第七話 ニトン
高級宿トラレスホテルの宴会場にチトセはやってきていた。
結婚式はチトセたちの尽力もあって無事に成功し、キンゲルが打ち上げと称してこの宴会場を用意したのだ。
壇上で支配人のキンゲルがチトセたち協力者に礼を述べている。
「なんとかなったね」
チトセは呟きながらリンゴジュースを飲む。シナモンか何かの香辛料が少し加えてあるのか、意外と複雑な味わいがした。
宴会場にいるのは四割ほどがチトセの協力者である。帝都とその近郊に店を構えるアンティークショップや食器を専門に扱う業者、変わったところでは観賞魚の飼育と繁殖を行うブリーダーもいる。
同業や食器業者からは展示品として売却、貸し出しをしていたカトラリー類、ブリーダーからは置物類を借り受けた。
キンゲルの挨拶が終わったタイミングで、チトセは周りにいる協力者に改めて頭を下げる。
「ご協力、本当にありがとうございました」
「いいのよ。久しぶりにおめでたい話を聞けて気分も晴れたわ」
上品に笑う同業のお婆さんの言葉に、全員が同意を示して頷いた。
ディグジニア協商連合や先日独立軍が旗揚げされたミナッツォ王国など、帝国情勢が悪化するニュースばかりの中で久しぶりの慶事とのことで、様々な人が協力してくれた。
「チトセちゃんが一人で頑張っているのも知ってるからね。協力は惜しまないさ」
「アシエラさんもいつになったら帰ってくるやらだ」
「情勢が不安定だから、エルフの里も大変かもしれないね」
チトセの伝手で集まっただけあって、共通の話題は宿り木の庭の店主アシエラになった。
みんなアシエラに相談に乗ってもらったことや店の経営を助けてもらったことがあるらしい。
あんなことがあった、こんなことがあったと話を聞いていると、ブリーダーがチトセを見る。
「まぁ、今回はアシエラさんに世話になったから協力したわけじゃなく、結婚なんておめでたい話にあやかろうって考えたからなんだがね」
ブリーダーはそう言って、ワイングラスを目線の高さに持ち上げる。
「おかげでこうして、上手い酒にありつけた。情けは人の為ならずとはよく言ったもんだ」
「違いないね!」
同業のお婆さんも笑ってグラスを持ち上げる。
誰からともなく乾杯を待つようにグラスを持ち上げ、チトセを見た。
そういえば、協力してもらって頭を下げただけに終わっていたチトセは気付く。せっかく慶事にあやかろうと協力してくれたのだから、感謝だけではなく祝う雰囲気で締めたいところ。
チトセは笑顔でリンゴジュースの入ったグラスを掲げた。
「では、乾杯」
チトセの合図で各々がグラスを持ち上げて飲み干す。
その場は解散の流れとなり、各々が宴会場のあちこちに散っていった。
この宴会場には当然ながらチトセの協力者以外の客がいる。キンゲルの伝手がほとんどだが、ギルド関係者もちらほらと参加している。
しかも、一週間以内に上等な品を用意し貸与できる人たちだ。人との繋がりを重視する信用と商売における身軽さが備わっている。交流しておいて損はない。
あちらも同じ考えらしく、宴会場内は人の交流が活発になっていった。
チトセはほっと安堵の息を零す。エティが「おつかれさま」と頭を撫でてくれた。
「いろんな意味で損をさせずに済んだね」
エティの言葉にチトセはそっと頷いた。置物などを借り受ける時にはちゃんと適正な料金を支払っているが、それらの資金はキンゲルから出ている。
適正価格だとは思うものの、緊急性など加味していくともっと支払ってもいいくらいだった。誰か一人でも協力を取り付けられなければ結婚式は違った形で幕を引いたはずなのだから。
近付いてくる気配に気づいて、チトセは目を向ける。
壇上からまっすぐにこちらへ歩いてくるキンゲルが見えた。
「チトセさん、改めてご協力感謝いたします」
「無事に式が終わってよかったです」
結婚式の主役だった二人はとても幸せそうだった。
――二人のそばにいた孵化精霊も、満足そうだった。
チトセは天井付近で宴会場を見下ろしている孵化精霊を見上げた。
孵化精霊ニトン。高級宿トラレスホテルの建物そのものについていた精霊である。
帝都広場のヤモリ型の孵化精霊と同様にエルフの里に行くことを拒み、大事にしてくれる利用者たちからの無意識の魔力供給だけで存在を維持する、帝都でも古参の孵化精霊の一体だ。
寡黙で大人しい性格だがトラレスホテルの評判が落ちかねない事態となれば全力で動き出す。トラレスホテルの守り神のような孵化精霊ニトンのために支配人室の一角に専用スペースが設けられているとかいないとか。
今回の貴族による食器不足に関しても「約束したサービスが提供できぬとは何事か」とお怒りで、夫婦のそばに張り込んで求める限りの要望に聞き耳を立てていた。
夫婦が最初に駆け込んだ喫茶店にチトセがいたため、協力を頼んできたのだ。
「……ニトン様のご様子は?」
精霊が視えないキンゲルが声を落として聞いてくる。
チトセが見上げる先、孵化精霊ニトンは巻き貝の化石から顔だけを出して宴会場をにこにこしながら眺めている。
「ご満悦ですね」
「それは良かった」
安心したらしく、キンゲルは感情の籠った呟きを発して天井を見上げる。
ニトンは寡黙で大人しい。だが、怒らせると非常に怖い存在らしい。
トラレスホテルの評判を下げるような従業員は制服を着るため更衣室に向かっているのに延々と廊下を歩かされ、決してたどり着けない。客の私物を盗んだ従業員が部屋に閉じ込められ、脱出はおろか身動きさえも封じられて泣き叫んだ。庭師に扮して紛れ込んだ暗殺者が支配人室の扉に磔となって余罪を含めてすべて自供させられた。
トラレスホテルの継承権で揉めた兄弟が揃って敷地に入れなくなったという話もある。
孵化精霊ニトンにとって重要なのはホテルの従業員でも経営者でもない。利用客なのだ。
今回の一件、もしも結婚式がトラレスホテルの格式に合わない内容であると見なされれば、ニトンは容赦なく支配人のキンゲルを出禁にしていた。
チトセはキンゲルに質問する。
「貴族に食器類を貸し出した従業員ってどうなりました?」
「事実上の解雇です」
事実上とはこの場合、ニトンに敷地への出入りを禁止されたのだろう。
トラレスホテルの関係者にとっては恐ろしくも頼もしいニトンは、その存在を知られているからこそトラレスホテルのブランドを担保している。
天井からニトンの満足そうな呟きが聞こえてくる。
「笑顔で未来を過ごしに向かってもらえた。これぞ、幸福よな……」




