郷に入りては
「……え!? い、いつから見て……!?」
更紗は驚きで立ちすくんだ。こんな明るい空の下で、着替えを見られていたなんて恥ずかしすぎる。ずっと散々な目に遭ったせいで、警戒心がどこかへ飛んで行ってしまったようだ。
「大きかったら下品に見えるさかい、晒し巻いたほうがええ」
「……サラシ!? そ、そんなの巻いたことないですけど!?」
「なら、俺が巻いたげるから胸にあててる黒いもん取ってくれるか」
「黒いのって! いやいや……無理ですって! てか、めっちゃ見てるじゃないですか……!」
「……ほんなら、襦袢の上からしたげるさかい、少しは大人しゅうしとき」
藍の風呂敷からひょいと棒状の白い布を取り出した山崎は、顔を真っ赤にさせて襦袢の合わせを握りしめる更紗の傍へと近づいていく。
指に絡めた布の端を女の身体へ襦袢越しに押し当てれば、触れ合うほどの距離で切れ長の目を伏せ、その腰元を覆うように巻き付けていき。
「よう覚えとき。巻き始めは臍の上や。背中の窪みに回した時に上下逆にする。そんで、二巻きしたらお腹から脇の下を通って、胸の位置まで持っていき」
静かなトーンで囁く声が存外甘いもので、更紗は耳まで赤くなり始める。顔を逸らし唇を噛み締めると、固まったまま具合悪げに俯くのが精一杯であった。
動くたびに山崎から白檀の香りが薫る。それは懐かしさを覚えるものであったが、襦袢越しとて男の指先が自身の肌に触れるのはこの上ない緊張を煽られてしまう。
「……今回は副長の杞憂やなぁ。こないにおぼこやったら……」
「………あ、の……?」
「何でもあらへん。こっちの話や」
ばくばくと打ち続ける女の鼓動を抑えるように、豊かな胸元をグッと締め上げた山崎は、意味深に微笑み、お腹まで巻き下げた白布の端を折り込んでいく。
腰を屈めて次に男が手に取ったのは白と薄灰からなる縞柄の着物と腰紐だ。更紗の肩へ優しくかけると慣れた手つきで丈を合わせていき。
「お嬢ちゃんが知ってるか分からへんけど、日ノ本の美人の条件は、歌川国貞が描く柳腰なんや」
「……やなぎごし?」
「そう、花顔柳腰。花のように美しい顔に柳の枝のように細くてしなる腰つきの体や。自分は背もあるし、胸を押さえれば見栄えがぐんと良くなる」
「へぇ……そうなんですか」
「まぁ、そんなん言うても、遊郭では乳房の大きい女を好む男も多いけどな」
サラリと、際どい発言を言ってのける男に不快感を持ってもおかしくないのに。その中性的な容姿のせいか嫌らしさの欠片も感じられなかった。
むしろ、今のタイミングなら降って湧いた素朴な疑問をぶつけられるのではないか……。更紗は芥子色の帯を畳に広げる山崎をそわそわする心地で見つめた。
「あの……」
「うん?」
「初対面でこんなこと聞いて申し訳ないんですけど……下着ってどうしてるんですか?」
「下着?」
「……その……胸を覆うのはサラシじゃないですか。じゃあ……下を覆うのは…?」
ニュアンスで何とか伝われば……。二人の間に含みを持たせる言葉を落とせば、ゆるりと色気の孕んだ眼差しが女の腰元に向けられる。
薄い唇が微かに綻ぶのと同時に男が踵を返した。風呂敷の中から赤い何かを抜き出し、再び傍へと歩いてきて。
「これを使うたらええ」
「……これ、布じゃないですか」
「そう、腰巻や」
「……腰巻きってことは、腰に巻くだけ……?」
「そうや」
「えー! いやいや! 下から覗いたら見えるじゃないですか!」
「着物を下から覗くことなんて、無いやろ」
「そうですけど! 何かスースーしてお腹痛くなりそうだし……転けて見えちゃったりしたら……最悪じゃないですか!」
「すぅすぅ? 何やよう分からへんけど……あんたの言うてるのはこれ違うんか?」
「……はい。あの……パンツというものなんですけど。こんな形の……まさか無いとか!?」
更紗は恥を捨てて、下腹部に両手で逆三角形を作ってパンツを伝えた。山崎はそれを見据えながら訝しげに首を傾げる。その薄い反応は眩暈を起こすには十分だった。
「ぱんつ……? 聞いた事ないなぁ」
「……マジですか……えぇぇ……」
更紗は受け入れられない現実と向き合わなければならなかった。地上から一気に奈落の底へ引きずられるかの如く、その場へと足下から崩れ落ちていく。
「……パンツ1枚で生活って……どうやって………」
生まれ育った環境で培われた常識を粉砕されたショックは計り知れないものである。
「お嬢ちゃん? 大丈夫かいな?」
悪戯に鼓膜を揺らす声は、膜が張ったかのようにくぐもって聞こえた。
新たな絶望の淵を彷徨う女の頭上に黒い影が差した時、畳に両手を付いて動かない更紗の唇から空気と同化するようなか細い声が漏れた。
「ちなみに……男の人はどうしてるんですか?」
「男は褌やね。まぁ、町人の中にはそれすらせえへんと、ぶらぶらさせてる輩もいるけども」
「……チョウニン……フンドシ……ブラブラ……」
一難去ってまた一難、全く馴染みのない単語を呪文のようにブツブツと唱えた更紗は、晴れ渡る大海に放り出された。ここから身一つで大波を超えていかなければならない。現実的で強大な不安にその心を巣食われていた。
眩いばかりの光の中で広げられた帯の麻の葉模様さえも、天下に張り巡らされた蜘蛛の糸のように見える。この世界から逃げられない恐怖を掻き立てるものであった。




