第五話 スクリムショー
アシエラが大陸地図をカウンターに広げて歴史の話をする。
チトセは落ちそうになる瞼を根性で持ち上げて話を聞いていた。
「――で、五十年前に滅ぼされたのが海沿いの小国、サウベリア王国。この国は螺鈿細工やクジラのひげを使った工芸品の輸出で稼いでいたの」
「五十年前、サウベリア王国……」
カクンと頭が落ちそうになり、肩のエティがバランスを崩して空中に投げ出される。エティは虹色の翼でふわりと滞空すると姿勢を戻してチトセの肩に戻った。
「チトセ、オキル」
「んっ……寝てた」
チトセの集中力が完全に切れているとみて、アシエラは苦笑して大陸地図を畳み始めた。
「続きは午後にしようか。ゆっくり覚えていけばいいからね」
「頭痛くなってくる。先帝、侵略しすぎでしょ」
「激ヤバ侵略帝だからね」
座った姿にも気品のあるアシエラから飛び出したとは思えない雑な言葉にチトセの目が覚めた。
歴史の話をしている最中に混ぜ込んでくれれば少しは目が覚めるのにとも思うが、混ぜ込まれたら歴史の話に集中できなくなりそうだ。
チトセは地図が片付いて広くなったカウンターに両手を乗せ、体重を後ろに傾ける。足が床を離れて心地よい浮遊感に包まれた。
「店にもサウベリア王国のアンティークがあるの? あ、五十年前に滅んだならヴィンテージだっけ?」
「アンティーク家具もヴィンテージもあるよ。アンティーク家具だと流香家具のソーイングテーブルがそこに」
アシエラが窓の近くに置かれている大きめのテーブルを指さした。
裁縫時に使うソーイングテーブルは引き出しに生地や針を収納できるものが一般的だ。裁縫針を刺しておくために布を張った一角があったりもする。
しかし、アシエラが指さしたソーイングテーブルは海沿いのサウベリア王国で製作されたこともあって漁網も編めるような大きさだ。子供服の破れを補修するような家庭での細かな裁縫で使う大きさではない。
「ちなみに、ソーイングテーブルは売れ行きが良いよ。あの大きさでもちゃんと売れる」
「へぇ」
アシエラに言われるまでもなく、チトセはあのテーブルなら売れると思っていた。大きさもあってリビングで普段から家族で囲んで団らんに使えるテーブルに、おまけで裁縫セットがついているようなものだ。
「他には――」
アシエラが別の商品をチトセに説明しようとした時、店の扉が静かに開いた。
確認するように宿り木の庭の中を見回しながら入店するのは七十代後半に見える白髪の男性だった。革張りのケースを手に持ち、まっすぐにカウンターへやってくる。
「こちらを査定していただきたい」
革張りのケースをカウンターに持ち上げて、男性はケースを開ける。
中にはやや黄色味がかった白い牙のようなものがいくつも入っていた。大きさはさまざまで小さなものではチトセの手のひらに乗るサイズ、大きなものだと両手に乗るほど。
なにより目を引くのは、それらの牙に彫り込まれた絵だ。湾曲した牙の表面に細い傷を入れて煤か何かで彩色している。牙の地の色である乳白色と煤の青味を帯びた黒で描かれる絵には不思議な躍動感と魅力がある。
初めて見る芸術作品に興味を持ったチトセが見つめていると、老人が嬉しそうに声をかけてきた。
「スクリムショーといってね。これは旧サウベリア王国で鯨漁をしていた船乗りたちが船上でクジラの歯に彫った海の芸術品なんだ」
大型の帆船や船室の様子、舵輪を操る船長らしき髭の大男などなど、さまざまな景色が描かれている。
土台のついた物や紐を通す穴が開いているものもあり、裏側に刻まれた製作者らしき名前も様々。見かけ次第買い漁ってきたコレクションらしい。
アシエラが一つ一つ手に取って虫眼鏡で確認する。
「これだけの数を一度に見るのは久しぶりだね。少し時間を頂くよ。チトセちゃん、お客様に紅茶を淹れて」
「はい」
アシエラの邪魔にならないように静かに住居スペースへの扉を開けてキッチンへ向かう。
手早く紅茶を淹れる。アシエラの見様見真似なので味が心配で、別のカップに少し入れて味見する。
「……不味い」
「チトセ、コレ」
肩から飛び立ったエティが果物籠を指さす。
そういえば、アシエラは柑橘系の果物の皮を絞って入れていたのを思い出す。
カップに淹れてみるが、変に酸っぱさが追加されただけだった。
お客に出せるものではないと悩んでいると、孵化精霊の一体がふわふわとキッチンに入ってくる。
「お嬢、指南してしんぜよう」
そういう孵化精霊はコック帽を被った蔓髪の人型だった。オレンジ色の細かな花をあしらった貫頭衣を着ている。
「……お願いします」
「ふっふっふ、素直でよろしい」
孵化精霊の指示通りに紅茶を淹れ直すと、今度はちゃんとした味のものができた。それでもチトセにはちょっと渋かったが、アシエラに飲まされた紅茶とさほど味は変わらない。
紅茶セットをトレイに載せて店に戻ると、アシエラはまだ鑑定を続けていた。紙にいろいろと書きつけているのが見える。
そんなアシエラの手元、スクリムショーを見る男性はとても寂しそうに見えた。
男性が紅茶の香りに気付いてチトセを見る。
チトセはカウンターに紅茶のカップを置いて、ティーポットから注ぎ入れる。
男性は礼を言って紅茶を一口飲み、チトセを見た。
「お嬢さんには見覚えのない景色ばかりだと思うが、今も変わらず残っている街並みが彫られているスクリムショーもあるんだよ。私の趣味ではないからコレクションには加えなかったがね」
男性が言う通り、持ち込まれたスクリムショ―に彫られた景色は航海中の一場面ばかりだ。港町の景色などは彫られていない。
「でもいま思えば、手に入れておけばよかったと思う作品もいくつかある。この歳になると、昔の町の景色を思い出せなくなってね。それでも、若い頃に乗った船の中のことだけはいまも鮮明に思い出せる」
「このスクリムショーってお客さんが彫ったんですか?」
「まさか。そんなに器用ではなかったよ。このコレクションは全て儂が生まれる前に彫られたものだ。誰かの見た風景、思い描いた光景が彫られている。だから、後世に残さなくてはならないと思うんだ」
儂のはもう残っていないから、と男性は自分の手を見た。
「家族の理解がなくてね。儂の死後、他人の思い出が彫られたスクリムショーがぞんざいに扱われるのは忍びないから、売りに来たんだ」
チトセは鑑定がほぼ終わっているスクリムショーのコレクションを見る。
一つ一つはそれほど大きなものでもないので保管するだけなら邪魔にならない。だが、飾るとなれば相応のスペースが必要になるだろう。
家族がスクリムショーに興味がないのなら、物置の奥に押し込められるのが目に見えている。形としては残っても誰の目にも触れず――忘れ去られる。
アシエラがケースの中にスクリムショーを収めていく。
「鑑定、査定が終わったよ。状態もいいし、ファンがついている作者の作品もある。査定額と内訳はこれ」
アシエラが差し出した紙を見て、男性は覚悟を決めるような時間を挟んだ後に頷いた。
「では、よろしくお願いします」
コレクションが入ったケースをそっとアシエラに押し出して男性は代金を受け取った。
そのまま男性は振り返ることなく、すこし小さくなった気がする背中で店を出ていく。
アシエラはスクリムショーが入ったケースをそのまま店の奥に置いて、値札をつける。
「チトセちゃん、大事にしているからこそしかるべきところに売る、人に託すってことがあるんだよ」
男性が出ていった店の出入り口をチトセが見つめていたからか、アシエラは諭すように言う。
チトセはカウンターに頬杖を突いた。
「分かってるよ。託さず残す方が無責任なこともあるって、分かってる」
店内の精霊たちを見回し、チトセは瞼を閉じた。
宿り木の庭は精霊とアンティークにとっての避難所なのだと、分かった気がした。




