第二十三話 お別れ
昼食を買うどころではなくなってしまい、チトセはエルタの手首を掴んで走り出した。
「エルタはどこまで状況を分かってる?」
「目の前で秘密の会話が交わされてたのに、その質問は酷くないか?」
「迂闊なことを言わないなら、大体分かってるみたいだね」
最低限の情報は先ほどの会話から読み取れている。その証拠に、エルタはチトセと同じく全力疾走で港の倉庫に向かっていた。
「多分、猶予はあると思う。エルタの判断を尊重するような素振りもあった。でも、どこまでが真意かは分からない」
チトセはサクーミの表情や態度をあまり信用していなかった。
帝国貴族の一派閥の重鎮だ。一般人のチトセが読み取れる情報などたかが知れているし、いくらでも表情や態度をごまかせる。
だから、ここで重要なのは一点。
引退しているとはいえ、元ハウンドープ侯爵という国の重鎮にエルタの素性がバレてしまったこと。
これはチトセやエルタで解決できる範疇の問題ではない。
逃げ込むように港に駆け入り、チトセとエルタは倉庫の前で担保の中身を改めていたアシエラとハッテに駆け寄る。
明らかに慌てているチトセとエルタを見て、アシエラとハッテが顔を見合わせる。
「どうしたの?」
「手短に話す」
チトセとエルタの声が重なり、アシエラとハッテが真剣な顔で向き直った。
※
「……遅かれ早かれとは思っていたけど、昨日の今日とはね」
話を聞き終えたハッテは悩むように腕組みをして呟いた。
自分の事情に巻き込んでいる自覚があるエルタが申し訳なさそうにうつむいたのを見て、ハッテは彼の背中を軽く叩く。
「しょぼくれてんじゃないよ。エルタのせいって話じゃないんだから胸を張っておきな!」
胸を張るまで何度でも背中を叩くハッテにエルタは困ったような顔をしながらも居住まいを正す。
そんな師弟のやり取りを眺めつつ、チトセは現実的な話に移った。
「バレたのが隠居しているサクーミさんでよかったよ。土産話ができたって言ってたから病床の皇帝に話すとは思うけど」
「皇帝がどう出るかは不明だねー」
アシエラは明日の天気くらいの軽い口調で言う。エルタに配慮して空気を柔らかくしているのだろう。
「あの場で金の腕輪について確かめなかったことも踏まえて考えると、サクーミさんはエルタに逃げる猶予を与えてる」
「傀儡にちょうどいいとは言っても火種になるのは間違いないからね。情勢が読めなくなるくらいなら逃げてもらえれば都合がいい、くらいのつもりかもしれない。皇帝次第で本格的に取り込みに来る可能性は考えた方がいいだろうね」
チトセとアシエラはエルタに視線を向ける。彼の選択次第で動きが変わるからだ。
エルタの決断は昨日と変わらなかった。
「全力で逃げる!」
帝国の辺境領までは逃げるつもりだと覚悟を語るエルタは師匠のハッテを心配そうに見た。
ハッテは長年、帝都を中心に商売をしていた両替商だ。信用が第一のこの業界で、新天地で一から始めるのは大変な決断になる。アシエラを始め帝都近郊で築いてきた人脈も丸ごと手放す形になるからだ。
いざとなれば自分一人で出発しようと考えているらしいエルタの頭にぽんと片手を置いて、ハッテは激励する。
「そうと決まれば夜逃げの準備だ! ワクワクするね。夜逃げされたことはあるが、するのは初めてだ!」
豪快に笑って、ハッテはアシエラに頭を下げる。
「ごめんなさい師匠。金貸し業の引継ぎをお願いします」
「新規の受付は停止して、預かっている担保を返済と同時に返していくだけでしょう? 任せなさい」
アシエラは師匠らしく安心させるように微笑んだかと思いきや、チトセの両肩を後ろから掴んでハッテの前に押し出す。
「全部、チトセに任せなさい」
「……え?」
何を言ってるんだ、この人、とチトセはアシエラの顔を見上げた。
アシエラはチトセを見つめ返し、上品に首を傾げる。
「この情勢下でお店ごと全部を任せるのは私も心配だけど、経営に詳しい孵化精霊たちは置いていくから」
「そうじゃなくて! なんで私に任せるの⁉」
「だって、金の腕輪が店にあったらエルタ君が逃げた意味がないでしょう?」
アシエラの指摘で、チトセも状況を理解した。
血筋を示す金の腕輪をエルタ自身が所持したまま逃げた場合、万が一帝国側に捕まったら皇室入りルート一直線。
昨夜の話し合いの通りにアシエラが預かるのが安全だが、エルタのことを知られた以上は交流がある宿り木の庭に捜査が入ってもおかしくない。そこで金の腕輪が発見されれば一大事だ。
だから、アシエラが金の腕輪を持って捜査が及ばないエルフの里に向かうのが最もリスクが少ない。
「理屈は分かるけど……」
「あと、前々から話していたエルフの里の大祭があるから、五年くらい帰ってこれないと思う」
「店が潰れるよ?」
「大丈夫だよ。チトセちゃんが借金しても私がいくらでも返済するから」
この人なら本当に返済できるんだろうな、とチトセはため息をついた。
アシエラがチトセの顔を覗き込む。
「店を臨時休業にして、一緒にエルフの里に行くっていう手もあるけど」
「やめておく。五年も休業してたら店に孵化精霊が訪ねてきた時に可哀そうだし、店の宿り精霊も寂しがるでしょ」
すでに覚悟を決めたチトセは途中だった担保の確認を済ませるべく動き出した。




