第十四話 枢機卿ムタージュ
執務室の質素なソファに座る。手入れはされているが生地の手触りがややざらついていた。
チトセは部屋の主であり帝国における教会の最高責任者、枢機卿ムタージュを見る。
眼鏡をかけた小柄な壮年男性だ。膝を閉じ、かかとを揃えた座り方といい小さくまとまることが癖になっているかのようだが、背筋は伸び、柔らかな笑顔の中で細められた瞳が何もかもを見透かされているような気にさせられる。
枢機卿ムタージュは教会信者からの評判が特にいい聖職者だ。理知的かつ現実的ながら、弱者救済を実現するためにその力を振るうことで有名で、帝国各地の教会を飛び回っている。
帝都教会のムタージュに会いたければ帝国内を旅行しなければならない。そんな冗談が飛ぶほどにあちこちを訪問している忙しい人物である。
それというのも、帝国は先帝の時代から対外戦争に明け暮れて様々な国を吸収していったことが背景にある。戦争で生じた難民や孤児、文化の違いからくる衝突は帝国の辺境や支配地域で発生しやすく、ムタージュは現場に出向いて指揮を執る以外の手がなくなったのだ。
ある意味、帝国の拡張政策で最も被害を被った仕事人である。
そのムタージュが帝都にいる。皇帝の崩御と無関係ではないだろう。
ムタージュは執務室の窓の外に耳を傾けたまま、チトセを見る。
「そちらが精霊の視える方でしょうか?」
抑揚のはっきりした聞き取りやすい発音だ。呼びかけることに慣れている話し方だった。
チトセは答えず、キンゲルに紹介を任せることにした。
「ムタージュ卿のご想像通り、こちらの方は帝都のアンティークショップ宿り木の庭の店主代理を任されているチトセさんです」
「あのエルフのアシエラ様が営んでいるという?」
「その宿り木の庭です」
キンゲルの答えにムタージュは感心した顔でチトセを見て、朗らかな笑みを浮かべる。
チトセはムタージュを観察しながらわずかに顎を引いた。
肩の上に座っているティ・キーがチトセを不思議そうに見て、口を開く。
「お嬢はなぜ警戒しておるのだ?」
弱者救済を体現していると評判の人格者。しかも好意的な態度を示しているムタージュに警戒を解かないチトセが不思議らしい。
ティ・キーの疑問に答えたのはシャンジだった。
「斜に構えてっけどチトセは面倒見がいいし優しいからな。教会に対する不信感と目の前のおっさんの人間性で天秤がぐらついてるんだろ。これから来る相談事に協力していいもんなのかってな」
この部屋で唯一精霊が視えるチトセが口を挟めないのを良いことに、シャンジがへらへらと笑いながらチトセの心境を説明する。当たっているのが腹立たしい。
しかし、キンゲルやムタージュの世間話の腰を折るわけにいかず、チトセは口を閉じたままでいるしかない。
「ふむ。お嬢が頑固なのは知っているが、教会への反発心を判断材料にするのはいかがなものか」
「だよなぁ。教会もそうだし、あのおっさんがどんな人間性でも、相談内容そのものを吟味すべきじゃね? エティはどう思うよ?」
「うーん。相談内容を見ても気付けないように利益誘導する悪人がよくいるんだよ。だから、あのおじさんの性格も重要な判断材料かな」
「裏町育ち故、相談者の背景まで疑って全体を見る、か」
「俺としては、助かる奴がいるなら相談に乗るべきだと思うけどな。私腹を肥やしてるやつは後で引っ立てればいいわけで」
あれこれと交わされる精霊たちの会話を無視して、チトセはキンゲルとムタージュの会話に割って入る。
「私も店のことがありますので。今日呼ばれた理由をそろそろ話してほしいです」
暴動による帝都の被害状況について話していたキンゲルとムタージュはチトセの言葉に少し申し訳なさそうな顔をした。
避難所になっている教会や高級宿の責任者である二人にとって被害状況の正確な情報は重要な意味を持つが、チトセには関係のない話。教会に呼んでおいて蚊帳の外に放り出していたことに気付いた二人は早速、本題を話し始めた。
「チトセ様も知っての通り、帝国は非常に危険な状況にあります」
ムタージュはそう言って立ち上がり、執務机の引き出しから分厚い紙の束を取り出してチトセに差し出した。
「教会所蔵の古美術品や歴史的な価値のある品の品目と所蔵している教会または個人の一覧です」
チトセは一瞬、手に取るのを躊躇した。
この一覧は略奪者や盗賊にとって最高の情報だ。ここにある品を略奪しに行けば多額の金銭を稼げるだろう。
「重要性を理解してくださるんですね」
躊躇しつつも受け取ったチトセにムタージュは笑い、椅子に座り直す。
「我々も帝都が戦場になる可能性を危惧しています。その一覧の最上部にある通り、この帝都教会は様々な品を所蔵しており、戦時略奪の標的になりかねません」
チトセは建物入り口にいた衛兵を思い出す。衛兵部隊も同じ心配をして派遣したのだろう。
ムタージュはチトセを見つめて続けた。
「その一覧の中で文化的価値があるモノは避難させることになっています」
わざわざ表現を変えたのは、古美術品や歴史的な価値のある品の中で文化的価値がないと判断されたモノは避難対象ではないという意味。
チトセは一覧からムタージュへと視線を移す。
「買い取ってほしいんですか?」
「いえ、違います。失礼ながら、買い取れる量でも金額でもありません」
それはそうだろうと、チトセも思う。
教会がわざわざ所蔵するほどの品だ。避難させないのはあくまでも時間的、物理的な制約によるもので、価値が下がったわけではない。宿り木の庭といえど買い取れるとは思えなかった。
そもそも、買い取ってほしいだけなら精霊が視える人間を探さない。
ムタージュは椅子から立ち上がって、チトセに頭を下げた。
「避難できない品を併設の養護院に移すつもりです。その品を見て、もしも精霊が宿っていたのなら、子供たちを守ってほしいと、宿り精霊たちに交渉していただけませんか?」




