彼らの恋愛事情
朝比奈の願いは天に通じたようで、その日は何事もなく業務が終了した。
「じゃあ悪いけど、お先にあがらせてもらうよ」
「あぁ。せっかくの誕生日だからな。食事、楽しんでこい」
少し申し訳なさそうなポーズをしつつ、朝比奈は帰り支度を整えて一条に声をかける。
そして、そんな様子をこの男が見逃すはずがない。
「えぇーいいなぁーあさひの兄貴、うまいもん食べてくるなんて!ずーるーいー」
やかましさ代表の翼がすかさず朝比奈に縋り付くが、そこは相手の方が一枚上手だった。
「いやいや、彼女の誕生日なんだって。フレンチコース○万円、翼が払ってくれるんだったら代わってあげるよ」
「げ、そんな高ぇの!?副班長…男だわぁ、、プレゼントは買ったー?」
「そりゃもちろん、こちらもリクエストいただいているので」
朝比奈がそう言って手に持っていた袋を上げる。
小さなその袋には、某有名ジュエリーブランドのロゴが上品に光っていた。
「まじで!?すごい尽くすじゃん!!ゾッコンじゃん!!」
「ゾッコンって…お前…」
今の若者があまり使わないだろうワードチョイスに、一条はお前は一体幾つだ、と突っ込んだ。
「優さん……時間……」
翼の話が長くなると感じたのか、雪が時計を指差しながら、困り眉でボソリと呟く。
「やば、早く行かなきゃ。優しい班長のおかげで彼女を迎えにいく時間ができたのでね」
今度こそ荷物を全て持って、慌ただしく朝比奈はフロアを後にした。
朝比奈が忙しそうに、でもどこか嬉しそうに出かけていくのを、桜は不思議な気持ちで眺めていた。
(恋人、かぁ…)
桜は、恋愛というものがよくわからない。
種を存続させるためのーー子孫を残すための番として、幼い頃は婚約者がいたことはある。
だが、好きだったかと言われると、全くそんなこともなかった、と思う。
婚約者がその人でなければいけないわけでもないし、正直どうでもよかった。
要は、目的はあくまで子供を得ることで、家柄的に優秀であれば誰でもよかったのだ。
そんな考えなのだから、人を好きになるということがわからないのは、当然といえば当然だった。
ふと、恋愛について聞かれたことを思い出す。
その相手は、桜が唯一心を許せる大切な人。
ーーーこの世で一番美しい人。
『桜は好きな人とか、いないの?』
『…いない。そういうの、わかんない』
『あら、そうなの?うーん、まあ私たちはあまり感情が大きく揺れることがないといわれているものね』
一般的に、吸血鬼はあまり恋愛について積極的ではない傾向にあるとされている。
たしかに、桜の周りにいた大人の吸血鬼も、夫婦はいれど恋愛結婚は珍しかった。
『でもね?桜。覚えておいてね。恋ってね、とても素敵なことなの。その人のためなら、どんな不可能なことでもできると思えるのよ』
風に靡く、長く艶のある銀髪。
その横顔は、誰よりも優しく、誰よりも美しい。
この世に舞い降りた天使のようだと、桜は思った。
『そうなのかな』
桜には、まだわからなかった。
恋をすれば、好きな人ができれば、本当にそんな風になれるのだろうか?
難しい表情を浮かべる桜に、銀髪の天使は微笑んだ。
『あなたにも好きな人ができたらきっとわかるわ』
その笑顔はとても美しくて、今まで見た何よりも綺麗だった。
そして、同じ表情をする女性がここにも一人。
「…彼女さん、いいですね。あんなふうに思われたいなぁ」
小鳥遊がうっとりと羨ましそうに、朝比奈の背を見ながら呟いた。
彼女も恋をしている。
この班の、班長である一条に。
独り言のようにも聞こえるが、その呟きの方向は、間違いなく一条に向けたものだということは、一条本人以外にはバレている。
だから、その呟きには桜を含め、誰も返事をしようとは思わなかったし、いつもならそのままの言葉通り“独り言”として虚しく消えていくだけのはずだった。
だからこそ桜も、いやその場にいた全員が驚いた。
思わぬところから、返答が返ってきたからだ。
「そうだな」
「「……………」」
フロアが静寂に包まれる。
桜は開いた口が塞がらないまま、絶句した。
というか、桜だけではない。
翼と雪は目を丸くしたまま、同じく言葉を失っている。
小鳥遊に至っては自分が振った話のくせに、なぜか少し頬を赤らめて驚いている。
変な空気を察知し、一条は困惑しながら一同を見た。
「…なんだ、その化け物を見るような目は」
「……………」
「いや、その…」
「キョウちゃん、さ…なんていうか…」
再び、沈黙。
皆が顔を見合わせながら、なんと言えば良いのか分からず、黙り込んでしまう。
その空気にさらに困惑する一条。
「なんなんだ…変なことは言ってないだろ!?」
「いや、変じゃないよ?変じゃないんだけどね、」
「一条さん………恋愛とか興味あるんですね」
桜は言った後で、あ、まずい、と思った。
つい、本音が出てしまった。
自分のミスを自覚するのと同時に、あたりの温度が急降下したのを感じる。
「お前ら…人をなんだと思ってるんだ!?」
雷が落ちた。
確かに失礼ではあったか。
「ごーめんごめん!だって、仕事一筋!!イケメンなのに女の影は全くございません!!って感じのキョウちゃんが、まさか人並みの幸せを望んでたなんてさぁ〜!」
翼がニタニタと笑いながら、一条を揶揄う。
「悪いか」
「いんや?むしろ安心したよ。ちゃんとそういうこと望んでたんだなーってね」
「そうですよ!!素敵なことですもんね!!うん、恋愛、最高ですよね!!」
小鳥遊は軽くパニックを起こしているせいか、フォローになっていない謎のフォローを全力でしている。
小鳥遊も、一条は恋愛に興味がないと思っていたのだろう。
意識してもらえるのならば、そちらの方が断然良いはずだ。
これ幸いと恋愛の良さを熱弁し始めてしまった。
そして、そんな一条の「恋愛いいな」宣言(なお、厳密にはいいなとは言っていない)に、ただ一人、密かにショックを受けていたのは桜だった。
(一条さん、恋愛とか結婚…したいんだ)
そういう話を全く聞かなかったから、てっきり自分と同じで、興味がないのかと思っていた。
それもそうだ。
人並みの幸せを求めたい気持ちは、誰にだってある。
それは一条だって例外ではない。
(そっかぁ……)
なぜ自分がこんなにショックを受けているのかはわからない。
勝手に同志とでも思っていたのだろうか。
それともーーー。
嬉しそうに一条と話している小鳥遊をみて、感じた胸の痛みには、知らないふりをした。




