第九話 リペ・アルシュ
帝都にようやく春が訪れた。
例年と比べると一か月近く遅れた春だったが、遅れを取り戻すように気温がぐんぐんと上がっていき、なごり雪の風情もないまま野花が開く。
家の裏口に置いている鉢植えに小ぶりな赤い花がいくつも咲いていた。
「心配だったけど、今年も綺麗に咲いたね」
店の宿り精霊たちが鉢植えを覗き込み、輪になって踊っている。
春の陽気で浮かれているのは花だけではないらしい。
チトセは家の中に戻り、朝の日課になっている紅茶を淹れ始める。
「お嬢、今朝は別の茶葉が良い」
「どれ?」
「戸棚の奥の青い容器の茶葉だ」
「あぁ、これね。春になるとお勧めしてくるよね」
ティ・キーの要望に応えて戸棚から茶葉を出し、茶葉ごとの淹れ方を書いたメモを読んで復習する。
「そうそう、蒸らし時間が短いんだよね」
「渋みが出る故な」
適切に淹れると爽やかで目の覚める明るい花の香りがする紅茶だ。バラなどの華やかさとは違うオレンジの花のような香りが春の朝にピッタリな茶葉である。
淹れ方は難しいが、ティ・キーにせっつかれて来る日も来る日も紅茶を淹れ続けてきたチトセは今日も上等な紅茶を淹れた。
ヴィンテージのティーカップに注ぎ入れると軽やかな花の香りがキッチンに広がっていく。
ティ・キーが厳かに採点する。
「九十二点。茶葉がやや劣化してしまったな……」
「もったいないから捨てたりしないよ」
「当然である。クッキー生地に練り込むのはどうだ?」
その手があったかとティ・キーの提案を検討しつつ、チトセは椅子に座る。目の前のテーブルには今朝の新聞と手紙の束がある。
新聞を手に取って中身に目を通す。
「嫌な感じだな」
いつもの通り肩に乗っていたエティがチトセの開いた新聞を見て端的な感想を口にする。
エティの言う通りだと、チトセも思う。
冬の間は睨み合っていた帝国軍と独立軍が本格的に戦闘を開始したらしい。
旧ディグジニア協商連合、旧ミナッツォ王国の二つの独立軍は冬の間に連携したことを発表、日付を定めて同時に戦闘を開始した。
まだ独立軍が立ちあげられていない旧サウベリア王国領などにも働きかけている恐れがあり、帝国からの独立運動が拡大するのでは予想されている。
本来の帝国軍なら独立軍程度あっさりと撃破していた。
しかし、現在は戦争に強かった皇帝が病に伏しており、指揮を執るのは征伐派の貴族たちだ。
内政派貴族たちは征伐派が戦功を挙げるのを嫌い、物資の補給を渋るなど足を引っ張っている。独立軍も帝国の内情を察しているのか、補給部隊を積極的に狙うなどして帝国軍を物資不足に追い込む方向で動いている。
さらに、独立軍の仕業に見せかけた盗賊被害も帝国各地で発生。物流の混乱を避けるため帝国軍の一部が治安維持や盗賊退治に割かれてしまい、独立軍と相対する戦力が減少。積極的な攻勢にでるどころか防衛もままならずに前線を下げる有様。
かつて、周辺国を次々と併呑した最強の帝国軍の面影はすでにない、と紙面は締めくくっていた。
チトセは新聞を一度テーブルに置いて、気になっていた手紙に手を伸ばす。高級宿トラレスホテルの支配人キンゲルからの手紙だ。
この春、トラレスホテルに旧サウベリア王国領からの商人の団体客が宿泊した。チトセも内装に手を貸したその宿泊客はどうなったのか。
「……満足してもらえたみたいだね」
キンゲルによれば、団体客はティナトレクト調の家具に気付き、非常に喜んだらしい。
それというのも、皇太子が亡くなる直前に行われていた文化奨励で旧サウベリア王国領でも自国文化に目が向けられ、アンティークの知識が増え、客が増えた。
昨今では旧サウベリア王国のアンティークが高騰し、品薄になっている。旧サウベリア王国領に住む友人のオーミーから手紙で聞いて知ってはいたが、帝都周辺とは価格差がかなり大きくなっているようだ。
キンゲルの手紙には、商人たちが次回の訪問時にティナトレクト調の家具などを購入したいとのことで仲介を頼まれたとある。
店舗の方からシャンジがふらふらと飛んでくる。宿り精霊たちの遊びに付き合って疲れ果てたらしい。
チトセはシャンジを手招いて、キンゲルからの手紙を見せた。
「シャンジも協力してくれてありがとう」
「おう。うまくいったんならよかったじゃん」
そっけない言葉ながら、手紙を読んだシャンジは嬉しそうに笑った。
しかし、テーブルに置いてある新聞の見出しを見てすぐに表情を曇らせる。
「また増税かよ」
独立軍に対抗するための臨時増税とのことで、今年早くも二度目の税率変更だ。これを主導しているのが征伐派による帝国軍の足を引っ張っている内政派だというのだから、帝国民からの不満も強い。
確実に景気が悪くなる。そんな中、キンゲルからの手紙は新しい商機でもあった。
支配地域であれば、その地域のアンティークが売れる可能性がある。価格差もあり、輸送費用次第ではあるが黒字にできる公算もある。盗賊さえいなければ、だが。
「上手くいかないね」
やり方次第だとも思うが、もともと宿り木の庭は利益を重視するような店ではない。商品を大事に扱い、宿り精霊が無事に孵化できるように環境を整えることに重きが置かれる。危険を承知で遠方にアンティークを運ぶのは方針とは真逆だろう。
増税は痛いが現状でも赤字ではない。貯蓄もできている。
そろそろ店を開けようと立ち上がった時、ティ・キーが裏口を見た。
「エルフの里からの連絡のようだ」
「定期連絡には早いよね?」
日付を確認しながらも、チトセは裏口を開けに行く。
裏口の向こうには数体の孵化精霊がいた。全員、チトセが見たことのない孵化精霊だ。
しかし、ティ・キーは顔見知りらしい。
「久しいな」
「ティ・キーも壮健でなにより」
うむうむ、と頷き合う古風な孵化精霊たちに首を傾げつつ、チトセは中に通す。
全部で五体の孵化精霊がリビングテーブルの上に並んだ。対面にティ・キーが降り立ち、チトセに紹介してくれる。
「エルフの里に住む孵化精霊たちだ。それもかなりの古参でな。中でも、アシエラが生まれた頃から里にいる大御所がそこのリペ・アルシュだ」
「アシエラさんより年上ってこと!?」
アシエラも年齢不詳だが、それよりも上と聞いてチトセはリペ・アルシュを見る。
翡翠色の巻頭衣にルビーとサファイアから掘り出したような小さく硬質な花飾りがあしらわれ、絹のような白髪に材質も分からない黒い簪を差している。
「リペ・アルシュという。帝国の情勢悪化に伴い、チトセ嬢をエルフの里に迎える護衛兼案内役として参った」
帝都の治安悪化などを報告していたのもあって、アシエラが心配したらしい。
リペ・アルシュがチトセを見上げて柔らかく微笑んだ。
「まぁ、無理にとは言わぬさ。チトセ嬢は意外と頑固故に帝都に残ろうとするだろうとアシエラも言っておったしな」
「いいの?」
チトセ自身、帝都を離れるつもりはない。帝都には知り合いが多いだけでなく、宿り木の庭そのものも心配だからだ。
もっとも、アシエラがチトセを心配するように、精霊だらけのこの店は安全性が帝国一といっていいため杞憂でしかないと分かっている。
リペ・アルシュはチトセの答えを予想していたように頷き返した。
「では、我々は護衛として残るとしよう。……すでに過剰戦力な気もするが、心配症なアシエラも可愛いものよな」
ふふっ笑って大人の余裕を見せたリペ・アルシュは、帝都の古馴染みの孵化精霊に挨拶をしてくると言って出かけていった。
「……護衛は?」
チトセの呟きにティ・キーが呆れのため息を零す。
「泰然自若としているように見えて、リペ・アルシュはそそっかしい御仁でな……」




