第十話 暗雲
「今日もとんでもねぇ激戦だったな……」
シャンジが疲れたようにリビングテーブルに倒れ込む。
チトセも疲労感に任せて突っ伏したいところだったが、今日の業務がまだ終わっていない。
リペ・アルシュがテーブルの上に置かれた人形用の椅子に座り上品に首を傾げる。
「はて、前回にアシエラの様子を見ようと訪れた年はかように忙しなかったか?」
「現皇帝の即位式前後でもこれほどではなかったなぁ」
エルフの里からの増援組の昔話は分からないが、リペ・アルシュたちがいてくれなかったら過労で倒れただろうな、とチトセは思う。
春の終わり、新たな独立軍が支配地域で発足したことにより、帝国軍は二正面作戦を強いられることになった。
この新たな独立軍の発足地点が不味かった。軍事に疎いチトセでさえ帝国軍が苦境に立たされたのが分かるほどだ。
流石の内政派も強烈な危機感を抱いたらしくこの独立軍の鎮圧に全面協力を表明したものの、すでにさんざん妨害され続けてきた征伐派との溝は深く、連携が取れないまま帝国軍が敗北。
号外を読んだエティの「あ、終わったね」があまりに的を射ている。
――帝国は滅亡する。
誰も大っぴらに語らなかった暗い未来予想図がはっきりと輪郭を持ったのだ。
支配地域の住民からの敵意を帝国民は浴びている。二重価格は当たり前。帝都内でも暴行、窃盗事件が起きている。
目端の利く商人が帝都を出た。
別荘を持つ富豪が帝都を出た。
貴族たちが領地へ帰った。
残された帝都の民は自分も逃げなければと旅費を工面し始めた。
そして、夏を迎えた今になって宿り木の庭には連日、店の外に行列ができるほどの繁盛店になってしまった。
家財道具を売って少しでもお金を工面し、情勢が安定している遠方へ逃げる。そんな考えの人間が多いからだ。
他のアンティークショップを差し置いて宿り木の庭に客が殺到するのにも理由がある。
「あっ、ティ・キー、新しく来た子は大丈夫そう?」
「寂しがってはいるが、状況は理解しておる」
店の方からゆっくり飛んできたティ・キーはそう言ってチトセの肩に降り立った。
宿り木の庭はその他のアンティークショップとは違い宿り精霊がついているかも評価対象になる。たいした市場価値のないガラクタでさえ多少の値を付けて買い取る場合があるのは知られた話。
実際にアシエラがコーンルズ子爵邸で模造品をそうと指摘しながら買い取る場面を見ているチトセも方針を踏襲している。
おそらくは買い手がつかないものでも宿り精霊の保護を目的に購入する以上、宿り木の庭が繫盛していると言いつつも、利益がでるはずもない。
帳簿を見ながら、チトセは計算結果に胸を撫で下ろす。ぎりぎり赤字になっていない。
「ふむ。いざとなれば疎開先で売れるような品を買っていく客のおかげで帳尻があっておるな」
「あからさまな転売目的の客には売らないけどね」
古書とは違い、せどりのような真似をしたところで輸送費用などを加味すると利益はほぼ出ない。目端の利く客もいるにはいるが、転売目的の購入はお断りしている。
ただ、転売ではなくいざという時に換金できる家財道具として、かつ現地で馴染めるように家具を現地の生活様式に合わせたいという客も多い。こういった客は商品を大事にしてくれるので売ることにしている。
チトセは店舗の方に目を向けた。いつもなら営業終了後は宿り精霊たちが遊びまわるのだが、ここ数日は静かなものだ。
「店の宿り精霊たちも疲れて大人しいね」
「ひっきりなしに客が来てるからはしゃぎ疲れてんだろう」
そう言うシャンジも疲れている。
直接客の対応をしているチトセはともかく、店の精霊たちが疲れているのは別の理由だ。
最近の客が持ち込んでくる品は言い方を変えれば手放そうと思える程度のモノ。かつて、家族の理解が得られず自分の死後にぞんざいに扱われるよりはとスクリムショーを売りに来た老人などとは動機が違う。
そのため、基本的には宿り精霊がついていない本当のガラクタだったりする。
だが、むしろ問題になるのは宿り精霊がついていた場合の方。
「窃盗まがいが多すぎて、本当に大変」
宿り精霊がついているのは大事にされてきた証拠。多くの場合、持ち主が手放そうとはしないものだ。
ここ数日、店に持ち込まれる宿り精霊がついた品は家族の反対を押し切って半ば窃盗に近い形で持ち込まれた物ばかりだった。
本来の持ち主の合意もなしに持ち込まれた物を買い取るわけにはいかない。当然、断ることになるのだが、持ち主と引き離された宿り精霊が混乱し、店に売られると分かって取り乱して暴れることもある。
そのため、現在の宿り木の庭では店に宿り精霊がついた品が持ち込まれた場合、シャンジかティ・キーが事情を聞きに行く流れができていた。
また、後ろ暗い所のある客はごねたり暴力的にもなる中、宿り精霊から事情を聞きだすまで時間を稼ぐチトセにも疲労が溜まっている。
「あと数日もすれば落ち着くと思うけど……」
帳簿を片付けたチトセの頬にエティが触れる。
「明日は店を休んだ方がいい。みんな疲れてる」
「……そうだね。なにかやらかしてからじゃ遅いんだし、明日はお休みにしようか」
店を開けていてもろくなことにならないと確信して、チトセは臨時休業を決めた。
この騒ぎでろくに遊べなくなっている宿り精霊たちに明日は存分にかまってあげよう。
――皇帝が死去したとの号外はその日の夜に配られた。




