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その仇花で撃ちぬいて  作者: 橘こっとん
第3章―そのまなざしに名をつけて
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3-8遠い悲劇の戦場語り

 幼少期のシャルロッテが大好きな遊びは兵隊ごっこで、そして大嫌いな遊びも兵隊ごっこだった。


 シャルロッテには兄が二人いる。二つ歳上と四つ歳上。当然主な遊び相手は彼らなわけだが、幼い男児がいっとう興じるものはいえば、やはり兵士になりきって遊ぶことだった。

 そもそも国民皆兵の軍国に生まれた男子にとり、兵士とは大人の象徴であり憧れの存在だ。加えて開戦も重なって戦意高揚の気運も高まっている。シャルロッテが物心ついたのはそんな世の中で、出征していく青年たちを満場一致の拍手で見送りながら、兄と同じく「兵隊さん」に魅了されていた。


 だがいざ兵隊ごっことなると、兄もその友人も自分を混ぜてくれなくなる。


『だって、シャルは女の子だから』

『女は兵隊になれないから』


 混ぜてとせがむシャルロッテに、兄たちの返した答えがこれだ。

 それでも駄々をこねると、妹に甘い上の兄などは『じゃあ看護婦さん役をすればいい』などと言ったものだったが、シャルロッテはいやいやと首を振り続ける。


 兵隊がよかった。みんなが憧れる「かっこいい」ものに、シャルロッテもなりたかった。


 やがて兄たちも、その友人たちも歳下の女子などとは遊びたがらなくなる。

 女ならままごとや人形遊びだと言われ、外で駆け回るにも連れ出してもらえなくなった。兵隊ごっこなどもってのほかだ。


 そのままならきっとシャルロッテは潰れていただろう。父や母が窘めるように「女の子」らしくあることを義務と思い、そこに流されていったはずだ。

 しかし兄たちに置いていかれて泣きじゃくっていたあの日、『どうしたの?』と話しかけてきた声にすべてを語って、シャルロッテの迷いは終わりを告げた。


『大丈夫。あなたは間違ってないわ、お嬢さん』


 そうシャルロッテを抱き上げた彼女の顔は、もう思い出せない。

 ただ心から欲しかった言葉をくれたこと、糊の匂いも真新しい軍服を着ていたこと、その腕章に刺繍されていた文言だけをはっきりと覚えている。


 女が着るべきではない衣装に身を包み、誇り高く笑う彼女。これまで目にしたなによりも勇ましく気高く、そして格好よく見えた。

 その手がシャルロッテの背をぽんぽんと叩くたび、胸に熱が灯っていく。『覚えてて』と優しい声が囁く。


『私たちが戦いに行くのはね、祖国を守るため、こんな世の中を変えるため――そしてあなたみたいな子が悲しまないようにするためよ』

『だから忘れないで。あなたはいつか、願ったとおりのあなたになれるわ』


 確信のこもったその言葉は、シャルロッテの弱気をたやすく退ける。涙はもう引いていた。力強く頷いて彼女からもらった勇気を刻みつける。これから首都に向かうのだ、と言う彼女と手を繋いで、いっしょに軍歌を歌いながら駅に向かう。


 そして綺麗な敬礼をして電車に乗り込んだ彼女を、シャルロッテだけが見送っていた。

 


*****

 


 軍事国家たるエーレンフェルト軍国にとって、戦争とは「正しいこと」だ。

 もちろん理由もなく開戦することはないし、無理な軍拡路線を取っているわけではない。あくまで「軍部統治は国民による国民のための政治形態」というのが一応の名目なのだ。


 だが軍と政府が一体化している以上、軍隊の存在意義たる国防と戦争を否定することはない。

 実際、大陸大戦も負けこそしたものの「軍国の兵士たちは祖国のため勇猛に命を賭した」「軍国は連邦の謀略と同盟国たちの裏切りにより敗北したのであり、決して軍事力が劣っていたわけではない」というのが公式見解だ。


 ゆえに、元軍人の大戦記念館の館長をして「悲劇」と言わしめるその会戦は、疑いようもない悲運の上に成り立っていた。


「十月会戦についてはご存知かとは思いますが……決まり上、普段の解説どおり一からお話させてもらいましょう。退屈に思われるかもしれないが、ご容赦を」

「いえ。よろしくお願いします、グルーべ中将閣下」


 好々爺の相好そのもののグルーべと、火傷の刻まれた頬に好青年の笑みを浮かべるアルバート。その間で空気が軋んでいるように思えるのは錯覚ではないだろう。

 あの会食で二人の立場が相容れないことは浮き彫りになった。あとは互いに敵として、隙を見せないよう立ち回るほかにない。


(まあ、この物々しい雰囲気はそれだけが原因でもないでしょうけど……)


 周囲に視線を走らせる。十月会戦のための展示スペースは黒い壁に囲まれて照明まで薄暗い。

 鑑賞に気を遣ったのか、展示物の近くにはぽつりぽつりと豆電球が灯っているが、それがなおのこと重苦しさを補強した。心なしか肌寒い気すらする。


 これまでの展示室とは大違いだ。あちらは白を基調とした空間で、清潔さを重んじながら英霊たちの奮闘を称えていた。

 しかしこの展示室が伝えようとするのは明らかな恐怖――二度とあってはならないという軍国の、いや当時の参戦国全体のトラウマだ。


 場の空気に呑まれるほど柔ではないが、ヴィルヘルミナがいてくれてよかった……そう彼女の方へ目を向けるより先に、グルーべの穏やかな声が解説をはじめた。


「さて当時の戦線は、ポモルスカ共和国が北部に広がる鉱山地帯――ズニスキに及んでおりました」


 彼が近づいたのは、壁に据えつけられた大きな地図だ。ポモルスカの一地方を切りとったもののようで、大部分が山で覆われている。その中でもひときわ巨大な山脈に、皺の寄ったグルーべの手が添えられた。


「この鉱山地帯というものがなかなかのものでしてね。ポモルスカは資源国だが、その中でもズニスキの鉱山は石炭がよく取れた。まだ石油利用がさほど進んでいない時代でしたから、石炭の確保は重大な問題なわけですな。

 ましてや敵に渡すなど問題外。ですから、ポモルスカ軍部を支援する西側同盟とポモルスカ政府を擁護する連邦の両軍とも、この一帯に塹壕を掘って睨みあっておりました」


 言って、山脈を上下に走る線をなぞる。案内板によればこの線が当時の前線だったらしい。軍国をはじめとする西側同盟の軍は線の西側に、連邦の軍は東側に陣取っていた。


「とはいえ、基本的に防衛側が圧倒的有利なのが塹壕戦ですからな。戦線はろくに動かないまま膠着状態にありました」


 グルーべは地図を離れ、壁に掛けられた写真の方へと歩みを進めた。

 あるいは凛と整列し、あるいは協力して塹壕を掘り、またあるいは互いに笑いあう兵士たちの姿が白黒で捉えられている。


 写真の下には撮影日らしき日付もあった。大戦前半期のものばかりだ。まだ誰もがあの大戦を「なかなか終わらない戦争」としか思っていなかった時期。誰かの父や兄弟かもしれない男たちが確かに生きていた記録で、この部屋は満たされていた。


「それが一変したのが、今からちょうど20年前の10月1日です」


 そして次の展示室に映る。やはり暗い部屋だ。部屋の中央にはガラスケースが置かれ、照明に照らされた内容物が垣間見えた。

 壊れた双眼鏡、半ば焼け焦げた俸給手帳、山のように積まれた軍事郵便――詳しい説明は後からされるのだろうが、一見しただけでも本能的な底冷えを覚える。展示の意図ならそれだけで十分に知れた。


「その日、軍国側は攻勢の予定を立てておりました。その前段階として偵察の最終段階を実行していたところ、ズニスキ鉱山一帯を地震が襲います」


 写真群の前で立ち止まるグルーべ。そこには、現実のものとは思えない景色が映されていた。


 山が崩れ、地が割れている。


 土砂が雪崩れこんで埋め立てられた谷らしき地形。歪な亀裂を描き、巨大な塹壕が掘られたようにも見える傾斜。あちこちから立ち昇っていく黒い煙。

 世界の終わりを描いた絵画のような光景が、紛れもない過去の一場面として切り取られている。


「この地震により、各所で落盤や崩落、地滑りが発生しました。また、崩落した地面に埋められていた地雷が爆発して鉱脈に引火、坑内火災になった例もあります」


 白髭を撫でながらグルーべが指したのは、割れた地面から白い煙が吹き上がっている写真だ。無味乾燥な教科書で学んだこととそう変わらない内容なのに、恐ろしいまでの現実感をともなっている。


「ズニスキは鉱山地帯ですから、縦横無尽に炭坑が掘られておりましてね。元々あまり丈夫な地盤ではなかった。

 加えて塹壕も掘られたこと、敵に利用されないよういくつかの炭坑を埋め立てたこと、また前月に雨が続いていたこと……そうした事情が重なり、地震をきっかけとして決壊したというのが現在の通説ですな」


 一方、グルーべの言は相も変わらず穏やかなままだった。館長なのだから展示物に慣れているのは当然だが、彼は当時も戦場ではなく中央で指揮を執っていたはずだ。元将官としての一種の冷ややかさ、無感動さも入り混じっているように思えてならなかった。


「これだけで我が軍だけでも1万近くの死者・行方不明者が出たと推定されております。いつ土地が崩れるか分からない状態のため、戦後、ズニスキは立ち入り禁止区域に指定されることとなります」

「しかし、事態はそれだけでは終わらなかった――」


 そう促しとも横槍ともつきがたい返事をしたのはアルバートだ。当たり前のようにシャルロッテの肩を抱き、実直そのものの表情をしている。

 世界一嫌いな体温への不快感を噛み殺しているシャルロッテをよそに、グルーべは隙を見せないままゆったりと頷く。


「その通りですな。当時、両軍の間でも新兵器の噂が流れておりました。西側同盟も連邦も新兵器を開発し、戦線投入の機会を待ち構えていると。

 まあ、ご存知の通りこれは同盟国の航空機や軍国の毒ガス、連邦の戦車のことなのですが、当時は漠然とした「新兵器」の噂しかなかった。ゆえに両軍とも考えたのです。「この惨事は敵国の新兵器によるものなのでは?」とね」


 ふ、とグルーべの表情に憫笑らしきものが混ざった。大陸史上もっとも不運にして愚かな戦場。それを中央で伝え聞いた当時の彼も、きっとこんな顔をしたのだろう。


「先に仕掛けてきたのは連邦側だったと言います。軍国をはじめとした西側同盟軍もパニックのままに応戦し、ズニスキ戦線はみるみるうちに激戦区と化したようです。

 当時は航空機が本格投入される前でしたし、通信ケーブルも地震によりほぼ断絶した中、彼らは現場の状況に対応するほかなかったのですな。孤立した両軍は疑心暗鬼に駆られ、互いに攻勢をかけ続けた」


 歩みを進めると、写真が映すものは戦場の光景へと変わってゆく。突撃する歩兵、大砲に弾を詰める砲兵、戦火を背景に駆ける騎兵。

 それらの顔は覚悟を決めたように見えて、ただ命令を聞いているだけの迷い子のものだ。いったい自分たちに何が起こって、何のために何をさせられているんだろう――そんな無言の問いが聞こえてくるかのようだった。


 そんな写真の展示が何枚続いただろう。いい加減胸焼けがしてきた頃、いくつもの墓石が並ぶ草原の写真が現れる。


「結果、本部が状況を把握して統制が進んだこともあり、1カ月も経つころには戦闘もほぼ沈静化しました。しかし無茶な戦いによる死者は数十万、負傷者は数百万にのぼる。

 これまではあくまでいち内戦への介入でした。しかしこの「十月会戦」を機に両軍の間で生まれた憎しみはもはやどうしようもない。ここからの戦況は、本物の新兵器を用いた第二ステージへと移行することになるのですな」


 そう締めくくりのような言葉を告げて、しかしまだ「悲劇」の話は終わらないことを、続く黒い空間が告げていた。


 その部屋は、前の2部屋と比べればやや小ぢんまりとしている。しかしその分だけ暗闇は濃密に思え、悲愴の色を強調していた。今度は写真ではなく額縁の前で立ち止まり、グルーべは垂れ気味の双眸を向ける。


「そして、この会戦における代表的な教(・)訓(・)にして被(・)害(・)者(・)が彼女らですな」


 絞った照明を浴びて額縁に収まっていたのは白い腕章だ。国花と剣をあしらった、軍隊には不似合いなほど可憐な紋様。身につける者を鼓舞し支える言葉がそれを囲んでいる。


 Jungfrauen, kämpft mit den Eisenschwertern.

 乙女よ、鉄の剣を抱きて闘え――


 いつか見た言葉だ。アルバートの腕から抜け出て、シャルロッテは額縁にそっと指を添える。つぶやきは無意識のうちだった。


「婦人鉄剣大隊……」

「はい。監督役の士官らを除いた全員が女性で構成された陸軍歩兵大隊です。諸国の女性解放運動に触発されて結成されたこの隊は、この日が初陣でした」


 グルーべの補足がなくとも知っている。ある意味では彼より詳しい自信すらあった。


 前世紀後半から大陸各地で盛んになった女性解放運動。女性の権利向上――主に参政権の獲得を目指して活動する彼女らに対し、ある国は根負けし、またある国は拒絶した。軍国は後者だ。


 そもそもエーレンフェルト軍国は軍事国家である。兵役義務を果たした国民、つまり男性にしか参政権を認めていない。

 兵士として国防の務めを経た彼らだからこそ政治に関わることができる、女に祖国が守れるのか。そう糾弾した男たちに対し、彼女らは「できる」と答えた。


 女性にも武勲をたて、国を守ることはできる……その志に利用価値が認められたのは大戦がはじまったからだ。婦人鉄剣大隊と名付けられたその部隊は、十月会戦の直前に訓練期間を終えてズニスキへ赴いた。


「しかし、彼女らが戦場に出ることはありませんでした」


 グルーべが歩みを進める。笑いあう軍服の女性たちの写真が続く。先に見た部屋と似た構成で、しかし戦場の写真はひとつもない。

 穏やかな日常風景にピリオドを打つのはたった一枚、地獄の底へと続くかのように暗く深い亀裂の写真だ。


「割り当ての塹壕周辺が崩落し、待機していたほとんどの者がそれに巻きこまれたためですな。500名近くいた大隊で、生き残りは1割にも満たなかった……」


 やり切れなさそうに首を振るグルーべ。その顔は心からの哀れみに満ちていた。万単位の戦死者よりも数百人の死に同情を見せ、胸に祈りの印を切る。


「これは紛れもない悲劇でしょう。本来前線に出すべきではない女性を動員した挙句、無意味に散らせてしまった。軍国の恥ずべき歴史ですな」

「ええ。兵士は祖国と、そこで待つ女子供たちを守るために戦うものです。その戦いに守るべき者を放りこむなど、本末転倒極まります」


 アルバートも痛ましげに応じる。政治的立場はともかく、この点については思想が一致しているようだ。

 そしてこの二人に限らず、軍国の一般市民は同じようなことを思っているのだろう。馬鹿で哀れで純真なる女性たち。彼女らが戦場に行ったのは間違いだった。か弱い女たちを、男が守らなければならない。


「ですから我々は、この十月会戦を悲劇として胸に刻まねばならぬのですよ。無為に犠牲になった彼女たちのためにも」


 グルーべの言葉に、違う、と口をつきそうになる。彼女たちはきっとそんなことなど望んでいない。


『私たちが戦いに行くのはね――』


 祖国を守るため、こんな世の中を変えるため、シャルロッテのような子どもが悲しまないようにするため。

 彼女たちは彼女たちの意志のもと戦おうとしていた。それを汲まずに無為な犠牲だと、二度と繰り返してはならない悲劇と片付けることそのものが、彼女たちの想いを踏みにじっている。彼女たちの願いはこの国に何ひとつ届いていない。


 悔しい――俯いて抑えこんだ気持ちも、彼女には伝わってしまったのだろうか。誰より優しい気配がそっと手に触れる。


「ロッテ、大丈夫か」

「……大丈夫。平気よ、ミーナ」


 少し掠れた声が耳元で囁く。それだけで呼吸が楽になる。一瞬指を絡めると心音が繋がった気さえして、肩に残ったアルバートの体温も忘れることができた。


 そうだ、シャルロッテは一人ではない。

 誰より理解しあった共犯者、約束を結んだ戦友、一番の憧れがここにいる。


(もう諦めない。あの人が教えてくれたみたいに、あなたみたいに、私も願った通りの自分になりたいから)


 だからシャルロッテは、この日仕掛けると決めたのだ。

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