第六話 マティコ工房
チトセは店の裏手にあるプランターに水をやろうとして、土の様子を見てやめた。
昨夜の雨を被ったからか、プランターの土は十分に濡れている。念のため、他のプランターを見て回り、結局ジョウロの中の水を排水溝にそのまま流し込んだ。
住居スペースに入り、空になったジョウロを裏口の横に置く。
「アシエラさん、葉っぱが溺れちゃうから水やりは止めとくよ」
声をかけてから、住居スペースにアシエラの姿がないことに気付いた。
さっきまではハンカチに刺繡をしていたはずなのに、と首を傾げるチトセを見た宿り精霊が店の方から顔を覗かせた。
「――ミセ、キャク!」
来店客の対応に出ているらしい。まだ開店前のはずだが、知り合いでも訪ねてきたのか。
チトセは宿り精霊に小声で聞く。
「長くなりそう?」
「スグ、モドル!」
「それなら、私が出ていくこともないかな」
普段はそろそろアシエラが開店前に一服しようと紅茶を淹れるころだ。それを見越してか、蔓髪コック帽の孵化精霊がふわふわとキッチンにやってきた。
「お嬢、湯を沸かすべきだ」
「あなた、紅茶を見るの好きだよね」
この時間になると必ずキッチンにやってきてアシエラが淹れた紅茶を覗き込む変な孵化精霊は名をティ・キーというらしい。アンティークの木製ケーキスタンドに宿っていたとのことで、紅茶の色と香りが大好きだと胸を張る。
「まぁ、いいけど。淹れ方教えて」
「お嬢も茶会を楽しめる友人ができるとよいな」
「エティがいるよ」
肩の上の定位置でエティが誇らしそうに胸を張る。
お湯を沸かしていると店の方からアシエラが戻ってきた。
「今お湯を沸かしている。紅茶を飲むでしょ?」
「ありがとう」
アシエラは礼を言って席に着き、手紙を読み始めた。
なんだろうと思っていると、アシエラが手紙を読み終えて顔を上げる。
「前に来たピケのブローチを修理してほしいってお客さんを覚えてる?」
「銀細工の蝶が動かなくなってたやつ?」
「そう。そのお客さんがさっき訪ねて来て、マティコ工房で無事に直してもらえたってお礼を言いに来たんだよ。この手紙がそのお礼の手紙ね」
歯車の交換程度で直る簡単な修理だったはずだが、わざわざお礼の手紙まで書いて持ってくるとは思わなかった。
律儀な客と感心しながら、チトセは紅茶を淹れる。
ティ・キーが職人のまなざしでチトセの手つきを見つめているので淹れにくい。
「蒸らし時間良し。湯が熱すぎる故、減点」
「色はいいよ?」
「お嬢よ、紅茶とは香りも楽しむ嗜好品なのだ」
まだまだだな、と首を振るティ・キーを無視して、チトセはアシエラの前にティーカップを置く。
アシエラは手紙をテーブルに置くとチトセを見た。
「今日は休業。ちょうどいいから、マティコ工房に紹介料を取り立てに行こうか」
冗談めかして言って、アシエラは紅茶を飲む。
チトセは以前に見たマティコ工房までの地図を思い出しながら席に座った。
「臨時休業の掛札ってカウンター裏にないよね?」
「掛札は……ティ・キーは覚えてる?」
「入り口横の窓、宿り精霊たちがステージ代わりにして遊んでいる板をめくるがよい」
「あれかぁ」
店主のくせに覚えてないのかと白い目を向けるチトセに気付いて、アシエラは肩をすくめた。
「こらこら、可愛い顔が台無しだぞ?」
「チトセ、カワイイ!」
「ありがとう、エティ」
アシエラも返事が欲しそうに見てくるが、チトセは無言で紅茶を飲む。
香りがあまりしなかった。
※
帝都を出て辻馬車に揺られること半日ほど。
休業にしなくては日帰りが難しい距離にある帝都郊外の町にくだんのマティコ工房はある。
アシエラとは先々代の工房長からの付き合いらしく、腕がいいだけでなく様々な部品の備蓄があるためアシエラがよく修理を依頼したり、紹介している。
「チトセちゃんの顔つなぎも兼ねてるんだけど、お使いに出すには遠すぎるから名前だけ覚えてもらって」
「修理依頼を私の名前でも頼めるように?」
「そういうこと。今後も何度か連れて来るつもりだから道順も覚えておいて」
マティコ工房は川沿いにある赤レンガ造りの建物だった。
土壁の大きな倉庫も隣接している。入り口からちらりと見える中には多種多様な木材が収まっていた。
「木製家具の修理もやってるんだよ」
「手広いね」
「見習い職人含めて四十人くらい抱えている大工房だからね」
アシエラの説明を聞きつつ向かった先はマティコ工房の受付を兼ねた事務所だった。工房や倉庫と違ってこじんまりした建物で、休憩中なのか中から職人たちの談笑が聞こえてくる。
アシエラが扉に釣り下がった紐を引くと、青銅の鈴が中に来客を伝える。
やや鈍い鈴の音が響くとすぐに扉が開いてがっしりした体形の男が現れた。
「はいはい、マティコ工房にどんなご用事で――アシエラさん!」
物凄い早口で定型句を口にしていた男はアシエラを見ると目を丸くした。
「いらっしゃい、いらっしゃい! 入って、入って! お前ら! 換気しろ! ほら、どけどけ!」
早口なうえに声も大きいせいで音圧が凄い。
無表情のチトセの肩でエティが耳を押さえている。
相変わらずだね、と小さく笑うアシエラに背中を押されて、チトセは事務所に入った。
職人たちが追いやられて開いたスペースに通される。男がどかっと腰を下ろし、チトセを見てにかっと笑った。
「工房長のマティコだ。お嬢ちゃんは?」
「チトセです。アシエラさんのお店で働いています」
「しっかりした子だなぁ。察するに、この子の顔見せで訪ねてきましたか?」
マティコがアシエラに話しかける。
アシエラは頷いて、チトセを見た。
「チトセちゃんは精霊が視えるんだ。私はもう少ししたら里帰りしないといけない用事があってね。数年、向こうにいるかもしれないからその間のお店を任せようと思ってる」
「そいつは責任重大だ。チトセちゃん、何か困りごとがあったら連絡してくれ。まぁ、俺は精霊が視えないんで、手紙になってしまうが」
エティが耳を押さえたままなことに気付いていないのも、そもそも見えないかららしい。チトセも耳を塞ぐか少し距離を取りたいくらいだが、顔見せの意味があると聞かされているので動けなかった。
職人の一人が銀貨を乗せたトレイを運んできた。
「いままでの紹介料と明細を持ってきました。ご確認ください」
アシエラは目の前に置かれたトレイから明細を手に取って、マティコを見た。
「この銀貨でチトセちゃん専用のシーリングスタンプを作ってほしい。今後、チトセちゃんが手紙を送ることもあるから」
「お安い御用で」
チトセは銀貨を見て少し肌がざわついた。
自分は宿り木の庭に居候している身だ。銀貨を数枚払うような物を受け取る立場ではない。
だが、今後の仕事に必要なことも理解できる。
マティコがチトセに目を向ける。
「どんなデザインが良い?」
問われて、チトセは肩に座るエティではなくアシエラを見た。
お金を出すアシエラがデザインを決めるのが筋だと思ったから。
「チトセちゃんの好きなデザインでいいよ」
純粋な厚意だろう。アシエラにとっては銀貨の数枚程度、気にする額ではないのかもしれない。
チトセはマティコに向き直り、口を開いた。
「枝の先にティーカップが吊り下がっているデザインでお願いします」
「枝の先にティーカップ?」
意味不明なデザインにマティコは不意を突かれたような顔で聞き返す。
「ぐらついていないか?」
枝の先に吊り下げられたティーカップを想像したのか、マティコは不可解そうに首を傾げる。
チトセは無表情で頷いた。
「私の後に店で働く人も使うかもしれないので」
「チトセちゃん用のシーリングスタンプなんだけど?」
アシエラが口を挟むが、チトセの意思は固い。
アシエラが説得を諦めたのを見て、マティコは頬を掻きながら仕事を請け負った。
「デザインの変更は五日以内なら受け付けるから、考えといてな」




