第八話 デポッサについて
静かに、だが確実に近づいてくる雨雲を眺めながらチトセはアシエラと二人、広場のベンチに腰掛けた。
木製のベンチは定期的な清掃と補修がされているようで、古びているのに座り心地は悪くない。
昼食を紙袋から取り出したアシエラが渡してくる。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
受け取って、腹が鳴る前に一口齧る。パリッと焼かれた生地の香ばしさに蕎麦の風味。みずみずしい葉野菜は少し甘味があって美味しい。
このままの勢いで食べてしまうと停留所でルマンに鉢合わせてしまいそうで、チトセはできるだけ味わって食べることにした。
「チトセちゃん、デポッサって人のことをもっと詳しく聞いてもいい?」
ゆっくり食べてもルマンと鉢合わせるのは避けられないと思ったか、アシエラが世間話を振ってくる。
宿り木の庭にチトセが居候をしている以上、アシエラにも関係のある話だ。
チトセはアシエラをちらりと横目で見る。
「無口な爺さんだったよ」
裏町で廃材を拾ってきて家具などを作り、あるいは修理をして暮らす老人だった。
チトセが裏町で暮らしていた家もデポッサと住んでいた。裏町の人間としては生活レベルが高い方で、食事もきちんととっていた。
「いつから裏町に住んでいるのかも分からない。多分、バジガンくらいじゃないかな、知ってたの」
だが、間違いなく裏町の生まれではなかった。
文字の読み書きや計算ができ、手先が物凄く器用で大体の細工物は直せてしまう。老眼だからと小物はやりたがらなかったが、バジガンなどの古い知り合いからの依頼であれば自作の老眼鏡をかけて修理していた。
学も技術も、裏町で身につけられる水準を大きく超えていた。さらにはそれらを教えることにも躊躇なく金を取ろうとしなかった。
「多分、デポッサなりの生き抜く方法だったんだと思うけどね」
チトセは生地の奥に眠っていた羊肉に到達し、噛み千切る。
「チトセちゃんに教える時にはお金を取ろうとしなかったってことじゃなく、誰からも取らなかったの?」
アシエラの質問にチトセは頷く。
「裏町って言っても下町や表と関わることはあるからね。最低限のマナーは身に着けてないと、軽くみられることもあるから、デポッサに教えを乞う人もいたよ」
マフィアのボスであるバジガンがデポッサと仲良くなったのもその繋がりだと聞いている。バジガンがデポッサを先生と呼んだこともあった。
マナーを気にするような人間は裏町で上の立場にある人間だ。マフィアのボス、形ばかりとはいえ治安維持のために派遣される衛兵たち、荒事に使う人手を手っ取り早く確保したい素行の悪い商人、日雇いでまとまった人数が欲しい口利き屋や大工の棟梁など。
「そういう人たちに恩を売れる機会だから、お金を取らなかったんだと思う。その恩をうまく使える人でもなかったけどね」
なにしろ無口な人間だった。一緒に暮らしていたチトセでさえ、デポッサの出身地はおろか好物の食べ物すら知らない有様だ。
デポッサが誰かを頼る所など見たことがなく、頼るとも思えない。
「話を聞く限り人嫌いだったみたいだね」
アシエラの感想に、チトセは一瞬考える。
デポッサについて思い出すのはいつも年の割にぴんと伸びた背中だ。暇さえあれば何かを直したり作ったりしていた。チトセは大体の場合、デポッサの作業を背中越しに見て学ぶか材料や工具の準備と片づけをしていた。
腕が錆びつくのだけは許せないと、デポッサが呟いていたことも思い出す。
職人気質な人間ではあった。だが、人嫌いではなかったと思う。無口だが愛想が悪いわけではなく、マフィアの下っ端だろうと追い返したりはしなかった。
無口だった理由は……。
チトセは答えを口にせず、代わりに自分を指さす。
「人嫌いなら私を拾って育てたりしないでしょ」
「それもそうだね。拾ったとしても教会かどこかに預けるよね」
不思議な人物だなぁ、とアシエラは呟いてチトセの肩に座るエティを見た。
宿り妖精は一般的にはアンティークにつく。最低でも五十年は経った物でなければ宿らないはずのエティが十歳前後のチトセの傍にいる以上、エティが宿っているアンティークはチトセの持ち物ではなかったことになる。
黙っていてもここまでは精霊が視えるアシエラなら気付くことだ。ルマンであっても同じように気付く。
だからこそ、ルマンはチトセに裏町に戻るなと忠告した。
――デポッサとの繋がりを示すだろうエティが宿るアンティークが、犯人を呼び寄せる可能性があるから。
気温が低くなっていく。
空を灰色の雲が覆っていた。いつの間にか東から流れ着いたらしい。
「雨が来るね」
アシエラからエティとアンティークについて質問が飛ぶ前に、チトセは話を逸らした。
雨が降る前に食べきってしまおうと理由をつけて、チトセは黙々と昼食を口に運ぶ。
エティが宿る品についてアシエラはもちろん、宿り木の庭の精霊たちも知らない。チトセとエティが意図的に隠していることはアシエラたちも察しているはずだ。
アシエラはチトセを見て何かを言いかけて、結局は昼食を齧って誤魔化した。
もしも、「言いたくなったら言ってほしい」とでも声を掛けられていたら、チトセは迷わず店を出て裏町に戻る。
言いたくなる日など決して来ない。だが、言わないで店に残るのは不義理だと思うから。
デポッサが無口だった理由も同じだったのだろう。
齧った昼食のソースが妙に苦かった。




