第四話 出張修理
初雪が鼻先をかすめて、チトセは灰色の空を見上げた。吐き出した白い息がふわりと広がりながら目の前で大気に溶けていく。
「今年の雪は早いね」
「十日前まで半袖の客がいたんだけどな」
チトセの肩で立ち上がったエティが呟きながら、降り落ちる小さな白い塊を指先で弾く。
心なしか冷たくなった箒の柄を壁に立てかけて、チトセは両手に息を吹きかけて温める。
そんなチトセの前を茶色い帽子を被った少年が走り抜けながら新聞を宙に放った。
「ほい、朝刊! おはよう、さよなら!」
走る少年が押しのけた空気が風となり、初雪が宙を踊る。
チトセは空中に放り出された朝刊を見もせず右手で掴み、新聞配達の少年の背に声をかけた。
「転ぶなよー!」
「そんなドジ踏むわけな――」
凍った路面で左脚を滑らせてバランスを崩した少年を、エティが魔法で支える。受け身を取ろうと伸ばされた少年の手が空中を掻き、だらりと地面と垂直に垂れ下がる代わりに少年の顔が振り返った。
「あんがとな!」
「今度は転ぶなよー?」
「ドジを踏んだら学習するんだよ!」
本当に学習しているのか疑わしい全力疾走でかけていく少年を見送って、チトセは店先の掃除を終える。
朝刊を片手に店に戻り、扉を閉める。
朝刊には帝国軍と独立軍の最新の戦況が書かれていた。
ディグジニア協商連合独立軍の動きは鈍く、海岸線の制圧もままならない状況。主要な港を押さえられているため帝国内の物流に影響が出ているものの、冬を迎えて互いに睨み合う形で春を迎えると予想されている。
倉庫を徴発されたりもしていないので、この冬は乗り切れるだろう。
「春になったら倉庫を空けていかないと」
チトセは扉に鍵をかけて居住スペースに向かう。
リビングテーブルに朝刊を置いて、椅子の背もたれに掛けていたコートを羽織った。
エティとシャンジが周囲を飛んでついていくとアピールしている。エティはいつものことだが、シャンジがアピールするのは珍しい。
「どうしたの?」
声をかけると、シャンジはキッチンで不満そうな顔をしているティ・キーを指さした。
「今日の仕事先は喫茶店だろ。ティ・キーは役に立たねぇって思ってさ」
「あぁ……」
思わず納得してしまったチトセは片手で口を隠した。不満を増したティ・キーが声を上げる。
「本職の淹れた紅茶を見たいと思うのは至極当然であろう」
「護衛役じゃなければな」
「ぐぬぬ」
シャンジに言い負かされて、ティ・キーが歯ぎしりする。
チトセは苦笑して、ティ・キーに手を振った。
「帰ったら紅茶を淹れるよ。店をお願い」
「うむ。期待するとしよう」
荷物を持って裏口から外に出たチトセは足早に通りを歩く。うっすらと白く雪が積もる道に人影は少ない。
歩くことしばらく、目的の喫茶店が見えてきた。
こじんまりした個人経営の喫茶店だ。赤と青と白の三色で構成されたオーニングの下に店主タンドモが待っている。
タンドモがチトセに気付いて手招いた。
「雪の日にごめんね」
「いえいえ。今年は寒くなりそうですね」
雪雲を見上げながら言うと、タンドモも空を見上げて頷いた。
「寒くなると人が出歩かなくなるから客入りがねぇ」
天気に文句を言っても仕方がないからと、タンドモは喫茶店の入り口を振り返った。
タンドモの視線の先にアンティークの机がある。店の日替わりメニューが書かれた小さな黒板が天板に置かれていた。
「修理してほしいのはこの机なんだけど」
タンドモがアンティーク机の天板の端を指さす。正方形の天板の角が欠けてしまっていた。
小さな傷ではあるが日替わりメニューが置かれる関係上、どうしても客の目につく。印象が悪いので修理してほしいらしい。
ついでに他にも傷がないかを調べてから、チトセは店内を指さした。
「中で修理をしても?」
「もちろん。時間かかりそうなら紅茶を淹れようか?」
「この程度ならすぐに補修できますよ」
木屑と膠を練り合わせた充填剤を使い、研磨して形を整えた後、天板の色味に合わせて着色する。木目も描けば欠けていたのが嘘のように見た目も整う。
裏町で生活していた頃はこういった傷や欠けの修理で食べていた。数だけならそこらの若手職人よりもこなしているくらいだ。
他の傷も同様に手際よく修理していくチトセを眺めて、タンドモが小さく口笛を吹く。
「チトセちゃん、本当に器用だね」
「これくらいなら練習次第で誰でもできますよ」
工具類を片付けて、チトセは机を店頭に持っていく。上に黒板を置けば仕事は終わりだ。
出来栄えを確認したタンドモが満足そうに大きく頷いた。
「工房までもっていかなくて済んで助かったよ」
輸送費用も上乗せになってどうしても修理費用が高くなる。今の不景気な帝都ではできるだけ支出を減らしたいのが本音だ。
タンドモが厨房へ向かう。
「チトセちゃん、実はもう一つ相談があってね。いま、紅茶を淹れるから話を聞いていってほしいんだ」
「いいですよ」
紅茶を淹れてもらえるならティ・キーを連れてくるべきだったと思いつつ、チトセはカウンター席に座った。
やはりプロだけあって、タンドモが紅茶を淹れる手つきは優雅なほどだった。お茶請けとして出されたクッキーを齧りながら眺めていると、ふわりと柔らかな甘味を連想させる果実のような香りが漂う。
ヴィンテージのティーカップに注いだ薄紅色の紅茶をチトセの前にそっと置いて、タンドモが話を切り出す。
「常連客が近々結婚するそうなんだけど、祝いの品に悩んでいて――」




