武士の食卓
近藤に連れられて辿りついた場所は、八木邸の目と鼻の先にあった前川邸であった。風格は武家屋敷だ。八木邸よりも建物が入り組んでいて、立派な蔵が二つあった。
広い庭を通り、ひとたび玄関に足を踏み入れると、朝の慌ただしさを感じさせる人々の足音が更紗の目先を通過していた。
どの男たちも一瞬だけ足を止め、女をじっと視線を向ける。とはいえ、近藤が横にいるからか、誰も声はかけてくれない。また足裏を擦って畳の上を歩んでいくのだ。
何とも言えない空気感に更紗は困惑した。堂々と顔を上げられず、ざわつく気持ちを堪えるように自分の拳を見つめ続けるのみ。
(……早く……時間よ過ぎて……)
そんな更紗は、新たな屯所の大広間に通され、膳の並ぶ末席へ座らされていた。
「緊張してるの? 皆、意外と良い人だし、もっとこう、気を楽にしてなよ」
隣でニコニコ笑っているのは沖田だ。アドバイスしているように見えて、女のピンチを楽しんでいるように思えた。特に稽古着から着替えはしなかったようだ。
木刀らしき太い木の棒は見当たらず。目下、並べられた朝の膳を見るや否や、ご褒美をもらえた子どものように声を弾ませた。
「今朝はお漬物が二種だなんて吉日ですね」
「茄子の糠漬けと、壬生菜に塩を揉み込んだやつやな。朝から二種出てきたんは当番で自炊するようになってから初めてとちゃうか」
「そうですよね。左之さんがお嬢さんのために、ない気を利かせたのかな」
「その割には、進歩の見えへん朝餉やけどなぁ」
相槌を打ちながら袴をさばいて正座する山崎を視界の端に映した更紗は、目の前に置かれた木目調の膳へと視線を落としていく。
小振りの器に少しずつ盛られているのは、薄く切られた茄子のぬか漬けと青々とした壬生菜の塩漬けを細かく刻んだもの。
湯気の上る味噌汁には青葱がまぶされ、茶碗目一杯に盛られた白米がキラキラと輝いている。眺めているだけで、空腹に耐えかねたお腹がグルルと小さく鳴った。
(漬け物と味噌汁だけなの? おかず少な……)
男の料理であるがゆえ、青、茶、白しか色味がないことを差し引いても、大人が満足できる朝食でないことは火を見るよりも明らかだ。
まして京の町に蔓延る反幕勢力を取り締まり、時には命を投げ出して戦う屈強な武士の集団であるはずなのに、食べているものが余りにも粗末で。
「あの……この食事で、皆さん足りてるんですか?」
「あれ、お嬢さんお腹減ってるの? 白飯と汁物のお代わりはありますよ」
「いや、そうじゃなくて……そうなんですけど……」
「俺らと違うて生粋のお武家さんとこでも、朝はこれに煮豆が付いてくる位や。でも、これからあんたが作ってくれるんやったら、少しは──」
「お、いたいた! 昨日の姉ちゃん! 俺らと同じ釜の飯を食うっつうのは、真なのかい!?」
突如、山崎の柔らかな声を掻き消す大声が辺りに響いた。ドスドスと畳を踏む容赦のない足音が近づいてくる。
「え、……何……!?」
獲物を狩る虎のように躍動感のある動きをする男の姿を捉えた更紗は、咄嗟に及び腰になるがどうしていいか分からず硬直している。
「……は……原田さん……?」
「おお! もう俺の名を覚えてくれてたか! いやぁ、存外悪い気はしねぇもんだな、なぁ、ぱっつぁん!」
「お前は朝から声がうるせぇんだよ。飯時は一言も喋んじゃねぇぞ」
「……あ、ぱっつぁん、そこ俺の席……」
「たまにはいいじゃねぇか。ほら、土方さんの席の隣が空いてるぜ」
更紗の隣に腰を下ろしたその男は、慣れた様子で袴をさばきながら、あぐらを掻いていく。
山南のように月代を入れてはいないものの、時代劇で見るように丁髷を結わえ、風貌は侍そのものであった。
「へぇ……確かに左之の言う通り、浮世離れしたもんだな。そこいらにいる女とは違うか」
鋭い一重の双眸で上から下まで更紗を見た侍は、平坦な声色でぶつぶつと唱えている。
「……あの……」
「いや、戯言ゆえ気になさらず。平助! 土間から味噌持ってこい! こりゃあ汁物の色じゃねぇ…」
顔を伏せた男は、手元の朝食を見るや否や、その表情を歪め芯のある低い声を張り上げる。
その声に反応したのは、広間へ足を踏み入れたばかりのうら若き青年であった。
「了解! 水瓶もまだみたいだから、一緒に持ってくるよ」
「おう、すまねぇな」
男からの返答にニコリ、と両八重歯を見せて若者が笑う。一見、その顔立ちや小柄な体格から女の子に見間違うほど愛嬌のあるものであった。
しかしながら、即座に踵を翻して歩んでいく姿が雄々《おお》しい。
更紗はその背中を見送りながら、入室してから感じていた違和感を探り当てようとした。賑やかに繰り広げられる男たちの日常をこっそり観察するのだ。
沖田や原田、土方が長身であったため気づかなかったが、今の若者のように自分より背の低い男性が広間にもちらほらいるようだ。
(確かに私、背が高いほうではあるけど……侍ってもっと大きいと思ってた)
それでも、どの男性も武士を生業としているだけあり、体軸がしっかりして見える。軟弱と思しき人物は一人も見つかるものではなく。
(……あ、あっちの人、食べ始めた。全員が揃うの待たないんだ……)
自分を囲む男たちが食事に手をつけない中、少し離れた位置で着座していた初見の男たちはこちらに声をかけることなく、料理を口へ運んでいた。
大広間にいる男たちを数えると十二、三名ほど。大きく分けて二つのグループができているようだ。
お世辞にも隊士に纏まりがあるようには見受けられない。むしろ、互いの間を漂う空気感が妙に白々しかった。
(意外と良い人って言ってたけど……それってどういう意味だろ)
思案を巡らせてみるものの、話し声がピタリと止まったため、更紗も慌てて姿勢を正した。
「皆、揃っているか。冷めぬうちに頂こう」
野太い声が室内に響く。足音を幾重にも響かせ現れたのは、先ほどまで井戸で水浴びをしていた近藤と土方、穏やかな顔をしている山南と沖田から源さんと呼ばれていた男。
その背後から急ぎ足で歩いてきた愛らしい青年は、両手に器と瓶を抱えている。
それぞれ定位置があるのか、慣れた様子で膳前へと着座をすれば、右斜め向かいからカタリ、と何かを置く小さな音が聞こえた。
「あ、土方さん一人分だけ沢庵持ってきたんですか?」
「だったら、何だ」
「今朝は奮発してお漬物が二種あるんだから、その沢庵の出番はないですよ」
「そうかい、そりゃあ何よりだな」
更紗の真正面に腰を下ろした近藤を挟んで交わされる沖田と土方の会話は、端から見て決して仲良く見えるものではなかった。
気まずさを感じながらチラリと土方を見ると、着物が変わっていた。こんなに近くに座るのは居心地が悪い。更紗は関わりたくない一心で、息を潜めてみるが。
「何、そんなに畏まる事はない。更紗も遠慮なく食べなさい」
笑みを浮かべた近藤が箸を手に取り、汁物の椀を持ち上げれば、周りの男たちが一斉に箸へと手を伸ばしていく。
まるで師が一番に食すのを全員で待っていたかのようだ。恐る恐る箸を手にした更紗は、この時代特有のしきたりを垣間見たような、不思議な感覚が胸に広がる。
(やっぱり、近藤さんが一番偉いのか。でも、確か他にも局長いたよね……もう暗殺されたのかな……)
消えてしまったパンフレットの内容で覚えていたもの。それは何度も印字されていた初代局長 芹沢鴨の名と、彼が内部粛清された時にできた鴨居の刀傷痕の写真。
説明書きで筆頭局長として近藤より上格に書かれていたその男は、この場にいれば間違いなく目を引く圧倒的な存在だろう。
けれども、大広間にいる男たち全員を注意深く眺めたところで、近藤以上の風格を持つ人間は見つからなかった。
(……味薄。美味しくない……)
飲んでみた椀物が白湯に近い。瞬時に更紗は現実へと引き戻された。出汁の味が一切しない味噌汁を一旦、膳に戻してみる。
流れ込んできた青葱の苦い風味だけがやたらと口の中に広がった。それを消そうと壬生菜の漬物を口に放り込んでみるのだが。
「……しょっぱ……!」
塩の塊かと思うほどの辛味だった。更紗は口元を手で覆って小さな咳を漏らしていく。
生のまま塩漬けにされたらしい壬生菜は、辛いだけでなく、青葱を上回る独特の苦味を存分に発揮してくれていた。
「左之、まさか湯掻きもしなかったのか」
「え、湯掻くって何をでい、ぱっつぁん」
「えぇ!? 左之さん、壬生菜は青臭いから茹でようって、一昨日に話した……」
「平助、もういい。馬鹿を信じて目を離した俺が大馬鹿だったぜ…」
「何だよ! てめぇらだってまともなもん作れねぇじゃねぇか!! 文句ある奴は表に出やがれ!」
呆れ声をかき消す怒声が全員の鼓膜を叩いた。大広間が不穏な空気に包まれていく。
誰も喋らない。器に箸を滑らす音や汁物を啜る音、咀嚼の音などが、不協和音に聞こえた。更紗は変な緊張を感じ、箸の動きが段々と鈍くなってしまうのだが。
「何だ、歳。漬物を食わないのか。茄子のほうは美味いぞ」
そのよそよそしい雰囲気に一石を投じたのは、近藤であった。
「どうにも、淑やかな味に飽きちまってな」
「え、じゃあそのお漬物、私が貰ってもいい?」
「別に欲しいならくれてやる」
「本当に!? 土方さんが優しいなんて今日は正真正銘の吉日だなぁ」
意気揚々と立ち上がった沖田は、土方の背後から手を出し漬物の小鉢を掴むと、嬉しそうな顔つきで席へと戻っていく。
「だからきっと、天女が降ってきたんですよ」
「俺の所為か」
「そうです、ここに来てから貴方は人が変わったようにむくれてるから」
「生憎、この面は生まれつきだ」
仲が悪そうに見えて実はそうでもないのかもしれない。絶妙な二人の関係性を発見した更紗は、柔らかに笑ってこちらを見下ろす沖田を見つめ返す。
「お嬢さんもお代わりしたいんだよね? 土方さんのだけどお漬物あるよ」
じろじろ見ていたからだろうか。いつの間にか大食いだと勘違いされてしまったようだ。否定したくてもうまく返せる気がしない。恥ずかしさから顔が熱くなってくる。
「……大丈夫。大丈夫です……」
昨夜から飲まず食わずで来ているため、正直、空腹で倒れそうだ。朝食などペロリと平らげられるのだが、侍を差し置いてお代わりまで望むのは厚かましいにも程がある。
「俺、朝からそんな食べへんから、茄子の糠漬け欲しいんやったら分けてあげるで」
はんなりと紡がれる言葉に誘われて視線を向けると山崎がこちらを見ていた。滑稽だと言いたげに口の端を持ち上げる。
「ずっとお腹鳴ってたやろ。ようけ食べたらええ」
更紗は辛うじて掲げていた年頃の女子としてのプライドが、ガラガラと大きな音を立てて崩れ落ちていくのを感じる。バレているなら仕方ない。満腹は恥を捨てた先にあるのだ。
「……ありがとうございます。じゃあ……いただきます」
垂れた頭を持ち上げた碧色の瞳の先では、ふっくらと光り輝く白米の粒が、茶碗の中で艶やかにその時を待っていた。
全てを諦めるかの如く女が白ご飯を頬張った時、どこからともなく鳴らされた重厚な鐘の音がゴーンと京の町に響き渡っていた。




