく帰還兵か、戦死者の遺族か。アルバートもそれを見逃さない。彼らの方へ目を配る割合を増やし、労わるようにゆっくりと語りかける。


「我ら軍人は戦地に命を賭すことを誇りとするものですが、これは災厄です。天災と、混乱と、不運がもたらした悲劇です。展示を見せていただいてそれを深く思い知りました。

 しかしその原因に、孤立した軍団の独断や焦り、疑心暗鬼があったのも事実。あの混沌は、統制されているべき軍隊には本来あってはならなかったものです」


 痛烈な非難。それに観衆は静かに色めき立ち、シャルロッテは追いつめられていく息苦しさのなかで唇を噛む。

 巧い。軍政府全体ではなく、あくまで十月会戦の場にあった軍団だけを批判材料としている。反体制的ととられるリスクが低いわりに、軍政府に盲従するだけではないという姿勢も見せつけられる一手だ。保険と挑戦を両立させている。


 だが、何のためにこんな茶番が必要なのか――その答えはすぐに知れた。


「その重みを理解するためにも、彼女たちに思いを馳せましょう」


 おぞましいほど善意そっくりに仕立てあげられたひとことで、背筋に冷たい予感が走った。


 十月会戦。彼女たち。まさか。そう思索をめぐらせて戦慄に固まるのではなく、無思慮に飛び出せていればどれだけよかっただろう。

 だがシャルロッテの身体は動かないままで、続く一撃を許してしまう。


「婦人鉄剣大隊の犠牲は、我々に再考の機会を与えてくれました。我ら軍属が戦うのは何のためか? 誰のためか?

 答えはひとつ。軍国、ひいてはそこに住まう母を、妻を、娘を、恋人を守るため。彼女らを戦地に送ることは理性的な行いでしょうか。そこに正義などありえるでしょうか」


 ――ナイン、とどこからか呟きが聞こえた。

 意思表示は伝播する。否、否、否否否否。いつしか呟きは叫びになり、アルバートへ捧げる歓声になる。それを一身に受け、彼は神妙に頷いた。


「そう。我々軍国男性にはこの教訓を常に身に刻み、忘れない義務があります。二度と我らが正義にもとる行いをせぬように。理性のままに弱きを守り悪しきを挫く、国の誇りであるために」


 両腕を広げて真摯に訴えかける。虫も殺せぬ良識人が、婦人鉄剣大隊の意思を、特別措置小隊の存在を、シャルロッテの心を丹念に踏みつけていく。頬に残った火傷は歪んだ笑みのようにも見えた。


 アルバートが拳を振り上げる。普段の気障な態度には見られない大仰なポーズ。とうとう大詰めに入ったのだと、女優の勘が告げていた。


「ふたつの悲劇は今も軍国社会に根を張っています。しかし、もう終戦から17年……嘆くだけではなく、次の悲劇を防ぐ覚悟が必要ではないでしょうか。

 私もそのために身を捧げることを約束します。ここに祀られる幾百万の英霊に誓いましょう。栄光は闘争にありエーレ・ミット・カンプフ――あなた方の守ったこの国を、我々は二度と悲しみには暮れさせない!」


 そう言い切ったのと同時、割れるような拍手とシャッターの瞬き、そして「栄光は闘争にあり!」と何重もの唱和が湧き起こった。

 肯定。熱狂。心酔。波に乗せられた感情の渦。そこに否定を挟む余地は存在しない。シャルロッテもまた敗北感という情動を殺しきれず、目前の光景から視線を背けた。


 やられた――完膚なきまでに。

 これは事実上の公約宣言、シャルロッテの発言程度でひっくり返すことはできない。ポモルスカ人への擁護も特別措置小隊の立場改善も、完全に封じこめられた。シャルロッテの企てはアルバートに読み切られていたのだ。

 いったいどうして、いつから、どうやって。そんな問いにもはや意味はない。分かることはただひとつ。


 アルバートはシャルロッテの反逆を許さない。

 その芽さえも摘み取って、彼の剪定した花しか残さないつもりだ。


「さて、私の話は男の視点に寄ってしまってどうもいけない。妻にも言われたのですよ。あの戦いで苦しんだのは男だけではない、とね。ゆえに……」


 そして、微笑はまたシャルロッテを射線にとらえた。

 天の高みから見下される、繰り糸に首を絞められる、巨大な指に押し潰されて解剖される。原初的な畏怖が一気に喚び起こされて、しかしアルバートが()()()()で済ませるはずがない。


 まっすぐに伸ばされた腕は、切っ先のようにシャルロッテを指している。


「シャル、おいで。君の話を聞かせてごらん」


 シャルロッテの名を呼ぶ。優美な五指がゆっくりと手招く。逃げることも立ち竦むことも、沈黙することも認めない。

 自ら隷属を証明してみせろと――それがアルバート・ケストナーによる、(にんぎょう)への命令だった。

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