第二十話 先輩だぞ
湯浴みをしてリビングに戻ると、アシエラがミルクを温めていた。
大人同士で今後の話し合いでもしているかと思っていたが、ハッテの姿はない。リビングを見回すチトセにアシエラが客間の方を指さした。
「ハッテなら今後の予定を立て直すって部屋に戻ったよ」
「エルタが結論を出したの?」
「それはまだ。だけど、結論次第では今後の動きが大きく変わるからね。お金を貸した相手との連絡手段も考えないといけない。ちゃんと師匠をしていて安心したよ」
アシエラはハッテの成長を喜ぶように笑みを浮かべる。
この人は本当に何歳なんだろうと思いつつ、チトセは髪にタオルを当てて水気をふき取った。
「エルタは私よりはマシだね。私は気付いていて内緒にしてたし」
チトセが胸元の短剣に片手を当てて言うと、アシエラは戸棚からカップを取り出しながら言葉を返す。
「頼れる大人がいるかどうかの違いだから、どちらがマシかなんて話にはならないね」
「そういう意味では、エルタはハッテさんを頼りにしているみたいだね。ハッテさんも頼ってもらえるように動いてる」
今後の予定を立てるということはエルタの選択を尊重するという意味でもある。アシエラが面倒を見ていただけあって責任感のある師匠なのだろう。
果たして自分はそんな師匠になれるだろうかと、チトセはふと疑問に思った。師匠以前に弟子入りさえしていないけれど。
ことん、とホットミルクが入ったカップが二つ、チトセの前に置かれる。
「エルタ君に持って行ってあげて。先輩なんだからさ」
「世界中を見回しても私以外にいないだろうね、この分野の先輩」
チトセはカップを両手に持って立ち上がった。
「大した助言はできないと思うけど、行ってくるよ」
「頼られておいで」
流石に頼られるのは困る。そう思いながらも、チトセはリビングで歌っていた宿り精霊にエルタの居場所を聞いて向かった。
廊下を通り抜けて階段を上がり、いつもは洗濯物を干す程度にしか使わないベランダに向かう。下町側に突き出した二階ベランダにエルタはいた。
帝都の夜は長いとはいえ、下町側の景色はそう明るいものではない。暗く沈んだ下町の奥に見える裏町の歓楽街の方がよほど明るい。
エルタは黙って手すりに両腕を乗せて考え込んでいたが、物音に気付いてチトセを見た。途端に顔が赤くなる。
「うわっ」
「なに、その反応? はい、ホットミルク。温まって落ち着くよ」
「お、おう、ありがとう……。というか、そんな薄着で男の前に出るなよ」
「薄着? 二枚着てるよ」
「首元!」
「あぁ、これね」
納得しつつも隠す気がないチトセは手すりに片手を乗せて裏町へ目を凝らす。今日もあの場所では春を売るため、女も男も薄着で客引きをしているはずだ。今のチトセの服装など厚着と判断されるほどで客を取る気がないとも思われる。
そういえば、死んだバジガンがよく言っていた。チトセは将来美人になるから服装には注意しろと。あと、手を出そうとする奴はデポッサの代わりに成敗するとかなんとか。
「エルタ、今夜の夢に厳ついオジサンが出てきたら、私はうまくやってるよって伝えておいて」
「何の話だよ!?」
ツッコミを入れて、エルタはため息をついてからホットミルクに口を付ける。猫舌なのか、「熱っ」と呟いて口を離すと、コップの中に息を吹きかけて冷まし始める。
やがて、自然に冷めるのを待つことにしたのか、エルタは話し始めた。
「俺が皇帝になれると思うか?」
「無理だと思うよ。いいように使われて機を見計らってポイ捨てされる」
チトセには政治のことは分からない。だが、裏町育ちの経験からして組織の存続のためなら人間の命も尊厳も切り捨てる非情さを知っている。
裏町のマフィア組織ですらそうなのだから、より規模が大きな帝国という組織でエルタが実権を握る可能性は限りなくゼロだ。
チトセが突き付けるまでも無く、エルタは現実を理解していた。
「だよなぁ」
自分が無能だなどとはエルタも思っていないだろう。チトセから見ても、エルタは同年代の中ではしっかりとした考えを持っていて、行動力がある人間だと思う。だが、後ろ盾がないのは致命的だ。
エルタは俯き気味に続ける。
「ただ、形見を完全に手放すのは流石に決断できなくてさ……」
「担保にするのはいいのに?」
「当面の運転資金だし、短期で回収できる計画を立ててからにするつもりだったからな。それでも結構悩んだし、不安だったから鑑定をお願いしたら、こうなった……」
まさかの血統証明で担保としての価値がなくなってしまったのは、エルタも予想外だ。鑑定したチトセも同情してしまう。
だが同時に、チトセは自分が鑑定してよかったとも思っている。
「言っておくけど謝らないよ。うち以外で鑑定をお願いしていたら最悪の事態もあり得たんだから」
「そこは普通に感謝してる」
曖昧に笑って頬を掻き、エルタは夜空を見上げた。帝都表町の明るさ故か、見える星の数は少ない。その少ない星こそが自分の選択肢であるかのように、エルタは目を細めて見極めようとする。
「アシエラさんに処分を頼むべきかな」
母の形見で、父との血の繋がりの証明。そんな自分の土台のような品を処分する決断は重いだろう。
両親がいないチトセも、養父であるデポッサから渡された形見の短剣をひそかに持ち続けているのだから。
チトセは肩に座って成り行きを見守っているエティを見る。視線の意味を察したか、エティはふわりと飛び立ってベランダの下の道に通行人がいないのを確かめた。
「いないよー」
「ありがとう、エティ」
チトセは戻ってきたエティに礼を言って、開いた首元に右手を突っ込んだ。
エルタが驚き、顔を真っ赤に染め、回れ右をしてチトセに背を向ける。
「なんだよ、ほんと、お前、なに!?」
「別に色っぽい話をする気はないよ。これ、なんだと思う?」
取り出した短剣をエルタに見せる。鞘に納められていても、安物ではないと分かる。
エルタは真っ赤な顔のままちらちらと短剣を見た。
「なんだよ?」
「これね、サウベリア王家のレガリア」
「……レガリア……レガリア!?」
チトセとエルタを静かに見守っていたティ・キーでさえ「愉快な反応をするなぁ」と思わず評価するほど、エルタは大きくのけぞった。
鞘から抜いてレガリアの証拠である白光螺鈿の輝きをちらりと見せてから、チトセは短剣を胸元に仕舞う。
「こんな風に、これからも隠し持つっていう選択もあるよ」
「いや、え? チトセってサウベリア王家のお姫さまってこと? どういうこと?」
「帝国人だよ。この短剣は形見」
多くを語るつもりはない。チトセはただ、選択肢を提示するだけだ。
――大切なものを手元に残す。そんな選択肢を。
エルタは混乱していたが、チトセが短剣を見せてくれた意味を理解して眉間に皺が寄るほど悩みながら夜の下町へ目を向けた。
「ありがとう。そういう選択をした人がいるって知れたのは良かったよ」
冷めたホットミルクを一気に飲み干して、エルタは口の周りについたミルクを乱暴に拭う。
「アシエラさんに預かってもらうことにする。エルフの里に置いておけば見つかることもないと思うし」
「……そっか」
エルタの決断に、チトセは少し肩透かしを食らったような気分になった。
しかし、アンティークを売買するチトセと、担保として預かるエルタでは選択が違うものになるのだろう。
「手放すわけではないんだね」
「ほとぼりが冷めるまで預かってもらうだけだ」
エルタは自分に言い聞かせるようにはっきりと言い切った。




