第九話 衝突
小雨が降る早朝のことだった。
商業ギルド経由で届けられた一通の通知に、帝都表町の商店主はまず目を疑い、近隣と確認しあい、一斉に店を休業して商業ギルドに怒鳴り込んだ。
しかし、これを見越して商業ギルドは警察と連携して警備を強化しており、かつての暴動のような被害には繋がらずに済んだ。
チトセはキンゲルが支配人を務める高級宿トラレスホテルの会議室で博護会の主だったメンバーと共に商業ギルドからの通知を読んでいた。
「宣戦布告に極めて近いですね」
枢機卿ムタージュの言葉に誰もが頷く。
商業ギルドからの通知の内容は単純だ。
裏町での再開発が滞りなく進んだため、合わせて表町の大規模な再開発を行うという。ここまではまだいい。
だが、帝都の商店を狙い撃ちで土地代を跳ね上げているのが問題だった。
要するに帝都に昔からある商店を追い出そうというのだ。今朝、商業ギルドが焼き討ちに合わなかったのは奇跡といえる。
「革命政府はとにかくあらゆる政策に資金が欲しい。その資金を融通している商人たちの意向には逆らえない。加えて、おひざ元の帝都から博護会を締め出したい。そんなところでしょうか」
ムタージュは元ハウンドープ侯爵サクーミに見方を窺う。
サクーミは眉間に刻んだ皺をもみほぐしながら頷いた。
「間違いない。商人たちの利権を確保しなくては革命政府が行き詰まるという判断だろう。戦争はできても経済は分からんらしい」
予想できていたことだが、と呟いてサクーミは珍しく不機嫌に通知を睨んでいた。
革命政府が貴族から取り上げた事業は現在、無理な改革で赤字を大量に発生させている。貴族が慈善事業としてやっていたモノはともかく、もともと黒字を出していた事業でさえも赤字転換させてしまった。
元の雇用主である貴族に現場監督や経理担当者などがついて行ってしまったり、事業を払い下げられた商人がワンマン経営を始めて元の貴族色を一掃しようと基幹人材を首にしてしまったり。理由は様々だ。
ハウンドープ侯爵家の事業も被害を受けた。革命政府に取り上げられていまは手を離れた事業とはいえ、かつての従業員の生活を思えば腹立たしくもなる。
それに加えて、チトセたちの前にあるこの通知は、他の個人商店に送られたものと内容が異なる。
――宿り木の庭への立ち退き通知書。
「どうしますか、チトセさん?」
キンゲルが声をかけてくる。
実際のところ、この立ち退き通知に素直に従うという手はある。
現在の店から立ち退けという話であって、別の場所に再出店すればいい。かつての暴動の余波で帝都にはいまだ空き家が目立っており、引っ越し自体はできないこともない。裏町にはチトセが権利書を持っているデポッサと暮らした家も土地もある。
だが、本質的な問題を解決しない限り、再び立ち退きを迫られるだろう。
帝都を出ても、博護会が存在感を発揮する限りどこまでも排除にかかると予想できる。教会が絡んでいる以上、博護会が完全消滅するのは無理な話。それに、協力してくれた行商人たちへの恩返しの意味でも博護会の活動にはまだ意味がある。
「裏町で暮らしていた頃は、こういう事態になったらさっさと逃げたんだけどね」
ルマン率いるバジガンファミリーに追われて裏町を出た。
サウベリア王国系の殺人鬼に狙われていると知って、帝都からの脱出を考えたこともある。
「……帝国を出るか、戦うか」
帝室の落胤だと知ったエルタは帝都を脱出して、革命期を生き残って戻ってきた。
選択肢としては考えていい。
だが、逃げる気にはならなかった。
「私は大事にしてるの。物も店も――繋がりも」
大事だから、『自分にとって』大事だから、守る。
誰にも所有権を渡さない。大事な《《モノ》》を守る責任を誰にも渡さない。
守るために売る人や守るために託す人を、チトセは宿り木の庭で見てきた。
彼らにとって、チトセは大事な物を任せられる人間だから。
「ここで逃げたら、もう宿り木の庭じゃなくなる」
チトセはキンゲル、ムタージュ、サクーミを見回して、懐から短剣を取り出した。
白く発光する螺鈿の短剣。サウベリア王国レガリア。
存在すら知らなかった三人が唖然として短剣を見つめる。
チトセは三人に告げた。
「私の育て親の形見だよ。絶対に信用できる相手にしか見せてはいけないと遺言も残されてる。価値は分かるよね?」
白光螺鈿の短剣の価値。金銭的なものでも、政治的なものでも、文化的なものでもない。
この場でチトセが三人にこの短剣を見せた意味こそが最も重要で、三人ともが理解していた。
「宿り木の庭代理店主のチトセさんの絶対の信頼とは……腕が鳴りますね」
キンゲルがいたずらっぽい笑みを浮かべて言うと、サクーミが笑い出した。
「こんなものまで隠していたとは! 流石はチトセさんだ」
帝室の落胤エルタを知るサクーミからすれば、特大の爆弾に気を取られてもう一つの爆弾を見落としていたようなもの。それなりに長い付き合いだというのに隠し通していたことに尊敬すら覚えていた。
ムタージュが呆気にとられたまま、天井を仰ぎ見る。
「これだけの信頼を託されると、年甲斐もなく張り切ってしまいますね」
元々協力するつもりでいた三人が新たに決意を固める。
チトセは肩の上のエティと笑い合い、三人に向き直る。
「アシエラさんが帰ってくる前に全部を終わらせるよ」
博護会は『宿り木の庭』の代理店主であるチトセが作り出した信頼の塊だ。今回の問題はその博護会に由来している。
アシエラが帰ってきて宿り木の庭の経営と共に博護会の活動もチトセから引き継いでしまった場合、責任の所在が曖昧になってしまう。アシエラ自身にカリスマがあり過ぎるのも問題だ。
宿り木の庭の代理店主のチトセを筆頭にした博護会としてのまとまりをもって、問題に当たりたい。
「それで、チトセさん、何か考えはあるのかね?」
サクーミに質問されて、チトセは頷き返す。
「革命政府は自分たちも革命を起こされるのが怖いんでしょう? なら、平和的なイベントを企画してみようよ」
そもそも、革命政府がチトセの暗殺など物理的な排除を選べないのは、チトセを含め博護会のメンバーに多数の精霊が護衛としてついているからだ。
博護会がその気になればどれほどの動員力と求心力を示せるのか、イベント運営という人を集めて動かすノウハウを持っているのか、それを平和的なイベントの形で見せつける。
博護会は革命を起こすつもりがない。だが、経済を動かせる事実を見せつける。
これ以上の敵対行為を躊躇させる材料になるはずだ。
そして、遠方からのイベント参加者が帝都の状況を知り拡散すれば、革命政府への不信感がさらに募る。
加えて、遠方からの人員、物資輸送を成立させる博護会を敵に回せば、商人が主な前期移住者は否が応でも意識せざるを得なくなる。
商品の輸送に明確なまでに力の差がある事実を。
「イベントを成功させれば、革命政府も商人たちも気付くよ。仲良くした方が利益が大きいってね」
もちろん、種も撒いておこうとチトセは温室で喫茶店を始めた老婦人を思い出しつつ、三人に詳しい話を始めた。




